[]  [目次]  [



 念のためと、六年前から順に冊子を開き、チェスターの名前を探す。財政局局長という地位が明らかになっている為、さほど手間の掛かる作業ではない。
 開けては閉じ、を繰り返すことしばし、十七年前の役員名簿に視線を走らせたクリスは、ようやく目的の文字を目に留めた。そうしてその注意は周辺の文字をも浚い、時をおかずして今度は驚愕に目を見開くこととなる。
(副局長にルーク・オルブライト……? まさか)
 現在の地位を思えばむろん、あり得ない話ではない。
(いや、このときに薫陶を受けたから、後を継いだのかも)
 だが実際の所、チェスターがセス・ハウエルと手を組んでいたという情報はヨークの弁でしかない。前後数冊を一気に抜き取り、広い机の上に広げて見比べる。
 チェスターは五、六年ほどは局長を続けている。印象としてはそろそろ昇進間近といったところか。そこで突然名前が消え、翌年その地位にはルーク・オルブライトが収まっている。副局長が局長に、というのはなんらおかしな話ではないが、ヨークの話を噛ませると若干の違和感を感じざるを得ない。
 後を継ぐほどの仲であるなら、「罠に嵌められて消された」時点でオルブライトも組織から何らかの制裁を受けているはずだ。しかしながら、彼はその後も順調に出世を重ねている。
(そもそも、局長の地位にある人を一気に失脚させるだけの罠って何?)
 自殺したということは、少なくとも文字通り「消された」ということはない。
 詳細はと、今度は財政局の月間報告書を探す。組織図とは異なり、同じ調子の文字の羅列から該当する記事を見つけ出すのは至難の業だ。少なくとも十七年前か、最悪前後一年ぶんの冊子の中にあるという確信がなければやっていられない作業だろう。
 どのくらい経ったのか、薄く差し込む光の下、細かく舞う埃の下に、クリスはようやく目的の一文を見つけた。
(汚職で追放されている――)
 よくある話、と言ってしまえばその通りだろう。後釜として急遽、審査を通さずに副局長だったオルブライトがその座に据えられ、翌年以降もしばらくの間彼がその場を暖めている。つまり、彼は組織にとっては注目すべき人物ではなかったということだ。チェスターが職を追われた後に彼に接触したのか、よほど上手く彼との関係を隠していたのか、直接聞く以外に知る方法はなさそうである。
 とりあえずは、チェスターとオルブライトにはっきりとした接点があったということを知っただけで満足すべきだろう。そう結論付け、クリスは次の疑問へと思考を切り替えた。
(チェスターが自殺したのが十二年前の11月14日、……けど、さすがに個人の死亡に関しては何もないかな)
 何年も前に追放された者が自殺したところで、事件として記録に残ることはないだろう。
(その間に起こった事件とか……、でも範囲もぼんやりしすぎてるし。それよりは、汚職の詳細の方が判りやすいかも?)
 だがさすがに、どこの何を探せばいいのかが判らない。裁判の記録を見ればよいというのは確かだが、そもそも、十七、八年前のいつ捕縛され裁判が行われたのかがはっきりしないのだ。記録全てに目を通せば見つかるには違いないが、あまりにも効率が悪すぎる。
 僅かに悩み、クリスは最も安易で確実な手段を採ることにした。
「ヴェラ、ちょっといいか?」
 すなわち、もっとも詳しそうな人物に教えを請うというものである。
「汚職で捕まった人間の記録は、どこで見れば判るんだ?」
「は? 汚職ですか?」
 ヴェラが怪訝な顔を見せるのも無理のない話だろう。どういうことだと問う視線に肩を竦め、クリスはヨーク・ハウエルとのやりとりをかいつまんで説明した。むろん、不審者の捕獲やそこに至る経過は不審を招かない程度にぼかしている。
 おおよその事を把握したヴェラは、首を傾げて少し考え込んだようだった。
「それなら、拘留の記録を見た方が早いかも知れません」
「拘留というと、昨日爆破被害を受けたあの収容施設のか?」
「ええ。昨夜……いえ、今日事件のあった収容施設に拘留される前、必ず記録が取られます。もっとも、その時点で偽名など使われた場合、気付かれなければそのまま残されますが、この場合、身元は割れていますからその心配はないでしょう」
 手にしていた組織図を、そうと判るように一旦棚の上に置き、クリスは断言するヴェラの案内でひとつの書棚の前へと移動した。そうして、一度ぽかんと見上げてから低いうなり声を上げる。
「すごい量だな」
「些細な事件の拘留者も記録を残すことが義務づけられていますから。ですが、おおまかには絞れます。その冊子の原本が作られるのは年度の初めですが、ここに収められるものが作られるのは年の暮れです。組織図の変更までする必要はなく、しかし件の一文が入れられる時期となればおよそ11月から12月頃と思われます」
 言い、手伝うつもりか、ヴェラは棚の中から数冊を抜き取った。
「このあたりですね。虱潰しに見ていきましょう」
 幸い、記録は几帳面なはっきりとした文字で記されている。ヴェラを巻き込んだことで随分と範囲を絞ることが出来たのも、クリスにとってはありがたい話だった。
 頷いた彼がヴェラの横に並び、古い紙に指を付ける。しばらく、室内には紙の擦れる音だけが小さく響いていた。
「あ」
 さほど時を置かず、つい、と言うようにヴェラが声を上げた。
「失礼。これですね。12月2日。拘留期間は二ヶ月です」
「裁判が終わるまでの話だな?」
「はい。余罪のある場合でも、刑を受けながらの裁判となります。この場合は、汚職の大まかな状況や規模が明らかになった時点と見ていいでしょう」
 だが今見ているのは単なる拘留の記録だ。裁判の詳細や実際にどんな汚職だったかまでは記されていない。
 そこまで判れば、とふたりは法務省管轄の棚へ移動した。その量、探しにくさ共に先ほどを上回る作業だが、地道に探していくより他はない。それでも諦めるという文字が浮かばないのは、ある程度、探す目安というものがあるからだろう。
 だが、再び作業に入ることほぼ一時間。気力に底が見え始めた頃、クリスは手にしていた冊子を閉じて強く眉根を寄せた。
「……ないな」
 呟き、ヴェラを見る。
「おかしい」
「……ですね」
「法務部が関与して処罰が与えられた事件に関しては、全て報告されているのだろう? 例外でもあるのか?」
「内容によって閲覧の制限はありますが、少なくとも、王都や周辺の大都市で起こった事件に関しては全て集められているはずです。例外があるとすれば、裁判には至らずに和解したなどの、結果として社会が関与する刑罰が確定しなかったもののみです」
「だがこの場合は少なくとも、解雇という罰は受けている」
「ええ。ですから、ない、というのがおかしいのです」
 図らずして同時に顔を見合わせ、揃って口の端を下げる。まるで鏡を見ているかのような表情だが、それを敢えて話題に挙げるような雰囲気ではなかった。
 硬い声で、ヴェラが呟く。
「わざわざ綴じているものから抜き取られているとすれば、詳細を隠したい者がいた、ということですね」
「だが、こんな王宮や、下手すればこれを届けるはずの法務省の中で……、いったい誰が」


[]  [目次]  [