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 だがそれも僅かのこと、型どおりに木剣を構えたアントニーに合わせてクリスも間合いを取り、仕合いへと意識を集中させた。
 先に仕掛けたのはアントニーである。剣を握ると待ちに入ることの多い彼だが、今日はなんら気負ったもののないただの打ち合いであることが足を進めたのだろう。フェイントも何もない攻撃を大胆に払い、返し、打つ。小手先の技術を駆使すると言うよりは若干力任せの入るクリストファーの技は、しかし見かけによらない素早さが加わると躱すのが困難で如何にも重い。初対面の相手には最初鈍重に見せかけてここぞと言うときに速度を増す、それだけで以外に通じるものだ。
 もっともそれは、混乱の極みにある戦場ではものの役にも立たないだろう。
(戦場か……)
 剣の技術はさておき、クリスの実戦経験はほぼないに等しい。こうして技を確かめている程度なら対応も出来るが、ここしばらくの間に起こった本番では、身体能力に比べ判断力が追いついていないのが現状だ。まだしも一対一、それに仲間の援護が加わって大事には至っていないが、それ以上のことがあればいずれこの経験の乏しさが問題を生むだろう。
(けど、こればかりはどうしようもない)
 そういう状況にならないよう、願うばかりと言えよう。頭の隅で危惧する間にも、現実の目は普段より真剣な目を向ける幼なじみを捉えていた。
 上方からの攻撃を柄で受け止め、即座に引いたアントニーの剣を追うように突く。横に流されたそれを下へ流し、体を捻って回るように払い上げる。一度離れ間合いを取り直し、再び剣の応酬。むろん無規制の試合でもなく訓練でもない今は、体術まで用いることはない。それでも互いの攻撃は鋭さを増していった。
 大きく振りかぶり、隙を見せて誘う。それと知りながら乗ってきたアントニーに対しバックステップ。だが空振りした剣は即座に向きを変え、クリスを突く。咄嗟に横に避けたクリスは、眼前に迫った剣の先をやはりギリギリで躱し、低い位置から無理矢理剣を突き上げる。
 木剣の鈍い音が周囲に響き渡るが、注意を促す者はいない。次第に荒くなる息と額から流れ落ちる汗に、クリスはいつしか頭を真っ白にさせていた。
「……ストップ」
「? なんだ?」
 剣先を下げ、木を背に、息を整えつつ俯くアントニーに、クリスは訝しげな目を向ける。
「俺はなにか下手をしたか?」
 軍内部であろうと町中の教場であろうと、一対一の仕合いにさほど違いはない。何か間違ったことでもしたのだろうかと、アントニーの複雑な表情に熱は冷め、急激な焦りを覚え狼狽える。
 そうして立ちつくすクリスに、アントニーはやがて皮肉に通じる苦笑を向けた。
「わざと、じゃないんだな」
「何が、だ?」
「剣の使い方、変えたのか? 兄妹ってのを抜きにしても、クリスティンの動きと似すぎてる」
 ぎよっとしてクリスは一歩後退った。
「わざとなら、悪趣味極まりないってとこだけど」
「そんなわけ、ない」
「だろうな。でも、前に手合わせしたときにも思ったけど……、ちょっと型が変わったな。お前、一対一じゃなくて一対多でどーんと大技使う方が得意だっただろ? 誘って誘って一気にケリつける、みたいな」
「あ、ああ……」
「でも今は、っていうか途中からだけど、細かく細かく体力削って疲労誘うって感じに変わったよな。それ、クリスティンの得意技だろ」
 しまった、と悔やむが時既に遅し。兄の動きを真似ているつもりで、つい熱の入った頭はそれを溢していたようだ。
 なんとか納得してもらえる理由はと、クリスは視線を彷徨わせる。
「クリスティンとは、長く剣の相手はしていない」
「へぇ?」
 胡乱気な目が、クリスの奥を探った。確かにクリストファーの結婚後、同じ家に居た頃に比べれば会うことも少なくなった兄妹ではあったが、今のクリスの言葉はと言えば、嘘である。でなければクリスティンが、クリストファーの戦い方を真似る、という事自体が無理であっただろう。
 口を噤んだクリスに、アントニーはため息を吐いたようだった。
「その戦い方が悪いってわけじゃないけど、お前の体格とか力からすると、宝の持ち腐れになるだろ? それとも、攻め方変えなきゃならないわけでもあるのか?」
 ない。――だがクリスはアントニーの一言に、探していた言い訳の欠片を見つけた。
(なんか、こればっかの気もするけど)
 僅かに逡巡し、だが他に妙案があるわけでもなく、クリスは演技でもなく言いにくそうに口を開く。
「その大技が使えない」
「え?」
「時々、力が抜ける。前触れがないから判らない。敵を集めた後に技を仕掛ける時にそれが起こったらと思うとな」
 実際には、体の急な不調は――クリスがそれを覚悟で事を起こす場合を除き、不意に発生することはなくなっている。だが、それが今でも、目覚めた直後と同じ頻度で起こっているとなればどうか。
「殆ど無傷のまま集めた敵に、いいように的にされるだけの間抜けになるだろう? だから、敵の体力は削れるときに削っておく戦い方に変えてみたんだ。体力も筋力もなかった子供の頃、男女の違いなくそういう方法も習っただろ。……クリスティンを真似たというよりは、そちらだ」
「……なるほどな」
 幼なじみとして、かつては同じ教場に習いに行っていた身である。クリスティンも混じっての過去を思い出したのだろう。腑に落ちたように、アントニーの表情から険がそぎ落ちていった。
 願ってもない流れに、たたみ掛けるようにクリスは言葉を繋ぐ。
「勿論、戦いにくいことこの上ない。この妙な症状が治まったら、また元に戻すつもりだ」
 いずれ状況が戻り、クリストファーが軍へ復帰することを前提にそう加えておく。だが今は背に腹は代えられない、やむを得ない理由があるのだと、如何にも仕方なさそうに苦笑すれば、アントニーは神妙に頷いたようだった。彼の素直なところは、悪い言い方にはなるがやはり非常にありがたいところである。
「悪かった。ちょっと俺も神経質になってたな」
「いや」
 どこかばつの悪そうな、それでいて照れたような笑みを浮かべ、アントニーはクリスの背を軽く叩いた。彼のそんな励ましは嬉しくもあり、同時に罪悪感を胸に落とす。どうしようもないとは言え、良い友人であったはずの存在に嘘を積み重ねることは、思った以上に苦痛だった。
 完全に気を削がれた形となったふたりの間に、妙な沈黙が落ちる。さすがにこれ以上、仕合う気にはなれない。
 戻るか、とアントニーが弱く息を吐く。それにクリスも頷きかけ、――そして、ふと眉根を寄せた。
「なんだ? 騒がしいな」
 聞こえる音や声の大きさから言えば、寝た子を起こすほどのものでもない。だが、本来静かであって然るべき場所に、そも、複数人の声が響いてくる事自体が異常だった。


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