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「ユーイング?」
「気づいてないのか、レイ。この男、ずっと僕たちの行動を観察してた」
「見ているのは知ってたが……」
「素人のやることを面白がってるだけだって思ってたんだろ」
 今直前で気がついた、とは何ら言い訳にもならないだろう。自分の勘の悪さに恥じ、僅かに赤面し頷けば、アランははっきりと眉間に皺を寄せた。
「人が良いのも大概にしろよ。こいつの目線はそんなもんじゃなかったぜ。おかしなことはしないか、妙な動きを見せないかって、思いっきり不審な感じだった」
 吐き捨てるような言葉に、クリスは先ほど感じた疑問も含めてヨークを見遣る。真っ向からの批難と疑惑の目線を受け止めつつ、ヨークはゆったりとした笑みを浮かべていた。
 ――否定している様子はない。
「やれやれ。あなたは、交渉術というものを学ぶべきですね」
 肩を竦めて振り返り、ヨークはクリスを一瞥した。
「そしてあなたは、人の言葉をもっと疑った方が良い」
「……それはどうも」
「しかし、気づかれるとは思っていなかったのも確かです。いつからですか?」
「いつからも何も、初めからだよ。あんた、『偶然』を信じてるように見えないんだよ」
 ヨークを睨むアランに、クリスははっと息を呑む。
「立て続けに起きた偶然は偶然じゃない。誰かに誘導された必然だって思ってる。違うか」
「ちょっと待て」
 アランの言葉を整理するために、クリスは一旦制止をかけた。
「馬車の中での話のことか? つまり、ヨークさんは、俺たちがサムエル地方で体験したことは、全部誰かが裏で糸を引いて、偶然見つかるようにし向けたと思っている、と? だが、……」
「結果さえ知っていれば、人を操るのは意外に簡単なんですよ」
 可笑しそうな声が、クリスの言葉を遮断する。そうしてヨークは数歩進み、階段へ足をかけておもむろに振り向いた。
「こんなふうに、ね」
 同時に、壁に強烈な一撃が放たれる。
「なにを、――!?」
 警戒する暇もあらば、クリスの鼻先を掠めて落ちる鉄格子。鋭く響く金属音。地下で聞いた歯車の音ではない。たくさんの鎖が互いを引きずり合っているようだ。
 反射的に背後へたたらを踏んだクリスを、意外に大きなアランの手が支えて助け起こした。感謝の目線を送るが、それを言葉にする余裕はない。鉄格子の向こうから見下ろしてくるヨークに、二対の視線が殺気を帯びる。
「何のつもりだ!」
「怒鳴っている暇はありませんよ」
 嫌みにゆっくりと指し示された先、やってきた廊下の方向に釣られるように目を向ければ、視界の端に動くものが映り込んだ。侵入者、と脳がそれを正確に把握するまで数秒。
 だがその僅かな間に、相手もまたクリスたちに姿を見られたことに気付いたようだった。
「ちっ!」
 アランの舌打ち、それとほぼ同時にクリスは駆け出した。逃げる相手を追う道筋に、迷うことはない。建物の中である以上外に比べて死角は多いが、地下から一階へ繋がる階段までは一本道、しかもそこかしこが傷んだ屋敷の中では、移動する際の音までもが存在を知らしめる。
 おそらくは、屋敷に到着する前に見た者たちだろう。尾行の仕方もまずければ、見つけられた後の対処法も素人丸出しだ。仮に組織に属しているとしても相当の下っ端、つまり彼らを捉えたところで、得られるものはたかが知れている。
(どこに逃げ込むのか、確かめるか?)
 思い、即座に首を横に振る。ここはごく普通の住宅街の一部だ。逃げる先で無関係の市民を巻き込むわけにはいかない。決着を付けるなら屋敷の中で、というのがベストだろう。
 方針を定めると同時に足を速め、再び一階へと戻ったところで、クリスは小型のナイフを投擲した。
「ぐっ!」
 掌に収まる程度の大きさで常に剣帯に付けているナイフは、実のところ殺傷能力はないに等しい代物である。だが、一直線に飛んだそれは的確に大腿を裂き、その衝撃に侵入者は一瞬足を止めた。
 そして、既に距離を詰めていたクリスには、その隙だけで充分だった。
 捕らえる為に減速、などするわけもない。全速力で駆け抜けざまに後頭部に強烈な一撃を加える。
「ッ……!」
 声にならない悲鳴を上げ、崩れ落ちる男を捨て置き、クリスは更に前を走るふたりを追い詰める。先に昏倒した男よりも足が速い。加えて言えば、知恵も回るようだった。
 彼らは、通路に放置されたままの華奢な机や燭台を、通り過ぎる度にひとつずつ倒していく。それらを飛び越えることは大した手間にもならないが、正面で次々と設けられる障害物は走るリズムを酷く乱すのだ。ひとりが先行し、ひとりが物を倒す。遅れたひとりを捕らえようと手を伸ばしたときには、先行した者が次の手を打つという単純だが有効的な連携は確実にクリスを嵌めた。
 大した距離はない、しかし捕らえるには及ばない。そのジレンマがクリスの額から汗を滑らせる。高い身体能力を、経験値の低いクリスティンの精神が完全に足を引っ張っている状態だ。
 玄関ホールまでの最後の曲がり角。そこを過ぎて過剰装飾なアーチを抜ければ、自由な逃走経路は目前に迫っている。
(まずい)
 中身のない額縁が投げられる。躱した隙に侵入者たちは角を曲がった。最後の減速の機会を手から取りこぼし、クリスは短く舌を打つ。殆ど勢いを殺さぬまま直角に向きを変えた彼の目に、玄関扉に手をかける男の姿が映る。
 逃げられる、と反射的にクリスは心臓を高く鳴らした。
 だが、
「莫迦にするなよ……!」
 階上からの鋭い声が耳朶を打つ。次いで木製の床が、遅れて男たちの口が、それぞれ鈍い悲鳴を上げた。追いついたクリスが、一歩後退るような光景だ。
 そうして彼が唖然としている間にも、矢は容赦なく男たちの体を裂いていく。いつ矢をつがえているのかも判らないほどの連射だが、それ以上に命中精度を恐れるべきか。
 両足、両手、側腹部に浅い傷、そして最後に頭頂部。頭皮すれすれのところで髪を散らした矢が壁にめり込むと同時に、男たちは揃って、泡を吹いてへたりこんだ。
「……これは、すごい」
 クリスの素直な賛辞に、アランはむっとしたように口を曲げたようだった。
 正直、意外さが拭えない。ただの皮肉屋かと思えば、とんだ特技を持っていたようだ。
「あんた、何馬鹿正直に追いかけっこなんてしたのさ」
「いや、誰も追いかけなかったら、裏口とかから逃げたかもしれないだろ」
 構造上、複雑に過ぎる屋敷ではあるが、見取り図を鵜呑みにするなら他にも出入り口も存在するのだ。誰も追いかけてこないとなれば当然、侵入者たちはそちらを探るか窓から無理矢理逃げ出す道を選んでいたに違いない。「馬鹿正直に」玄関ホールを目指したのは、そういった行動に出る間に捕まえられる恐れがある、という心理的な負担をクリスが意図せずして与えたところが大きいはずだ。


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