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 そのうちにも、ひとりが強烈な打撃を受けて昏倒した。仲間の危機を察し、脇から別の男が飛びかかる。だが、それを容易く避け、回した足で二人目の犠牲者を出す男。顔や体格の詳細は判らないが、見るからに大柄、というわけでもなさそうだ。
 だが、
(強い)
 明らかに、単なる喧嘩レベルの強さではない。少なくともこの場に居る面々の中では群を抜いているだろう。そうして、そこまでの強さでありながら、積極的には襲いかかろうという動きがない。
 つまり、彼は捕らえる対象だと、緊張を走らせながらクリスは乱闘現場へ突入した。
「! クリス!」
「判ってる!」
 ふたりと乱入によって生じた反応はふたつ。即ち、歓喜と驚愕だ。そして後者の反応もふたつだった。
 愚かにも――或いは仲間を逃がすためか、手近な相手にがむしゃらに飛びかかる逃亡者を制し、アランがクリスの通る道を作る。躊躇わずに空いた空間を駆け、クリスは更に奥へ逃げた男たちを追った。アランが自ら追わずクリスにその役を任せたのは、肉弾戦における能力の差を鑑みてのことだ。
 前を走るうちの一人が、ちらちらと確実に距離を詰めるクリスを窺って焦りを見せる。思ったほど速度が出ていないのは、先ほどからの戦闘でどこか痛めているためだろう。ときどき右に傾く動きに目を細め、クリスは追いつく寸前に剣を勢いよく鞘から抜いた。
「ぎゃあ!」
 左腰部から右脇へ、薄く裂いた一撃が男の足を止める。むろん、浅い切り傷程度で致命傷にはなり得ない。だが生まれた隙は大きかった。よろめいた男と更に距離を詰め、クリスは彼の右足を思い切り蹴りつける。
 倒れる男。その足を更に払い、勢い、クリスは男の脛骨に体重をかけて踏みつけた。
「あああああああああっ!」
 太い悲鳴が夜を震わせ、そして唐突に途切れた。確実に骨折はしているが、この後の経過で感染でもしない限り、間違っても命に関わるような怪我ではない。痛みに気絶した男を一度見下ろし、クリスは再び足を進めた。
 もう一人。だが、それが例の手練れだ。今のように上手くはいかないだろう。
 彼もまた負傷しているのか、クリスが今のひとりに構っている間にも、見えないほどに遠くには行っていないのが幸いだった。離れた場所に設けられたかがり火に、走る影が揺れている。とは言え視界は悪く、常に目を凝らしていなければならない状況は、追いかける側が有利というわけでもない。気を抜いた方が負け、というのが正しいところだろう。
(もう、どこがどこやら……)
 特捜隊の権限がなければ、自分が誰何される身になることを恐れて深入りできなかったに違いない。そこまで考え、クリスは僅かに顔を顰めた。
 前を逃げる男の足に迷いはなく、他にひとりとして出会うことがない逃走経路。更に言えば完全な闇になることもなく、男に逃げる道を示しているようにかがり火が配置されている。否、急遽設けられるような数ではない。光のある道を男が選択しているのだ。
 そうなれば、導き出される答えはひとつ。男は、一般人が一生足を踏み入れることもないこの場所を熟知しているということだ。
(多少腕の立つ下っ端……小者じゃなさそうだな)
 すわ、今日の爆破事件の主犯か、とクリスは喉を鳴らした。そうしているうちに男が、右手に見えていた建物の角を曲がる。一瞬、視界から追うべき姿を見失ったクリスは、焦りに拍車をかけながら同じように屋内へと足を踏み入れ、――そして強く奥歯を鳴らした。
(しまった!)
 どこかに灯りがついているのか、完全な闇というほどではない。だが、如何にも暗い。少しばかり夜に慣れた目になっているとは言え、土地勘のないクリスには絶望的な状況だった。
 そう遠くない場所で、土を蹴る鈍い音が響いている。だが、屋内だ。想像もつかない形に反響している可能性もあるだろう。
 数秒の逡巡の後、短く舌を打ちながら、クリスは覚悟を決めて殆ど手探りに後を追った。殆ど勘頼りであり、むろん、速歩程度の進みにしかなりえない。
 続く、息を殺した追跡。緊張に、神経が焼き切れそうな感覚を覚え、頭振り、クリスは額から汗を滑らせた。
 段々と遠ざかる足音。途切れては聞こえ、消え、探り、また微かな音を拾う。
 そうしてどれほどの時間が経過したか――
「!」
 突然、ぞわり、と神経を逆なでる妙な感覚が体を貫いた。言うなれば、誰かに見られている、或いは付けられている、そんな不確かなものを強くした感覚に近い。
(待ち伏せ、いや誰かが……!?)
 居る。そう認識した瞬間、今度は確かにごく近くで何かが動く音をはっきりと聞いた。
 急激に膨れあがる殺気。そして殆ど間を置かずに閃いた剣先に、クリスは反射的に鞘に入ったままの剣を振り上げた。
「っ!」
 呻いてクリスは咄嗟に後じさる。かろうじて剣を落とすことはなかったが、それだけだ。重い一撃を受けた左手は痺れ、間接的に受けた衝撃に痛みすら走っている。右手は既に柄を握っているが、それ故に上手く抜き放つことができなかった。
 当然、向かい来る相手がそれを見過ごしてくれるはずもない。
 容赦ない剣先は的確にクリスの急所を狙い、そのたびにクリスは全身から汗が噴き出るのを感じた。左右から迫る壁の狭さと暗さがなければ、彼はとうに切り裂かれていただろう。或いはクリストファーの体が持つ反射行動に助けられてのことか。体の動きに、どこか意識が遅れているのを感じながら、クリスは必死で避け続けた。
 大気を裂く鋭い音。剣先が掠めたか、壁際に小さな火花が散る。
 数秒後、ようやくのように剣を抜いたクリスは、そこで初めて攻撃を跳ね返すことに成功した。高い金属音と共に、相手が僅かに距離を取る。
(くっ……!)
 だが、間隙があったのもほんの一瞬だ。否、それすらも必要な間だったのだろう。すぐに攻撃は再開された。クリスの間合いを測りつつ、誘いをかけるような閃きが舞う。
(強い……!)
 一合、二合と打ち合う内に、更なる焦燥が生まれる。防御に専念せねばならぬほど、隙がない。相手の技量は確実にクリスのそれを上回っていた。
 鋭く速く、迷いのない攻め方は、相手になんら疚しいところがない証拠か。暗さをものともせず、むしろ、その互いに不利な状況をクリスの方に傾けさせるように巧みに立ち回っているのだろう。そのある種堂々とした剣の応酬から判ずるに、逃げていた者が反撃に出たというわけではないようだ。
「……っ!」
 防ぎきれなかった一撃が、クリスの左手の甲を裂く。咄嗟に、クリスは左上半身を後方へ引いた。
 その行動は、相手には予想済みだったのだろう。隙に、下から上げられた足先が、正確に右手の手首を蹴り上げる。既に痺れかけていた利き手は、それを受けてあっけなく剣を取り落とした。
 狭い空間に、剣が床を叩く音が響き渡る。
「くそっ……!」
 折れてはいないが、確実に後で腫れてくるだろう右腕を押さえ、クリスは固く目を瞑った。
 だが、
「クリス?」


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