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(本当は死んでいるはずの私が言えた事じゃないんだがな……)
 小さく自嘲すれば、同じタイミングでレスターが何事か呟いたようだった。
「何か言ったか?」
「いや、何でもない」
 レスターは一度正面に向けた顔をゆっくりとクリスに向け、そして緩く頭振った。丁度彼の真横にあったかがり火に照らし出され、クリスに被さるように大きく彼の影が揺れる。視覚的にどうにも強く映った否定になんとなしに追及することも出来ず、クリスはただ眉を顰めた。
「まぁいいが、――そう言えば、家族と言ったが、お前、帰らなくてもいいのか?」
 既に日付が変わって随分と経つ。今更門を叩いたところで家の者には迷惑となるだけだが、そもそも、非番である様子のレスターが、夕方以降に職場をうろうろとしている方がおかしいと言える。
 クリスの問いに僅かに足を止め、レスターは心底意外そうな声を上げた。
「家に帰る? 何故?」
「何故って……、待ってる人がいるだろう?」
 エマを思い浮かべながらそう返せば、レスターは僅かに目を細めたようだった。それはどちらかといえば無表情に近く、彼の考えを読み切れなかったクリスは動揺に眉根を寄せる。
「まぁ、理想を言えば、そうなるな」
「は?」
「私の噂は知っているだろう。それが全てだ」
 クリスは思わず口を引き結んだ。夕方、アントニーと見た光景を思い出す。
「悪い噂と自覚しているのなら、何故改めようとしない?」
「それも、私だからさ」
 強く言い切り、そうしておいてレスターは突如、張り詰めていく雰囲気を和らげるように微笑した。
「……と、まぁ、これでは頭の硬いクリスには通じないだろうな」
 喧嘩を売っているというよりは、この手の話題に几帳面さを出すクリスを揶揄してのことだろう。若干の不快感を覚えながらも、クリスは肯定するように頷いた。
 そんな彼を見て、レスターはますます可笑しそうに笑う。
「仕方がない。今日は引き上げるとするよ」
「帰るのか?」
「帰れと言ったのは君だぞ。それに、非番の私が事故現場とやらに顔を出すとややこしくなるかもしれないからな」
「まぁ、それはそうだが」
「君も、私と連れ立って帰って、どういう知り合いだと勘ぐられたくないだろう?」
 言葉に、クリスは足を止めた。――そう言えば、夕方にも言い訳に困ったばかりである。
 忘れていた自分の単純さ加減を呪い、そもそもの発端を作ったレスターを睨み、クリスは乱暴に頭髪を掻き毟った。
「非常に、同感だ。……とっとと帰れ」
 仏頂面を見て今度こそ声に出して笑い、レスターはクリスから数歩遠ざかる。そうして悪戯っぽい表情を作ると、彼はあっさりと手を振って去っていった。
 小雨の中、闇に姿を消していく彼を見送り、クリスは深々とため息を吐く。
(なんか、いろいろ誤魔化された気がするけども)
 引き留めて起こる事態の方が面倒だと、クリスは思いを振り払うように緩く頭振った。

 *

 迷いながら戻ってきた事件現場は、飛び出していった時よりも状況としては随分と落ち着いていた。それでも追加された灯りの中を、人々は相変わらず走り回っている。
 既にオルブライト財務長官はこの場を去っているようだった。途中で別れたアランが戻っている様子もない。
「おい、クリス!」
 呼びかける声に顔を上げれば、小雨の向こう、アントニーが数人隔てた場所で手を大きく振っていた。
「どこに行ってたんだ?」
「悪い。逃げたのを追いかけて、少し迷ったようだ」
 随分と端折ってはいるが、嘘ではない。努めて平坦な声で言えば、アントニーは呆れたように眉根を寄せた。
「はぁ、なんか、心配して損した。素人に下手するとは思ってないけど、お前、発作があるって言うし」
「――すまない」
 数々の言い訳のために信じ込ませた嘘が、悪い方向に展開したようだ。心底から罪悪感を覚え、クリスは深く頭を下げた。
 驚いたのはアントニーである。
「うわ、お前、何やって……、いいから、頭上げろよ。無事だったんだから、問題ないしさ」
「いや、本当にすまない」
「止めてくれって。俺も、勝手に目を離したから見失ったわけだし、お互い様だからな」
 ゆっくりと姿勢を戻せば、アントニーは深く息を吐いたようだった。
「まったく……、まぁ、いいか。それより、そろそろ戻ろうぜ。充分応援が来たみたいだし」
 宿直室を離れて相当の時間が経過している。非常時とはいえ個別に某か役を与えられたというわけでもない今、もともとの任務を放ってこの場に留まる理由はない。
 頷き、クリスはアントニーの後を追いながらその背に声をかけた。
「被害状況は知ってるか?」
「んー、又聞きだと、何人か死んで、十何人かが怪我したって感じみたいだ」
「逃げた奴らは?」
「何人かは上手いことやったみたいだな。けど、財務長官の指示ですぐに伝令が走ったから、今頃はそこらじゅうで検問所が設けられてるかもな」
 まさに、ひとり逃がしてしまったクリスには、返す言葉もない。次に会ったとき、アランに何と言われるかと思えば、憂鬱のままに疲労がのしかかるようだった。
「けど、財務長官が指揮をとってくれたからまだしもだったんだろなー……。他の奴らはうろうろしてるだけだったし」
 言い、アントニーは深々とため息を吐く。この場合、彼は自分を棚に上げているわけではない。「奴ら」の示すところは、一部門の責任者レベルを指すからだ。
 いくら現場責任者が負傷して指揮の執れる状況ではなかったとは言え、あの場には既に各方面の管理職も様子を見に来ていた。具体的に何が出来るという権限があるわけではないが、彼らが己の管轄内の指揮だけでも執って良かったはずである。管理職という肩書きを鵜呑みにするのなら、少なくとも、上司の命令を第一とする下っ端がその場しのぎに当たるよりはましな状況へ導けただろう。だが実際は、その場しのぎの対応に当たっていた者たちよりも役に立たなかった。
 彼らに比べて、オルブライトが万能ということはない。その証拠に彼のとった指揮は各専門担当者にそれぞれの役割を振る、或いは自覚させるという程度のものだった。彼はと言えば極端な話、口を出しただけで自ら他に動いてはいない。
 それでも彼は、雑然としたその場を綺麗に整理して収めてみせた。管轄の全く違う部署の報告体勢や緊急時の動き方まで、全てを把握しろというほうが無理であることを思えば、彼の対応は常識的に有効だったと言える。さすがと讃えるべきか地位に比して当然と言うべきかはクリスには判らない。


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