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「その問いは無意味ですね」
 感情のこもらない声で、ヴェラが冷たく言い放つ。
「組織の者として検挙された者の他に、自覚のない協力者など、幾らでも居ます。一位貴人が首魁だった組織です。法務省はおろか、財務省、軍部、王宮に人脈を作ることは容易かったでしょう」
 資料を一部勝手に抜き取る程度では、戻すことを大前提とするならば罪に問われるほどでもない。なにも人を殺せ、国宝を破壊しろ、などと無茶を言われているわけではないのだ。高い位の与えられているものに必要だからと言われれば、軽く請け負う者すら居るだろう。
「権限や位の持つ威力が、悪い方向に出るいい例ですね」
「……よく、巨悪を秘めた者が一位貴人にまで昇り詰めたと、ある意味感心する」
 この国の位階昇進の審査は、厳正さと秘匿性に於いて諸外国を唸らせるほどである。だがそれは真実か。権力者たちの間で情報統制が行われているのではないだろうか。
 そういった疑念を持たざるを得ない一方で、セス・ハウエルやルーク・オルブライトといった歴史に名を残す名政治家や、近いところでは上司のガードナーといった実力者が出自による冷遇を受けずに頭角を現していることも事実である。
 眉間の皺を深くするクリスに、ヴェラは短く息を吐いたようだった。
「人を食いものにするけだものどもです。それは、人の心理や操り方は熟知していることでしょう。情報を得て欲を突けば、位人臣を極めることすら可能かと思います」
「五年前に反撃を食らわなければ、狙うは王座のみ、という状況になっていたかもな」
「冗談には聞こえませんね」
 まったくだ、と思い、クリスは緩く首を横に振る。政治に関心を持たない凡庸な王は、もしかしたらゼナス・スコット他、国に巣くう良からぬ思惑の元に作られていったのかも知れない。そう言えばゼナス・スコットが生きていれば、セス・ハウエルや国王とほぼ同年代だったと記憶している。傀儡は無理としても実権を握ることは不可能ではない、と見抜いた世代が頭角を現した、と見るべきだろうか。
 いずれにしても、ここでバーナード・チェスターの罪や経緯を調べるのは難しそうだ、とクリスは凝り固まった頸を鳴らす。思い切って特捜隊の権限を使い法務部の奥へ踏み込むべきかとヴェラを見れば、彼女はクリスを見つめたまま何故か動揺したときのように視線を揺らせていた。
「どうした、ヴェラ」
 尋ねれば、今更のように俯き、顎に手を当てる。
「まぁ、言ったところで、俺では当てにならんかとは思うが」
「いえ、そうではありません。何か思い出しそうで……」
 ヴェラにしては歯切れの悪い口調で呟いた後、彼女は突然弾かれるように顔を上げた。
「資料だわ」
「え?」
「財政局局長との汚職。どこかで聞いたことがあると思っていました。資料です」
「どの?」
「特捜隊が発足されたすぐ後に、私が招集をかけたときに渡した資料です」
 若干の興奮を含んだ言葉に、クリスは首を傾げた。そうして数秒後、記憶を探り当てた彼は、あ、と呟いて口に手を当てる。
 ヴェラの記憶力を賞賛しながら、彼は詳細を思い出そうとその記憶の中を必死で掘り起こした。
「確か、例の家のニール・ベイツの前の持ち主で、その後死んだ男がそうだったか」
 言いながらクリスは、繋がった、と思った。ヨーク・ハウエルの言葉だけというあやふやな情報が、動かし得ぬ証拠へと変化したのだ。
「あの資料はどこで手に入れたんだ?」
「あれは、キーツ様から借りた資料をまとめたものです。私では普通は閲覧不可のようで、すぐに返却しました」
「よし」
 互いに、頷き合う。そうして机の上に散乱していた資料を元の位置に戻し、ふたりは慌てて書庫を後にした。
 人の居なくなった書庫、薄い光に浮かび上がるような書棚の上に、ひとつだけ冊子が残されている。財務省の組織図のところで広げられたそれは、室内に流れる僅かな風をうけてそのページをふわふわと上下させていた。
 やがて、緩い折り目がもとの形状に戻ろうとする力に負けて、一枚、ページを戻す。財務省の財務局とは異なる下位組織、戸籍局の面々が記されたそのページ、バーナード・チェスターの裏に重なる位置に書かれていたのは、――ゼナス・スコットという文字だった。

 *

 王宮の一角で調査をしていたバジル・キーツと合流したのは、それから三十分も後のことだった。それほどまでに王宮が広く入り組んでいたというよりは、そこで働く者の協力が得られなかったことに問題がある。ようは、場所を問うても胡散臭気な目を返されるだけで、教えてもらえることはなかった、ということだ。くたびれた服装の庭師が、王宮の西棟の外でそれらしき集団をみた、と声を掛けてくれなければ、やむなく集合時間まで待ちぼうける事となっただろう。
 思った以上に閉鎖的な環境だなと、探し回った道のりを思い出して呆れつつ、クリスはそれまで調べていた内容をキーツに説明した。
「バーナード・チェスター、か。確かにその資料は読んだが、直接には無関係だと思ってたな」
 言い、感心したように顎を撫で、しかし、とキーツは目を眇めた。
「しかし、そういう情報はハウエル様のご子息から聞いた時点で報告して欲しかったが」
「済みません。ただ、非常に個人的なもので、それが直接今の事件と結びつくとは思えなかったのです。もう少し何かはっきりしてから、と思って今になりました」
 結局、王宮へ向かう前に言葉を濁したところを話す羽目になった、と内心で苦笑しながらクリスは言い訳を口にする。キーツは軽く頷いた後、アランへと目を向けた。
「アラン・ユーイングは?」
「僕も同じですよ。昔の事件です。ひとりが組織との孤独な戦いに敗れて表から姿を消した、それが今起こっていることの何に繋がるんです?」
「例の失われた”物証”に関して何か判るかもしれないぞ?」
「彼の手帳に書かれていた内容を期待する、ってことですかね? そんな、十年以上前に無くなったもので、しかも内容も何一つ確かでないものを追うくらいなら、例の”物証”を虱潰しに探しまくった方がまだ見つかる確立高いと思いますけど」
「それを判断するのはお前たちじゃない」
「あんたでもないでしょ。オルブライト様にはそれとなく伝えてあるから大丈夫ですよ」
 これには、ヴェラが眉を急角度に上昇させた。これはないな、とクリスは嘆息しつつ後ろからアランの頭を軽く叩く。
 勢い、前のめりに体のバランスを崩し、恨みがましく振り向いたアランの頭を、クリスは強引に前に倒した。
「済みません。こちらの勝手な思いこみと行動でご迷惑をおかけしました」
「ちょ、やめろよ、クリス!」
「お前も謝罪しろ。お前が主となっている計画があったとして、部下が勝手にお前を抜いて財務長官へ話を持ちかけたら、お前だって怒るだろう」
「……」


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