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「なに、あれ」
 アランが不快感も顕わに呟くが、さすがのヴェラも止める言葉が見つからないようだった。僅かな会話で精気を吸い取られたようなキーツは、ある意味その後ろにいたクリスたちの盾となったと言うべきか。
「――とりあえず、中に進むか」
 振り返り、苦笑をもってそう促したキーツに付いて、四人はそのまま広い通路に足音を響かせた。
 出会う者は殆どいない。時々通りがかる下働き風の男や女は、クリスたちを見て驚いたように去っていく始末だ。外界の者を見て逃げているようでもあり、余計なことに関わりたくはないという意思表示のようにも見える。
(閉鎖的だな)
 全体的に採光が悪いということもあるだろう。冷えた空気がどこか重苦しい。
「相変わらず陰気だね」
 嘘か誠か、慣れた素振りで肩を竦めているのはダグラスである。
「昔はここが政治の中心だったっていうから、閑散としてるのも仕方ないんだろうけどさ」
「いつの話だ?」
「今の制度が確立される前の話だよ。昔はちっさい王国の城だったんだって」
 ダグラスの曖昧な話は、別段初耳というわけではない。現在の特殊な制度ができあがる遙か前は、小さな国が盟主を立てて周辺の大国に対抗していた連合国だったのだ。紆余曲折を経てそれらがまとまり、この地を治めていた国が王家として血を残して今に至る。意外なことに、ここに血なまぐさい話は入らない。消えていった国々は争いにより併合されたと言うよりも、歴史の流れのうちに徐々に力を失い、自然と吸収されていったと言った方が正しいだろう。
 成り立ちから考えれば国の主権は王家にあり、実は現在もそれに変わりがない。
「もう少し、華やかだと思っていたんだが」
 だが実際は、クリスの感想の通りである。
「まさか、王宮の役人も出払っているのか?」
「まさか」
 大げさに手を横に振り、ダグラスはにやりと口端を曲げた。
「ちょっと考えれば判ることだよ。そもそも――」
「ストップ」
 くだらないゴシップを披露するかの如く喋りだしたダグラスを止めたのは、アランである。だが、極めて判りやすく不満を顔に出したダグラスに、更なる制止をかけたのはヴェラの呟きだった。
「エルウッド?」
 その言葉の示す者を思い描き、クリスは小さく首を傾げた。不参加者の名前が何故、と疑問のままにヴェラの視線を追い、見えたものに何度も目を瞬かせる。
 一言で言えば、ヴェラの呟きはまさしくその通りだった。続く言葉を与えるならば、「何故ここに」とくるだろう。
「なんだ、急用と言っていたが、こちらの用向きだったのか?」
「キーツさん、――それに、皆も」
 おそらくは気付いていたのだろう。完全に背を向けていたにも関わらず、さして驚いた様子もなくレスターは振り返った。
「招集に応じられず、申し訳ありません」
「いや、強制をかけるほどじゃなかったからな」
「しかし、王宮に用とは、例の賊が逃げ込んだという情報でも?」
「それなら、さすがに軍も動くだろう。そこまではいっていない。そう言うエルウッドは、副業の方の用か?」
「ええ、――」
 僅かに苦笑し、更に言葉を繋ぎかけたレスターが、ふと瞬いて顔を上げる。その仕草を疑問に思う間もなく、丁度彼の前にあった扉のドアノブが小さな音を立てた。
「すまん、待たせたな、……と、おや?」
 扉が微かに軋む音と共に、男が奥から顔を覗かせた。おそらくは50代半ばであろう、口ひげの似合う紳士である。若干肉付きの良い体格ではあるが、年にして見苦しいというほどではない。若い頃はさぞかし人目を惹いただろうと容易に偲ばせる男だ。
「話し中だったか?」
「いえ、大丈夫です」
 一度目を眇め、レスターは彼には珍しい形ばかりの笑顔をもって首を横に振った。
「偶然知人に出会ったまでですよ、義父上」
「ほう、そうか。なら、こちらも時間がない。来て貰うぞ?」
「結構です。……では、失礼します」
 きっちりと、礼儀作法の見本のような礼をしてレスターは「義父上」の後を追い扉の中に消えた。必要性があったとしても、呼び止める間などなかったに違いない。挨拶もなにもない、ほぼ一方通行の下知のような口調だった。阿呆のように口をぽかんと開きかけたクリスが、慌てて表情筋を引き締めるまでに数秒の時を要したほどである。
 キーツは顔を顰め、ヴェラは冷ややかに口を閉ざし、アランとダグラスは揃って皮肉っぽい笑みを浮かべた。
 それぞれの反応は、おそらくはそれぞれの持つ情報量に影響されてのことだろう。自分の反応が一番情けないと自覚しつつ、クリスは敢えて口を開いた。
「……あの人は?」
「マーティン・ウィスラーだな」
 キーツが短く息を吐きながら告げる。
「エルウッドの義理の父だ」
「というと……」
「妻の父親だな。彼自身は単なる王宮の事務官のひとりだが、宮廷管理官の長の縁戚でもある。美貌の娘の父親として知られていたし、彼女を射止めたエルウッドも充分有名だ。社交界にちょっと詳しい奴なら誰でも知ってる」
 別段、声を潜めるような個人情報でもないようである。それすらも知らなかったクリスとしては、苦笑するしかない。だが、仲間を求めなんとなしにヴェラへと目を向けた彼は、次の瞬間に大きく後悔することとなった。
「クリストファー・レイ」
 先だってのレスターに通じるような完璧な笑顔で、ヴェラが改めたように呼ぶ。
「初めに挨拶をしたときに、私が批難した内容を覚えていますか?」
「……一応」
「そう、ですか」
 緑の目が細められ、もともと、そう高くもない声が、更に低音を帯びる。その様に素直に降参の意を示し、クリスは短い謝罪を口にした。それを耳に、わざとらしくヴェラがため息を吐く。そうしておいて彼女はクリスの袖を掴み、バジル・キーツの方へ向き直った。
「キーツ様、私たち、調べたいところがありますので、別行動を取らせていただいても構いませんか」
「え」
 短く、驚愕の声を発したのはクリスである。他の三人も同様に、突然の申し出に瞬いたようだったが、口にしては何も言わなかった。
「勿論、王宮から出ることはありません」
「どこへ行く気だ?」
「書庫です。法務省でまとめられた過去の事変について保管されていると聞きましたので。法務省では現在閲覧が制限されていることも、某か発見できるかも知れません」
「居住区と祭殿の方に近づかなければ問題はないが、……レイも一緒にか?」


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