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「どうです? なかなか手の込んだ仕組みでしょう?」
 再び鉄格子を天井に戻し、階上から降りてきたヨークが、手を払いながら歩み寄る。
「上の控え室にある、緞帳の巻き取り機があったでしょう。あれが鉄格子を下ろす役目も持っているんですよ」
「触ってみたが、特におかしなところはなかったはずだが」
「正しい手順でハンドルの向きを変えれば、内部の歯車が組み変わるんです」
「五年前に見つけたのか?」
「ええ。仕組みはともかく、発想としてはそう斬新なものではありませんので」
 この程度のからくりは、法務部の捜査官の間ではテンプレートのひとつという程度なのだろう。特に優越を示すわけでもなく、ヨークは反対側の舞台袖へとふたりを誘導した。事前に借りて読んだ資料に依れば、そこから通じる部屋は、壁面に棚や鏡が取り付けられた控え室であるはずだ。
 だが、後にした舞台が商品を展示する場所だったとすれば、そのまま何の変哲もない部屋であるはずがない。室内を上へ下へと見回しながら、クリスは備え付けられたままの家具をひとつひとつ触れて確かめていった。
(なるほど、良くできてる)
 疑いの目で見なければ判らなかっただろう。隅にかためて置かれている椅子には、肘掛けの部分に鎖を取り付ける巧妙な細工がある。広い面積を持つ壁と床との間にある木製の彫刻は、ある一点をずらすことによって持ち上がり、その奥からはやはり足枷のついた鎖が引きずり出された。
 全身を映し出すほどの巨大な鏡は、むろん隠し扉となっている。
「よく出来ているでしょう」
 探索の途中から妙な視線を感じると振り向けば、ヨークが面白そうな目を向けていた。どこか余裕綽々といった雰囲気に、クリスは顔を顰めて苦言を呈する。
「……じろじろと、見ないでもらえるか」
「それは失礼」
 妙に恭しく頭を下げ、ヨークは背を向けた。
 慣れない捜索に戸惑いつつ、何の根拠もなしに手当たり次第を触る、そんな効率の悪い動き方が可笑しいのだろう。いい気はしないが、その通りでもあるので言い返す言葉もない。
 視線を避けるように隠し部屋へと進み、直後、何もない真四角の白い光景にクリスは何度か瞬いた。更なる隠し部屋があるのかと壁や床を叩いてみるが、特におかしな所はない。となれば、置いてあったものが全部運び出されただけと見るべきだろう。資料を見れば、薬品庫と小さく記入されていた。
(どんな薬があったのやら)
 肩を竦め狭い部屋から控え室へ、更にそこから奥の扉を開ければ、ややすえた臭いが鼻を突いた。窓ひとつなく真っ暗なそこは、よく見れば正面と左右にはめ込み式の保管庫が設えられている。扉の鍵は壊されており、取っ手を引けば鈍い音と共に埃が舞い上がった。
「これは?」
 背後からの黒い目に、振り向きもせずクリスは問う。
「なんらかの道具入れに見えるが、違うのだろう?」
「その通りです。五年前、調査の手が入ったとき、中で人が餓死してました」
 冷えた声に引きずられるように、クリスは両腕に鳥肌を立てた。
「丁度成人男性がひとり膝を抱えれば入る程度の大きさでしょう? 衰弱させる目的でか懲罰でか、とにかく気力を削ぐために入れられていたようです」
「……普通の人間の考える事じゃないな」
「ええ」
 頭振り、クリスは小部屋を後にした。何もないと判断したというよりは、逃げたと言った方が正しい。ありもしない怨嗟の声が響いてくる感覚に襲われたのだ。気弱と罵られても良い、とにかくもこの周辺から立ち去りたい気分に陥っている。
 深くため息を吐けば、同じく苦い顔をしたアランが顎で上を指し示した。
「もういいよ。調べ尽くされてるってのが判った。上に行ってる」
 自分もと同意しかけ、クリスはすんでの所で踏みとどまった。殆どただの建前とはいえ、一応法務部捜査官の護衛という任務を下されている以上、その対象から離れすぎるのは褒められたことではない。窺うようにヨークを見れば、彼は苦笑しながら小さく頷いた。
「では、二階へと行きましょうか」
 降りてきた方向とは逆に足を向け、ヨークは怪訝な顔をするアランへと振り返った。
「二階にはこちらから直接行けるんですよ」
「奇妙な造りだね」
「二階は客間なんですよ」
 含みのある声音に、クリスは眉根を寄せる。地下の競売場と直接繋がった客間。屋敷の規模だけを考えれば、一階を敢えて飛ばして行き来する道を造る必要はない。
「隠し階段か?」
「いいえ、堂々と存在する階段です。ここはあくまで『普通の邸宅』と認識されていましたからね」
 要は、そういったルートさえあれば良かったということだろう。表で普通の訪問者と接しながら、彼らと鉢合わせすることなく裏で行き来することが出来る、それが重要だったに違いない。
 踏む度に耳障りな音を立てる階段を昇りきり、着いた先は確かに二階だった。カーテンが全て取り払われている窓から、午後の街を睥睨出来る。随分と贅沢な展望だ。陽に焼かれ、壁紙も絨毯も随分と色あせてはいるが、客室と称された階であるだけに、扉に施された細工などは芸術と呼ぶにやぶさかでない趣が残っていた。
 更には、なんとなしに入った一室でさえ、高級ホテル並の設備である。奥へ奥へ、正確には端の部屋から中央へと順に手を入れる内に、アランのみならずクリスもまた、自分の顔が嫌悪の形に歪んでいくのを感じていた。
 金銭感覚に於いてごく平均的な思考を持つ身としてみれば、どれだけ金があったのだと苦い思いを抱かずにはいられない。その出所が人の尊厳を踏みにじって得たものだとすれば尚更だ。
 難しい、とクリスは思う。押し寄せる嫌悪感や付きまとう先入観、その他個人的な感情を抑え、手を抜かず偏見を介入させることなく調査するということは、本当に難しい。
 そんな屋敷の中を淡々と説明するヨークは、内心ではどう思っているのか。三階へと続く階段を前に、通路を先行く背中を見遣り、――そこまで考え、クリスはふと首を傾げた。
「どうしました?」
 足を止めたクリスに気づき、ヨークが顔だけを後ろに向ける。
 その様子に、まるで監視人だとクリスは目を細めた。それほどに、クリスやアランの行動に対する反応が早い。良いように取れば積極的に案内を買って出ているとも言えるが、それはヨーク自身が提示した「自由行動」に真っ向から反する行動とも言えるだろう。
 屋敷へと足を踏み入れて数時間、基本知識の差や、捜査官を付け狙う組織の者を釣る為の偽捜査であるという事実を考慮したとしても、彼の行動は若干奇異に映る。
(何を考えている……?)
 奥底の見えない灰色の目に、陰湿な揺らぎはない。だが、誠実かと問われれば答えに躊躇わざるを得ないだろう。
 どう言ったものか、と言葉を選ぶクリス。その時、彼の横、僅か後方の壁が高い音を立てた。
「あんた、いい加減にしなよ」
 壁に拳を当てたまま、低く、アランが唸る。
「いい加減、探るの止めてくれないか」


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