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9.


 一泊の任務を終えて翌日、クリスは軍所属のメッセンジャーからの伝言を受けて、指定された場所へと足を運んでいた。既に陽は傾き、仕事場からの帰途につく人々の間を逆に進みながら、メイヤー・ハウスで起きたことを振り返る。
 任務自体はというと、屋敷内での捕り物による捕縛者三名、帰り道で二名と、数字だけを見れば護衛兼囮の役割は果たせたと言えるだろう。ただし、捕まえた者全員がただのごろつきとあっては、堂々と成功とは言い難い。個人的な目的を果たせたヨークはともかく、クリスとアランは疲れたばかりの二日間であった。
(それでも、……チェスターの話を聞けたのは良かったんだろうけど)
 今のところ直接関係しているとは言えないまでも、過去の人物として無関係と断ずるのは早い。機会を見て調べる必要性があるだろう。
 そう、記憶の片隅に新たな人物を書き加えながら、クリスは軍施設内の一室の前で足を止めた。そうして一度深呼吸で気持ちを整え、次いで扉を軽く叩く。
「お呼びに与りました、クリストファー・レイです。ご用件を伺いに参りました」
「入りなさい」
 ディーン・ガードナーの声が入室を促す。時折軍施設内で出会うことのある上司であるが、面と向かって話すのは随分と久しいと言えるだろう。通常、直属の上司は特捜隊メンバーの相談役とも言える立ち位置であるはずだが、現在クリスが軍の仕事から外されているため、ガードナーは実質秘密を知っている部外者といった状況だ。
 その彼が何の用だと、緊張から強ばった顔で一礼するクリスに、書類から目を上げた彼は悪戯心を含んだ微苦笑を向けた。
「やれやれ、私は君に何かしたかな? 嫌われてるみたいで寂しいよ」
「ご冗談を」
 クリスにしてみれば、冷や汗ものである。ここしばらく、家族以外の「クリストファーの知己」と会うことがなかったため失念しかけていたが、クリスは叩けば埃以上のものがボロボロと出てくる身だ。人の良すぎる幼なじみはどうにでもなるとして、一番油断ならないのはこの、かつての直属の上司である。おかしな素振りをみせたところでよもや、別人間が体を乗っ取っているとは思うまいが、違和感から疑念へ、更にはクリストファーという人間への不審へと繋がること、想像に難くない。
 故にクリスにとっては、ゲッシュ以上に真相解明への切迫感を与えられる人物としても、苦手意識の拭えない人物となっている。
「急の用とは何でしょうか」
「相変わらず素っ気ないな」
「用とは、何でしょうか」
 重ねて問えば、ガードナーはわざとらしく天を仰いだ。嘆かわしいと言いたげだが、この際無視するに越したことはない。
 無表情を貫くクリスに観念したか、ガードナーは一度わざとらしく嘆息して表情を変えた。
「別に難しい話じゃない。あっちの仕事の話じゃないから安心していいよ」
 本来はそこでほっとすべきところなのだろう。だがクリスにはどの仕事もあまり違いはない。どちらにせよ、慣れないことには違いないからだ。
(そういう意味では、特捜隊の方が気は楽なのかもしれないけど)
 ふ、とため息を吐く。それをどう捉えたか、ガードナーは小さく苦笑してクリスを見つめた。
「病み上がりの上に疲れているところ、悪いとは思うんだが。……しばらく、いや、ほんの二、三日、軍に復帰してはもらえないか?」
「と、仰いますと」
「例の組織の暗躍でね、法務長官が襲われてから、警戒態勢が続いているのは知っているだろう? そのせいで休日返上の勤務が続いていたんだが、さすがに無理が出てきてね。比較的安全な勤務を退役兵や君のような予備役の人に頼んでいる。むろん、信用できるか、今現在の能力はどうかは選定基準に入っているがね」
「つまり、軍ならではの形式張った仕事を含まない、街の巡回などに当たれということですか」
「そう。ただし君には、軍部敷地内の夜間巡回を頼もうと思っている」
「夜勤、ですか」
 予想外の答えに、クリスは僅かに目を見張った。
「……その、一応部外者扱いの自分が、軍部の奥まで入り込んでも問題ないのでしょうか」
「予備役といっても、少し特殊な状況でそうなってるわけだからね。本来なら復帰して貰いたいところだが、手続きに時間が掛かる上に、君にはあちらの任務もあるだろう。任務はこなしているようだから体はもう大丈夫だとは思うが、今回は現状維持のままということにした」
 復帰という言葉にぎよっとしたクリスは、続いた言葉に隠れて長く息を吐く。
「君としては早く復帰したいところだろうが。……まぁ、なにも、地方の応援に行けと言ってるわけじゃない。慣れた場所だろう?」
 ガードナーの言葉に、クリスは口元を引き攣らせた。むろんガードナーには何の非もない。軍部内の夜勤経験などあるはずもないクリスティンが、勝手に慌てているだけである。
 現役軍人でなくとも構わないということなら、それだけでもそう難しいものではないとは判る。だが仕事内容を想像することは出来ても、具体的な方法が判らないのだ。一時でも軍に関わった者になら培われているはずの経験、或いは記憶がないのは当然と言うべきか。
 加えて問題なのは、巡回が通常、複数人で行われるということだ。相方となった者が、全く何も判らないクリスの行動に疑念を抱くのは確実だろう。
(さすがに、まずいんじゃ……)
 クリスはここしばらく、特捜隊の任務に追われて、個人としては最も重要な――自身の抱える問題について後回しにしていた自分を激しく恨んだ。だが、誰に言えるわけもない言い訳をするならば、今こうしてガードナーに呼び出される前、丁度クリスはそのことについての行動を起こそうとしていたのところだったのである。
 いくつかの謎を残して終わった任務後は特にバジル・キーツからの連絡もなく、また、さすがに何の進展もないままの状態に焦りを覚えてきたところであり、腰をすえていろいろ調べるには良い機会だったのだ。
 なにより、気になりながらも放置していたことがある。墓場で浮かんだ言葉と光景のことだ。あれが鍵に違いない、とクリスは思う。
 昏睡から目覚めた直後はがむしゃらに、自分の考える「未練」を試していたクリスだが、なし終えてもなんら心に響くものはなかった。脳の奥底に断片的に散らばる「忘れている記憶」、やはり問題はその原点にあるのだろう。だがどこの何を探れば、その記憶を引き出すことが出来るのかが判らない。
 そうしてとりあえず、もう一度現場を見て状況を把握し、倒れる事を前提に記憶の深いところを探るべきかと、外出の準備をしていた最中にガードナーからの呼び出しがかかった、という具合である。
(本当に、仕事とかしてる暇なんてないのに)
 クリスは頭痛を堪えるように額を抑えた。迷ってはいるが、正直、「クリストファー」に断る理由はない。
 あれこれと悩んだ後、内心で深々と嘆息し、クリスは依頼に応じるように首肯した。
「……わかりました」
「助かる。そう言ってくれると思ってたよ」
「しかし、同じく夜勤をする者については」


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