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 むろん、素人ごとき捕らえられる、と自信過剰に突っ走ったことは大いに反省すべきだが、それもアランの思わぬサポートで事なきを得た。経過や個人的な後悔はともかくとして、結果はどうにか及第点といったところか。
 だが残念なことに、これでここへ来た目的は半分達した、とするには懸念と疑惑の中間に位置する材料がひとつ残っている。
 途中の通路で昏倒した男を含め、三人を地下の一室――元軟禁部屋とも言う――に閉じこめ、クリスとアランは揃って三階へと続く階段の前へと足を戻した。無遠慮な出で立ちで瀟洒な雰囲気を台無しにする鉄格子は、むろん変わらぬ頑固さでふたりを拒んでいる。
「どうしたものかな」
 時間が経てば、あの油断ならぬ男は勝手に戻ってくるだろう。それは確かだが、良いように利用され出し抜かれたままでは如何にも寝覚めが悪い。
(兄様なら、もしかしたら全然気にしないかも知れないけど)
 感情の起伏が極めて平坦に近かった男である。貶められようと反対に褒めそやされようと、常に冷静で淡々としていたクリストファーを思い出し、次いでそれに苛々とさせられた日々を思い出し、クリスは段々と不機嫌の指数が上がっていくのを感じた。
「何、百面相してるのさ」
「……いや、冷静になろうとして失敗した」
「なにそれ、あんた莫迦?」
 否定できないところがどうにも辛い。
「まぁいいけどさ。あんた、何かいい案でもある?」
「いや、穏便な手段はあんまり……」
「へぇ? 過激なのはあるんだ?」
「過激というか、被害が拡大するというか。要は、燻せばさすがにたまらずに出てくるのではとは思ったが」
 明日も曇り、と容易に予想できるほどの天気である。風はほとんどなく、煙の立つ木を燃やせば、いくら窓を全開にしたところで掃き切れはしない。問題点として、周辺に火事ではないと根回しをする時間がないこと、保存すべき建築物を現状維持できなくなることが挙げられる。
 ぼやくように言えば、さすがにアランは口元を引き攣らせたようだった。
「あんた時々、無表情でとんでもないこと言うな」
「それは失礼」
 鉄面皮を装えていることに満足すべきか、人物評価に補正をかけておくかが微妙なところである。
「で、そういう自分はどうなんだ?」
「人に聞いておいて自分は無策なんて、そんな莫迦じゃないつもりだけど」
 ひねくれた物言いではあるが、要は策があるということだ。促すようなクリスの視線を受けて、アランは上着のポケットから一枚の紙片を取り出した。
「あのいけ好かない奴のだよ」
「え!?」
「時々懐を気にしてるみたいだったからさ。絶対何かあるって思って借りておいた」
 あんたは気づいてなかったみたいだけど、と例によって多い一言を聞きながら、クリスは何度も瞬いた。
 それは紛う事なき犯罪行為だ。だが。
「ユーイングが盗ったのか?」
「その通りだって言ったら?」
 探るような目を向けるアラン。彼の頭髪をかき混ぜるように乱暴に撫で、クリスは嬉々として声を上げた。
「やるじゃないか」
「痛っ、あんた、痛ぇよ」
 抗議と共に、アランは慌てて後退さる。
「だいたい、なんなのさ。……褒めるようなことじゃないだろ!」
「何故だ? これでひと泡ふかせられるじゃないか」
「そうじゃないさ。手癖が悪いだけだろう。こんな特技、真っ当な代物じゃないだろ」
 確かに、掏るという意味ではそうに違いない。人の懐から気づかれずに何かを盗る技術の正当性はどこにもないだろう。
 だが、クリスは緩く首を横に振った。
「どんな特技でも、褒められる使い方をすればいいんだ。技術は単なる技術で、どう使うかを間違えなければいい。違うか?」
「そりゃ、……そうだけど」
「なら、いいだろう。いろいろ応用の利く特技だ。俺も教えてもらいたいくらいだ」
 迷いなく言い切れば、アランは何度か瞬いたようだった。その後の胡乱気な目はしかし、クリスが本気で大真面目に言っているのだと理解するにつれ、呆れたような色を帯び始めた。
 そして最後に、困ったような笑みに変わる。
「あんた、莫迦だろ」
「――まぁ、否定はしない」
 愚直も貫けばひとかどのものとなるだろう。むろん、そこまで純粋な気質など持っていないことも承知の上ではあるが、否定せずにクリスは微笑を返した。
「……」
「なんだ、その不審人物を見るような目は」
「なんだも何も、そのままだよ」
 言い切り、アランは口を尖らせたままくるりと背を向ける。首を傾げ、クリスは後ろから問いかけた。
「どうした、ユーイング」
「煩いなぁ。いちいち名字を連呼するなよ。アランでいいよ、適当に」
「では、アラン。とりあえず、俺が莫迦か云々は置いておいて、先にその紙を有効に使わない手はないだろう?」
「――まぁ、そうだけど」
「その必要はありませんよ」
「!」
 上からの声に、ふたりはほぼ同時に階段の奥を睨み付けた。剣呑な色に侵されたように、周囲に緊張した空気が満ちる。
「やれやれ、してやられた、と言っておきましょうか」
 両手を打ちながら、ヨークが階段を下りて姿を見せる。
「捕り物、お疲れ様です。お見事でした。発足して間がないとは思えないほどの連係プレーでしたね」
「……あんた」
「そう、怖い顔しないでください。それがあなた方の任務でしょう? 相手を誘い込み、興味を惹くような動きを見せて油断を誘い、捕らえる。ほら、予定通りじゃないですか」
 確かに、法務部の捜査官を護り害を取り除く、または不審人物を捕らえることは仕事のうちだ。囮になるということも承知の上だ。だが、そうだからといって、一方的に利用されて喜ぶ趣味はない。
「侵入者の位置に気づいてんなら、もうちょっとやりようがあっただろうが!」
 ごく真っ当な怒りに身を委ねるアランを横に、クリスは眇めた目でヨークを見上げた。むろん、彼の中にも苛立ちはある。だが素直にそれを表に出すには、ヨークの態度があからさまに過ぎた。ヨークはけして安易な人間ではない。計算し尽くしで行動するタイプだろう。


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