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 ほぼ同時に気づいたアントニーも、声のする方向に厳しい目を向ける。互いが顔を見合わせ、頷き、ランタンを持って走り出すまでに数秒とかからなかった。
「どこだと思う?」
「法務の方面だな。――嫌な予感しかしない」
 予感的中、と言ったところか。悲鳴や怒声は、牢の方から響いている。
 牢及びそれを内包する収容所は、この国では罪が確定する前の人間が集められている場所であり、軍施設と法務省関連施設の丁度中間地点に存在する。街の方面から見れば両施設の間には財務省関連施設が横たわっているようにも見えるが、実際にはそこは横に広く奥に狭く、王宮に近い区域には両翼から浸食を受けている形となっている。一般市民の利用の多い財務省関連施設が、行政区域にある様々な施設の表に飛び出していると言ってもよいだろう。
 つまるところその犯罪者収容施設は、位置で言えば財務省の裏にあり、管理という面の管轄は軍部にあり、そこへ介入する権利は法務省にもあるといった複雑な位置と立場にある。
 駆けながらクリスは、騒動の狙いを考えていた。おそらくは、ここ数日で捕らえられた者の脱走補助。悪く考えれば彼らの始末。予想外のところで全く関係のない時期的な便乗犯の脱走。出来れば三番目でと願いたいところだが、向かう先に立ち上っていく煙を見るにあたり、それは楽観視に過ぎると悟らざるを得なかった。
「煙が……」
 咳き込みながら、アントニーが呟く。
「この臭い……火薬か?」
「どこからそんなものを」
 眉根を寄せ、クリスは収容所から薄くたなびく煙と風に乗って小さく舞う煤をを睨みつけた。
 火薬の存在は、別段珍しいものではない。だが爆弾としての取り扱いや保管が難しく、使用する際の安定性にも欠けるため、その管理は国が厳正に行っている。また、制作に必要な資源に乏しく、一部、開拓地での掘削作業や状況の厳しい国境では軍事利用も行われているが、王都ともなればそうそうお目に掛かるものでもない。少なくともこの国では、一般が手に入れることは不可能とされている。
(つまり、他の国から持ち込んだか、管理に関わる者が関与しているか、制作方法を知っている者が独自で作ったかだけど)
 いずれにしても、素人の行えることではない。今牢に捕らえられている面々を考えれば、やはり例の人身売買組織が絡んでいると考えるのが妥当だろう。
 走り、ようやく辿り着いた収容所敷地内には、クリスたち同様異変を察して駆けつけてきた者達がまばらに見受けられた。外に人が少ないのはその中心、煙のたなびく建物の半地下の階段先に、情報をその目で確かめようと皆が集中して押し寄せていることが原因だろう。中には、王宮、法務省、財務省と別方面から様子を見に来た官吏の姿もある。
 クリスたちも人の頭の上から詳細をと首を伸ばす。さすがに牢の並ぶ方面の入り口は警備兵により封鎖され、中には入れないようだ。煙はまだ漂っているが、暗さを抜きにすれば、見通しはそう悪くはなく、完全に崩れ支えを失った部分などは見あたらなかった。
 牢の方では収容者の移動が行われているのか、聞き取りにくい怒鳴り声が反響している。
「いったい、何が……」
 私服の高官はうろうろと歩きながら声高に罵るだけで、当てになりそうにはない。そこに居るだけで、むしろ邪魔になっている状態だ。
 とりあえずは状況をと、一旦地上に戻ったクリスとアントニーは、知人を捜すべく周囲を見回した。だがむろんのこと、そこまで都合よく展開することはなく、仕方なくアントニーが軍服姿の男を掴まえる。
「ちょっと、話いいか?」
 多少強引な呼びかけであったにも関わらず、男は好意的に頷いた。ひとことで言えば愛嬌のある顔のアントニーは、人に警戒心を抱かせないという点でクリスよりも遙かに優れている。頷いた男からの情報収集は彼に任せ、クリスは更に周辺へと目を向けた。
(あれ?)
 今出てきたばかりの牢の周辺に、ぼんやりと光る何かがある。かがり火やランタンの明かりとはまた違う光源だ。言ってみれば、導き人たるゲッシュが現れる状況と似ている。だが今は人も多く、彼が出てくるような状況にはない。
 見間違いかと目をこすり、またその方を見遣れば、光源は綺麗に消えていた。
(気のせいか?)
 急に明るいところに出てきたことによる、光の残像かと、クリスは小さく頭振る。特捜隊の任務や今回の夜勤の依頼で本来優先すべきことが後回しになっていることで、そこそこに焦りと後ろめたさが募っているようだ。
「クリス? どうかしたか?」
「いや、なんでもない。それより、どうしようか」
 騒ぎの大きさに比べて、被害の規模は思ったよりも小さいようだった。けして安易に大丈夫と言える様子ではなさそうだが、少なくとも管轄内の救援で事は収まりそうな状況だ。説明してくれた男の話と現状を合わせてそう結論を出し、アントニーとクリスは揃って顔を見合わせる。少なくとも、部外者がこの場にいて役に立つ事はないだろう。
 夜勤の業務として巡回すべき所は他にもある。とりあえず戻るかと結論を出し、そうしてどちらともなく踵を返した、――その時。
「待て! ……それは!」
 騒ぎの中心部から切羽詰まった抑止の声が上がるのとほぼ同時に、鈍く重い爆音が辺りを揺るがした。
「!」
 衝撃。規模はおそらく、一回目の比ではなかっただろう。少し離れた位置に居たクリスの上にも礫が飛来する。だが、咄嗟に近づこうとしたふたりは、続く言葉に足を引かざるを得なくなった。
「気をつけろ、むやみに物に触れるな! 火薬が散らばっている!」
「火を消せ! それまでこの付近には近寄るな!」
 危険を呼びかける声に立ちつくす人々。そこに、別の混乱が襲いかかる。
「待て、そこの!」
 悲鳴に近い声に続き、歓声にも似た無意味な雄叫びが上がった。粉塵の紗の向こうに激しく争う影が映る。
「シェリー主任!」
「誰か、こっちへ来てくれ!」
「逃げる、早く、救援を頼む!」
 かき消されそうな声に、クリスとアントニーは顔を見合わせた。
 爆発の規模は思ったよりも広範囲というほどではなかったが、壁の壊れた位置が悪かったのだろう。夜の闇に視界は極めて悪いが、どうやら脱走を試みている者がいるということだけは見て取れる。早くも、牢番や警備人では止めきれなくなったようだ。
「クリス」
 こうなると、危険云々とは言っていられる状況にはない。アントニーの促しに、クリスは頷くと同時に崩壊した建物へと駆け寄った。摩擦により引火したのか、石床の上で小さな火が踊っている。
 かがり火の周囲に行き交う人の影、逃げる者と追う者、既に捕らえられた者と奮戦する者が混在した状態だ。全体的に半地下と思われていた収容所は、実際にはごく緩やかな斜面に建設されいたようで、破壊された現場付近は牢からよじ登る、というほどの差も無いようだった。そこから、収容者が前を倒す勢いで外へ出ようと足掻いている。
(おかしい。複数の牢の壁が壊れた様子はないのに、出てきている人数が多すぎる?)
 疑問に眉根を寄せるが、深く考えられる状況でもない。さすがに味方を気にして剣を抜いている者は居ないが、そこかしこで行われる乱闘に、もはや状況を正確に掴むことは困難となっているようだった。


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