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10.


 しばし、微睡む。
 仮眠というのもおこがましいほどに短い休息、その呆けた夢の中に現れたのは、誰だったか。
 人殺し、と罵る声。
 返して、と詰る叫び。
 ただ哀しそうに見つめる目。
 全ての表情は異なり、だがその全てがクリスを批難している。だが、クリスは強く頭振る。
 ――好きでこうなったんじゃない。私にだって、どうして良いのか判らない!
『違う、お前は判っている』
 口々に人々が言い、嗤う。
『お前は自分がどうしたいのかに気付いている』
『だからどうしていいのか判らないふりをしている』
 ――違う。
『違わない。ごく、簡単な解決方法から逃げている』
『苦痛から逃れたい為に逃げている』
 ――違う!
『彼が待ってくれると言ったから。それに縋っている』
『本当は、解決方法なんかひとつしかないのに』
『手放すことなんか出来はしないのに』
『別れることなんか、自分から出来はしないのに』
 嘲笑に、クリスは耳を塞ぐ。
 ――違う、違う、違う! 私は、このままでいいなんて思ってない!
『じゃあ、死ねよ』
『君が消滅すれば、それで万事解決なんだよ?』
『簡単な事じゃないか』
『今すぐ、全てが終わるじゃないか』
 ――だけど、だけど!
 
『ソレデ”違ウ”ナンテ、ヨク言エタモンダネ』
 

「煩い!」
 勢い、上体を起こしてクリスは荒い息を吐く。
 灰色の壁、くすんだ茶の天井。アントニーが帰宅前、強引に確保してくれた仮眠室だ。訓練場からも離れた一室は、時間にして使用する者が少ないのか、鼓動すら響かせるような静けさが落ちている。
「……夢」
 頬を伝う汗を拭い、その手の大きさにぎよっとして目を見開く。無意識に掻き上げた頭髪は本来のそれよりも色濃い短髪だ。掌から手首へ、肘へ、視界に映る男でしかない両腕に、クリスは強く眉間に皺を寄せる。
「嫌な、夢だ」
 呟き、彼は両膝の間に頭を埋めた。

 *

 同日昼過ぎ、クリスは重い頭を抱えたまま、伝令に指定された一室へと足を運んだ。夢にうなされ、――それ以前にどうにか夜勤を終えた体は歩くことも億劫なほどに怠く、本音を言えばこのまま家に帰りたい、といったところである。
(いや、自分でも酷い顔してるのは判ってるし、どっちの家に行っても皆が心配するのは確かだし)
 とは言え、軍部の仮眠室を借り続けるというのも気の休まらない話だ。朝はともかくとして、夜勤に向けて遠方の者が休みに入る時間ともなれば、どこで誰に会うのか判ったものではない。そういう理由もあって、クリスは会議への参加を了承しその場に向かっている。
 今回の集合場所が近い軍部内であったことが幸いか。
 堰き止めきれないため息を吐きつつ、扉を開け入室したクリスは、先に到着していた人物を見て僅かに目を細めた。
「なに、その嫌そうな顔」
 アランである。クリスほどには疲労の色もなく、普段通りといった様子だ。彼に睨まれ、クリスは決まり悪げに視線を逸らした。
「その……すまん。逃した」
「何で僕に謝るのさ」
「お前が俺に任せてくれたのに、期待に添えなかったからだ」
 言い切れば、アランはぎよっとしたように目を見開いた。それを見てクリスは、今の科白は重かったかと内心で冷や汗を流す。
 数秒の沈黙の後、アランは呆れたような表情で後頭部を掻いた。
「別に、僕よりは適任だと思ったわけだし。あんたが無理なら僕も無理だったろうから、仕方ないんじゃない?」
 肯定する皮肉が飛び出すかと思いきや、意外にもフォローするような言葉に、今度はクリスの方が驚いた。それに気づき、アランはむっと口を尖らせる。
「自分ができないことを、任せた他人もできなかったからって怒る趣味はないよ」
「そう、だな」
「だから、なんだよ、その生返事」
 湿った目にクリスは狼狽えた。この状況で、罵られると思った、などと真実を言う勇気はない。
 慌てて高速で首を横の振れば、すぐ近くから笑声が響いた。
「いつの間に懐かれたんだい?」
「ダグラス。居たのか」
「酷いな。さっきからずっと居るよ。それとも、僕のことはもう眼中にはない?」
「気色の悪いことを」
 こちらには遠慮無く睨み、クリスはやや乱暴に手近な場所に腰を下ろす。アランの方は、今度こそむっとしたように、目を細めて少し離れた場所の椅子を鳴らした。
 彼の反応もいまいち判りにくい、――そう思いつつ、クリスはダグラスに密談宜しく顔を寄せる。
「それより、ダグラス」
「ん、何?」
「王宮や政治に関連した施設に、抜け道はあるのか?」
 顰められた声に、ダグラスは何度か瞬いて首を傾げた。むろん、彼の理解能力が低いというわけではない。クリスの問いが唐突に過ぎるのだ。
 どういうことかと無言で問うダグラスに、クリスは昨夜、もとい日付をまたいで今日と言うべき夜のことを語る。しばし大人しく耳を傾けていたダグラスは、話が進むにつれて次第に眉間に皺を寄せ始めた。
「つまり、王宮方面で見失ったってこと?」
 レスターとのやり取りに関してはややこしくなるという意味で省いている。
「王宮ねぇ。どうだろ。ない、とは言い切れないけど、はっきりとあるとも聞いたことはないね」


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