[]  [目次]  [



「はい。私は書物に目を向けると入り込むことがありますので、周囲への警戒役を兼ねて貰うつもりです」
 ここで、キーツが訝しげな目をクリスに向けた。疑惑と言うよりも戸惑いの意味合いが強い。
「お前の方はどうだ?」
「……異論ありません」
 異論など挟める雰囲気ではない、というのが本当のところだが、むろん、口に出来るわけもない。どれだけ鈍感な者でも気付かざるを得ないほどの威圧が、ヴェラの体表面から噴き出している。他の者は彼女の突然の変化に、我関せずを決め込んだようだった。
「では、調査に与えられた刻限までに、正門にて待機します」
 堅苦しいまでに正確に礼を取り、ヴェラはその身を翻す。
 そうしてクリスは、三対の生暖かい視線に見送られながら、王宮の書庫へ連行されることとなった。

 *

「それで、どういうことだ?」
 乾いた空気の充満する書庫の扉を閉めるや、クリスはヴェラに低く問いかけた。幸い、周囲に人気はない様子だが、警戒するに越したことはない。
 それまでずっと前を歩いていたヴェラが、掴んでいた袖を離しくるりと振り返る。一瞬身構えたクリスだが、彼女の表情に怒りや呆れの色が無いことを確認して、反対に目を見開いた。
「一度、あなたも情報を正確に把握する必要があるでしょう」
「それはつまり、俺が知っている事柄を、深く把握していないと言いたいわけか」
「その通りです」
 頷き、ヴェラは腕を組む。
「ですが、確かにあなたの立場では、私たちのように職場や仲間を通じて調べることは難しいとも判ります。特捜隊の一員と言えど、あなたにはその権利をどう使えばいいのかが判らないでしょうから」
 返す言葉もなく、クリスは眉間に皺を寄せた。特捜隊の真髄、つまりは夜クリスが行使した権利を上手く利用すれば、情報収集は格段に易くなる。だが同時に、秘密裏に構成される部署であることも考慮しなければならない。そのあたりのさじ加減と肝心の利用場所がクリスには皆目検討つかないのだ。
 見抜かれているなと思いつつ、己の経験の浅さと度胸のなさを自覚する。側頭部を小突き、クリスはどこか薄暗い書庫の中を見回した。 
「それで、調べる場を案内してくれたのか?」
「目的は。ただし、他の者にはあまり聞かせたくない話もあります」
「何?」
「まぁ、半分は小言です」
 渋面で、ヴェラは緩く頭振る。
「いいですか。繰り返し言いますが、情報は貴重なものです」
「ああ」
「ですがあなたは、忠告したにも関わらず、エルウッドやユーイングのことを調べていなかったようですね」
 これも、反論の余地はない。
 全く持って面目ないとは、このことだろう。事件のことは出来る範囲でひと通り調べたクリスではあったが、特捜隊の面々については通り一遍の情報しか得ようとしていなかったのだ。否、人物に関しては特に、得ようとしても現在の「クリス」では伝手がないためどうしようもないとも言う。
 強いて反論するとすれば、家族構成や付き合いの範囲等、プライバシーの侵害に及ぶ範囲は深入りを避けるべきだと言いたいところであるが――。
「私は、彼を特捜隊にねじ込んだのは、彼の義父ではないかと思っています」
「え」
 呆れたような息を吐きながらヴェラが投げた爆弾は、綺麗な放物線を描いてクリスに直撃した。ゴシップネタどころではない。特捜隊ではじめにヴェラが忠告した内容に、完全に沿っていたのだ。
「若年層の国民の意識から、王宮という場所と権力が結びつきにくくなっています。そして畏敬の念も」
 以前から少しずつそういう傾向はあったのだろう。だが最大の切っ掛けとなったのはむろん、五年前の事件だ。
 領主という特殊な地位を与えるにあたり、審査するのは三省の担当者たちだが、最終的に決定を下し、国が持つ権利を地位という形で一部権力を譲渡する証明書を発行するのは王宮だ。そのため、組織の首魁を領主に就けたと五年前には随分と無能さを叩かれたという。
 おまけに捜査の手は王宮にまで長く伸び、「厳粛にして畏敬を受けるべき」神聖な場所が侵されたと、王宮関係者は組織も三省関係者も十把一絡げに嫌悪しているとのことだ。
「五年前の事件から、王宮側の発言権は弱くなっています。いえ、オルブライト財務長官やハウエル法務長官の人気と基盤がより強固になったと言うべきでしょうか」
 もともとの国王及び王宮の権力は強いが、近年はヴェラの語った理由で雰囲気として発言権を弱くしている状況にある。むろん、絶対的な最終権限は前者にあり、それが揺らぐものではない。だが、それでも王宮側にとって面白い状況でないのは確かだろう。
「人身売買組織の件に重大な漏れがあったということは、長官たちを叩く格好の材料となります」
「つまり、いち早く例の”物証”とやらを手にして、それを処理することで王宮の力を強めようと?」
「ええ。そのために、財務長官の立ち上げた特捜隊にレスター・エルウッドを食い込ませたのではないかと思っています」
 なるほど、とクリスは顎を撫でた。ヴェラの言うことは簡単に聞いただけでも理解できるほど筋が通っている。彼女の説明方法が判りやすいということもあるだろう。
 理解し、己の浅い考えを恥じると同時に、クリスはヴェラに謝罪と感謝の言葉を述べた。どういう思惑かは判らないが、少なくともヴェラは、損得を勘定に入れない立ち位置で彼に発破をかけてくれている。
 素直な態度に、彼女は目元の力を緩めたようだった。それを認め、とりあえずはと胸をなで下ろし、同じ手で後頭部を掻き乱す。
(しかし、王宮まで出てくるとは……)
 これ以上関係する組織など出てくれるな、というのが正直な感想である。表面的には協力し合っている軍部、法務省、財務省ではあるが、奥の処ではそれぞれが優位に立とうと情報戦を繰り広げているのだ。更には同じ組織内でも個人的な思惑を持って勝手に動いている、ヨーク・ハウエルのような人物もいる。
 ヴェラが示唆するとおり、特捜隊が各方面からの情報争奪戦の先兵であるとするなら、クリスの知らないところで、メンバーたちは腹の探り合いを行っているに違いない。否、今ひとつの考えとして知らされたように、大手を振って他部署の情報を得られる立場となるために、特捜隊に入り込んだと言うべきか。
 しかし、とクリスは思う。
 そうして、互いが出し抜こうとしている中、その思惑を知りながら治外法権を与えるに等しい部署を立ち上げた、ルーク・オルブライト財務長官の意図はどこにあるのだろうか。彼の人となりを見る限りでは、純粋に、事件の解決を信じて発起人となった可能性もある。
(だけど、長年政治家ををやってる人が、そこまで甘いものか……?)
 セス・ハウエル法務長官は一度直接話し合うという奇禍に見舞われたために「老獪な権力者」といった印象で確定している。だが財務長官はといえば、実のところ面と向かって話したことなどないというのが現状だ。そんな彼の思惑を測るなど、むしろ愚に過ぎるだろう。


[]  [目次]  [