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 その中に入り込み、明らかに捕縛者と判る者を数人叩きのめし、クリスは疲労とは別の汗を流す。
(収拾が付かない。もしかして、責任者は負傷してるのか?)
 初めに爆発があった、その周辺にいたとすればあり得ない話ではない。だがそうなれば、統率者が不在となる。今は突発的な状況に対処することが先とは言え、このままで終わるとは思えない。
(牢、いや、収容所の管理責任者は……、駄目だ、思い出せない)
 そも、本来なら管轄外である。収容所は軍部に位置付いてはいるものの、クリスたちの所属する軍とは実質別組織なのだ。
 焦り、考えながらクリスは、敵と見て殴りかかってきた男を羽交い締め、落としてから再び周囲に目を走らせる。思いの外牢に囚われていた者が多かったのか、争いは次第に範囲を広げているようだった。
「向こうに逃げたぞ!」
 ひとりが、王宮の方面を指せば、他の者が法務部の方へ怒鳴り声を上げる。
「法務担当! いや、王宮担当は……!」
「巡回の近衛の奴らがいただろ!」
「あいつら、こっちに来てもいねぇよ!」
 数人、追いかける者もいるが、その場に留まって救援を呼ぶ声も多い。何故と眉根を寄せれば、アントニーが近づいてくるのが目に入った。
「クリス、大丈夫か」
「大丈夫だが、何故逃げたのを追いかけないんだ?」
「何言ってんだ。管轄が違うだろ。俺たち軍部の人間は、許可がないと法務部や王宮方面には入れない」
 苦々しげな声に、クリスは目を見開いた。つまり、追っていった者はそちらの管轄から様子を見に来ていた人間ということなのだろうが、果たしてそんなことに拘っている場合だろうかと苛立ちが膨れあがる。
「緊急の事態だろう。例外措置にはならないのか!?」
「例外を認めれば、部外者が入り込む隙になる」
「だからって――」
「何事です、騒々しい!」
 突如割り込んだ声に、クリスは弾かれたように振り向いた。
「静まりなさい。責任者はどこですか!?」
 まさにクリスが声を張り上げた絶妙のタイミングではあったが、彼個人を批難したわけではなさそうである。目を凝らせば、財務省の建物から続く通路に、落ち着いた足取りのふたつの影があった。
「オルブライト財務長官!」
 数人が異口同音に叫ぶ。その声が耳に届くと同時に、先ほどまでとは異なるざわめきが急速に広がった。
 クリスも手を止めて、唖然としながらその方をじっと見遣る。彼に胸ぐらを掴まれ、まさに殴られる寸前だった逃亡者も、周囲の変化に瞬いて無理矢理首を上げた。
「責任者、手を挙げなさい」
「主任は既に、……代理人ですが、ここです……」
 弱々しい声は、爆発の中心部付近から上がった。案の定、と言うべきか。意識を失うような重症ではない様子だが、国の重鎮に呼ばれても駆けつけないあたり、相応の怪我は負っているに違いない。そうしてそれは、オルブライトにも明らかだったようだ。
 本来リーダーシップを執るべき者がそれどころではないと悟ると、彼は緩く頭振り、次いで声を上げた。
「軍部の救援も来ているようですね。よろしい。あなたがたはそのまま逃亡阻止に全力を注ぎなさい」
「は、……はい!」
 落ち着いた声音に、直接聞こえなかった面々にもその意志が伝播していく。それを認めた後オルブライトはおもむろに懐から小さな何かを取り出して口に当てた。一拍置いて、甲高い音が響き渡る。
 呼び子笛――否、この場合は警笛と言った方がふさわしいだろう。それには幾つか種類があるとのことだが、オルブライトの一吹き後に他からも答えるような音が響いたところを見ると、警戒及び救援を要請する類のものに違いない。
「遠くからの救援も来るでしょう。その間本来収容所番に当たっていた者は、規定通りの場所へ報告のために散りなさい。マホニー主任、あなたは……」
 騒ぎの中心から少し離れた位置にいた面々は、矢継ぎ早に下される指示に上擦った声で応じ、その場を去っていった。乱闘のさなかに居るクリスたち救援組は、手当たり次第に逃亡者を掴まえては残る牢へと押し込んでいく。自分がどう動けばいいのか判らないうちにあった迷いは、命令をもとに完全に消え失せていた。
 的確な指示の元、それぞれが役割に集中すれば俄然、効率は上がる。ただひたすら周囲の邪魔となっていた事務系の官吏たちにもオルブライトの言葉は飛び、右往左往するだけの者がいなくなったこともその後押しとなったのだろう。
 破壊された牢付近からの新たな動きは段々と鈍くなっていく。だが、騒動の第二段階で一斉に逃げ出した収容者を捜し出すことは時間を追う事に困難となりつつあった。
「クリス」
 死角に隠れていた男を引きずり出したところで、背後から呼びかける声にクリスは慌てて振り向いた。
「こっち」
 言葉短く手招きをするのはアランである。何度か瞬き、そう言えばオルブライト財務長官は二人連れでやってきていたような、と思い返す。
 弛んだ手から逃れようとした男を明るい方へと蹴り出し、クリスはアランの方へと足を進めた。
「なんだ?」
「ちょっと手伝って欲しい。法務省方面に逃げたのを追った奴らが帰ってこない」
「なに?」
「いいから、早く。嫌な予感がする」
 近くで見つめたアランの顔は、これまでになく真剣だった。むろん、単純に人の心配しているわけではなく、取り逃がすことによって起こる事態を憂慮しての表情だろう。
 何故自分に、という疑問は声に出す前に答えに行き着いた。否、アランを見て思い出したと言うべきか。
 発起人の名と責任のもとに、任務中に限り、公共施設への出入りは不制限となり、私邸へさえも、免状なしの強制捜査を断行することができる。――この権限こそが、特捜隊の真髄なのだ。発起人であるオルブライトが一枚噛んだ今、まさにそれを使うべき状況であり、躊躇することはむしろ怠慢となる。
 硬い表情で頷き、クリスはアランに案内を請うた。アランは所属する財務省のトップである長官が指揮を執っている為か、普段より二割り増しに真面目になっているようである。余計な一言もなければ、揶揄するような態度もなく、ふたりの足は迷いなく暗い道を進んでいった。
 どれほど進んだか。やがて前方に、道を塞いで倒れる人の姿が目に飛び込んだ。
「あれは」
 呟くアランの声に、それを完全に消すほどの悲鳴が被る。ふたりは顔を一瞬顔を見合わせ、次いで全速力でその方へと駆けた。
 暗がり、頼りない灯りの下で数人が絡み合い争っている。追われる方に武器はなく、追う方はそれを失ったようだった。双方足して十人足らず。目を凝らせば規定の服か否かがかろうじて判る程度で、入り乱れる争いの場では咄嗟にどちらを援護するべきかも判じにくい。
 もうすぐ到着するという段になって、クリスはどうしたものかと迷いに足を鈍らせた。
「ぐっ!」


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