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 緩く頭振り、クリスはヴェラへと目を向けた。
「ヴェラは、俺に考えなど明かしていいのか?」
「私は法務省の人間ですが、法務省の傀儡になっているわけではありません。五年前、私はまだ若輩者で何の役にも立てずに悔しい思いをしました。ですから、今この機会には真実、事件を解決に導く渦中にありたいと思っています」
「それは判るが」
「あなたは、事件に巻き込まれたからこそ、絶対的な被害者だからこそ、特捜隊に選ばれたのでしょう?」
「……だと、思うが」
「だから、です。純粋に事件そのものの解決を追うことが出来ますから。はじめにも言いましたが、私たちは、私たちの立場と役割に引きずられ、事件を本当の意味で解くことができないでしょう。そういう意味で、あなたは自由なのです。――なのに、のんびりとしていることが腹立たしい」
 最後の、小さく付け加えられた言葉にクリスは苦笑した。正直なところ、彼の抱える問題を知りもしないヴェラに、一方的に期待と失望をかけられる覚えはない。事件の解決か、クリスティンの成仏か、どちらかしか叶えられない状況が起こるとすれば、けして他の誰からも理解が得られないとしてもクリスは後者を選ばなくてはならないのだ。
 だが、とも思う。ヴェラは自分への苛立ちをも内包している。どうにかしたくてもできない立ち位置に居る、その歯がゆさは充分に理解できるのだ。
「――すまない」
 結局クリスは、逡巡の後に短い謝罪を口にした。
「すまないついでに、幾つか教えて貰っても良いか?」
「甘えないでください、――と言いたいところですが、いいでしょう。何ですか?」
 溜飲が下がったのか、ヴェラは仕方ないと言いたげに肩を竦め、真っ直ぐにクリスを見返した。
「ただし、私に答えられる範囲ですが」
「結構だ。まず、レスターについてだ。先ほど言っていた副業とは、何をしているんだ?」
「貿易船のオーナーです。父親の興した事業だったようですが、今は経営はウィスラー氏に委ねて船の所有権だけを持っているとか」
「貿易会社か? それなら……」
「貴方の父親の同業者ですね。もっとも、扱う規模はあなたの実家に比べて小さく、王宮や富裕層相手の貴金属や芸術品の輸出入が主な収益だということです。商家としては貴族ではなく、エルウッドの父親が四位貴人を得ていただけで、エルウッド自身の称号は軍部からの授与ですから」
 純粋な収入や旨味は多いが、規模や他への影響力はさほどではない――といったところだろう。
「余談ですが、富裕層相手の商売と言うことで、五年前にかなり執拗に調査の手が入り、それが切っ掛けでエルウッドは事業自体を完全に放り投げた、とも言われています」
 五年前、確かに父パトリックも辟易した顔で連日家を空けていた事を思い出し、クリスは感慨深げに顎を撫でた。商売に情熱を傾けている男ですら大変な状況だったのだ。既にその頃、軍部へと進みかけていたであろうレスターがうんざりしたということも充分に頷ける。
 無論、白という結果が商売に潤滑油として働いたという事実も否めない。つまりは、安心して取引の出来る優良商船として認識されたということだ。
「しかし、そのウィスラー殿は、王宮でそれなりの力を持っているのか? ヴェラの考えによると、国王の意向を読み取るに近い権力者層から圧力を受けているようだが」
「ウィスラー氏の直属の上司が宮廷管理官ですね。権力には執着しているそうですから、現状には満足ならないのでしょう」
 そして最初の話に戻る、とクリスは口の中で独りごちた。レスターが建前として挙げた副業の話は余談のレベルであり、本題は現状報告及び今後の方針の話し合い、といったところか。
 問題は先の短い挨拶で、クリス以外の者は状況を把握していたということに尽きる。
(本当に、何もかも中途半端だ)
 方々で空回りしている現状を憂い、クリスは自らに向けて顔を顰めた。それをどう解釈したのか、ヴェラが珍しくも慰めるように付け加える。
「悲観することはありません。細かい情報を得ていてさえ、事件について解決の糸口も掴めていないのは皆同じですから」
 若干的外れな言葉ではあるが、思いやりであることには違いない。苦笑し、短く感謝を述べれば、ヴェラは緩く頭振ったようだった。
 そうして、話の流れを変えるように書庫の奥へと向かう。
「さて、時間を無駄にしないためにも、ここで存分に調べて帰りましょう」
「ヴェラは、法務省の施設で閲覧できるないようではないのか?」
「私ごときの権限では、閲覧できる範囲も限られています。ですから、もとより、王宮へ行くとなったときに別行動は視野に入れていたのです」
 命令に近い任務であるとは言え、言われるがままに為すのはあまりにも芸がない。与えられた機会を己のために使うべく、行動理由と目的と手段を常に明確に把握しておくことは如何にも重要だ。
 それはおそらくひどく難しい。言葉で言い表すのは簡単だが、行動に移すには強い意志と先を見据える目が必要となる。
 ――だが、難しいが実践は不可能ではない。背筋を伸ばし、細い指を膨大な資料に伸ばすヴェラを見つめ、クリスは僅かに目を細めた。遠い憧憬だ。おそらくはクリストファーが軍人の道を選ぶ前、まだクリスティンに枝分かれした未来が広がっているとき、憧れの先には彼女のような人物が居たのだろう。
 しばし忘れていた感情に思考を委ね、紙の擦れる音に背を震わせる。ヴェラからの小言が飛んでいないことを思えば、立ちつくしていたのは僅かの間だったのだろう。
 何をしている、と頬を叩き、クリスは自らを叱責した。
 疑問はあるのだ。よくわからないキーワードも幾つか頭の中で持て余している。それを整理する良い機会だと気持ちを切り替えるべきだろう。
 思い、クリスは整然と棚にしまわれた過去の事件へと目を向けた。幸い、素人が探すのにもさほど困らない程度に判りやすく分類されている。
(ブラム・メイヤーとバーナード・チェスターか……)
 このふたりは外せないだろう。特に後者は、確実にゼナス・スコットたちの組織と関わっている。
(法務省がそれを知らないとは思えないが)
 何故、ヨーク・ハウエルが単独で動いているのかが気になる、といったところだ。短い期間ながら彼のひととなりを把握せざるを得ない状況だっただけに、それが単なる個人的な拘りであるとは思えない。
 ――”手帳の元の持ち主はバーナード・チェスター。何代か前の財政局局長であり、かつて僕の父、セス・ハウエルと共にサムエル領主、ゼナス・スコットを追った人物です”
 財政局は、財務省の下位組織のひとつである。むろん、名の示すとおり財政を司る省のメインの部署であり、長官を目指すものの通る通過点のひとつとされるほどの席だ。イエーツ国の仕組みからしてそれは凡庸な人間に務まる地位ではなく、最低限、情報を分析し的確な判断が出来る者が選出される。むろん、内面的な人間性はともかくとして、だ。
(こういう場所には、歴代の管理職名簿が……あった)
 年度別の組織図を手に取り、クリスはパラパラとページを捲った。無関係の者が見る機会はほぼないが、役所に勤めている者なら誰でも存在を知っている、という程度の冊子だ。出回っている物よりは詳しいようだが、それにしても機密性はないに等しい代物である。
(五年前には、いないはず……であってるよね。既に財務長官がパートナーになってるし)


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