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「些細なことかどうか、報告すべきかどうかまで全て上司に伺わねばならんのは単なる莫迦だが、報告すべきだったと指摘されて改められないのは社会の迷惑だ。反省しろ」
 口を尖らせるアランの頭をもう一度キーツに向けて下げさせる。その際、抵抗が小さくなったのは、彼なりに思うところがあったということだろう。
 とりあえずはよし、とそのままアランの頭髪をかき混ぜれば、さすがに今度は批難の声が上がった。
「ちょ、やめろよ! ちょっとでかいからって、何、人を子供扱いしてんだよ!」
「お前の態度が、近所のガキどもとそっくりだったんでな」
 切り返しにアランが口をパクパクと開閉させれば、周囲からみっつの笑い声が響いた。押し殺したようなものはキーツとヴェラで、主に反響の原因となっている爆笑の主はむろんダグラスである。
 アランが耳を赤くして睨み付ければ、キーツは誤魔化すようにひとつ咳払いをした。
「……まぁ、判った。とりあえず、資料の出もとだったな」
「はい」
「報告して欲しかったと言う理由はここにもある。あの資料を提供してくれたのは、ヨーク・ハウエルだ」
「え」
「もっとも、もともとハウエル法務長官が、馬車の事故が起こった後から手持ちの資料をまとめていたものだということだ。内容について何かあまり世間に知られていない情報がある、というわけではないとのことだった」
「だが、組織なりなんなりが廃棄したかった文章まで残ってしまっていた、と」
「そうなるな」
「法務省にあるべき資料は如何でしょうか」
「早急にこちらで確認しておこう」
 ヴェラの指摘に、キーツは僅かに気まずそうに顔を歪めた。ハウエル親子の揃えたものが資料としてほぼ完璧であったとはいえ、それをそのまま使用したことは手を抜いた事実は否めない。或いは特捜隊のまとめ役を引き受けてから顔合わせまで日がなかっただけかもしれないが、どちらにしても、余計な言い訳を口にしないだけの分別はあるようだ。
 キーツへ若干の好意を覚えながら、クリスは確認を口にした。
「もう一度、借り受けることは可能ですか」
「問題ないだろう。それも手配しておく」
 明確な返答に、クリスはヴェラへと目を向けた。それを受けて小さく顎を引くように頷いたところを見ると、この話はとりあえずは資料待ち、ということでヴェラも納得したようだ。
 特に異論があるわけでもなく、クリスはよろしくとキーツへ軽く頭を下げる。そのタイミングを見計らったように、それまで黙っていたダグラスがにやりとしか表現しようのない笑みを持って口を開いた。
「目と目で意思疎通なんて、意味深だねぇ」
「……お前の目は、事実を拡大解釈して映すように出来ているようだな」
「やだなぁ。いつの間にそんなに親密になったのかって、ちょっと僕が疎外感を感じただけだよ」
 軽い口調のダグラスに、どう切り返したものかと渋面を作るクリス。その横から、ヴェラが冷え冷えとした声を挟んだ。
「目線だけで相手の言わんとすることを把握した事がいちいち勘ぐられる材料となるなら、あなたはあなたの直属の上司と親密な仲ということになりますね」
「え」
「ダーラ・リーヴィスの話を聞きに行ったときのあなたと彼の私に対する言葉なき牽制、それはそれは見事でした。私とレイが今交わした無言の同意が幼稚に感じられるほどに」
 今度は、ダグラスが絶句する。それを面白がるように見遣ったのは男三人で、口達者な彼に的確な一撃を与えたヴェラはと言えば、別段得意気な顔をするわけでもなく、白けたように薄く目を細めただけだった。
(さすがヴェラ、……いやいや、そうじゃない。そういえば、ダグラスの上司も謎のまま放ったらかしにしてたんだっけ)
 サムエル地方へ赴く前のダグラスの様子といい、今の反応といい、それほどまでに彼が苦手とする上司とは如何なる人物か。生憎とこれは、人脈や噂を辿る他に知る術はない。軍部の人事は、よほど代表的な地位を除いては公表などされないのだ。
(アントニーには聞けないよねぇ)
 近しい軍人と言えば彼以外にはないが、昨夜の騒ぎに続くクリス個人の動揺のために、彼には随分と心配を掛ける羽目となった。顔を合わせ辛いということもあるが、これ以上、彼に隠し事をしたままあれこれと一方的に助けて貰うことがどうにも心苦しくてならない。
 とりあえず、ダグラスの上司について調べることは急務ではないと、クリスは話題を変えるようにキーツを見た。
「それはさておき、こちらの調査結果はどうですか」
 問いに、笑いを収めキーツは肩を竦めた。つまりは、報告しあえるほどの成果はないということだろう。
「思った以上に、王宮での行動に制限がかかった。国宝級の宝物が保管されているとかなんとか言われれば、ごり押しするわけにもいかないからな」
「財務長官の命令とは言え、その名前を出すとむしろ反感買うからねぇ」
 既に元の調子に戻っていたダグラスが、呆れ半分諦め半分といった大げさに息を吐く。そうして彼は、近くにそびえ立つ塔を見上げながら、目を細めて調査結果を口にした。
「ま、ブラム・メイヤーはごく真面目に仕事をして完璧にして終えた、ということだけは確かかな」
「というと?」
「彼が指揮を執って増築された部分には、何も問題はないってこと。十五、六年前から完成まで四、五年もかかってるのは、まぁかなりゆっくりって気もするけど、弟子ひとりと臨時雇いの大工と、許可が下りなくて少人数でやったって話だし、不審と決めつけるほどじゃないね。他の部屋の内装とかも手がけてたみたいだけど、そっちも全く問題なし」
「この塔の周辺も、ブラム・メイヤーが?」
「そう。古い部分を修繕した跡はある。けど他の部分を触った様子もないし、直し方もごく丁寧でまっとうなものだね」
「増築と聞いていたが」
「うん。もっと奥、王宮の、それこそ王家の人間が生活している方面の増築の時に、こう、西の門のあたりからここらを通って真っ直ぐ、庭園やら道も整備したみたいなんだ。その時はこの当たりは通行止めにしてたらしいけど、警備の兵の記録も残ってるから、そうそうおかしな事はできない。となると、後は手を加えた場所に何かあるとしか思えなかったんだけど、」
「何もなかった、と」
 語尾を掠えば、ダグラスは苦笑したようだった。
「つまり、ブラム・メイヤーは無関係の単なる雇われ建築家だったと」
「建物や、建築中の記録を見る限りそうとしか思えないって結論だね」
 断言に、残るふたりもまた頷いた。
 前身する材料がなかったことに多少落胆する心がないと言えば嘘になるが、そうそう、行く先々で何か発見できる方がむしろ出来すぎている、と見るべきだろう。懸念材料がひとつ否定されたと言い換えれば無駄であったということはない。
「しかし、それではこのまま退散というわけにはいかないか」
「実質なんの成果も出てないから?」
「何か見つかると確信があったから、財務長官はここに行けと命じたのではないのか?」


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