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 クリスが首を傾げると、アランが若干物憂げな表情を見せた。それを見遣り、ヴェラが否定を口にする。
「王宮に、『捜査の手が入る』と思わせただけで牽制にはなったと思いますが」
「あ、……そうか」
「ええ。ですから、こうして王宮で活動しただけで、全く無駄とはなりません。もっとも、排他的な平穏を若干乱した程度にしかなりませんが」
 三人と合流するまでの道のりを思い、クリスは期待の欠片も見せずにダグラスに視線を向けた。
「排他的と言えば、深夜のあの騒ぎに関しての聞き込みは?」
「全然、収穫無し。口を開けば管理不十分だの、こちらに波及しないかだの、そんなんばっか。強いて言えば、まだ王宮に上がって間もない女官が一部、怯えてた程度かな。まぁ、昨夜逃げた連中もはっきりと王宮内に逃げ込んだって情報があるわけでなし、こちら方面に逃げた、程度で追及はできないよ」
「昨夜から今朝にかけての見張りや夜番への聞き込みは?」
「王宮内に不審はなかった、の一点張りだな。非協力的なのは予想通りだったが、近衛兵や王宮官吏の横柄さは改めて実感させられた」
 キーツのぼやきに全員が同意を示し、精神的な疲労に満ちた沈黙が落ちる。
 クリスは改めて周囲を見回し、そこに昨夜の記憶に通じるものが何一つないことを確認して、乱暴に頭を掻いた。
「とりあえずは王宮に目立った不審点なし、か」
「今のところは、ですが。王宮外での情報が集まるのを待つしかありません」
 ヴェラの言葉に、四つの顔が揃って反応を示す。何にせよ、これ以上ここへ留まっていても進展はない、というのが全員一致の結論だ。主に精神的な疲労感を覚えつつ、クリスは無意識に首の骨を鳴らした。
「クリス、おっさん臭い。――は、ともかくとして、僕は財務省に直接戻りたいんだけど、いい?」
「あ、それなら僕は溜まった仕事を片付けに、軍部に帰りたいな」
 どうにもやはり、まとまりのない集団というべきか。一致団結という言葉は端から放り投げているのか、キーツは皮肉気な笑みを浮かべながら一同を見回した。
「まぁ、王宮の門を出た後は自由行動で問題ないだろう。ヒルトンは――……」
「私は、置いてある資料を確認しに法務省へ戻ります」
「レイも行くか?」
 もともと、クリスが振った話である。キーツの言葉に躊躇いなく頷き、クリスはヴェラと共に王宮を後にした。

 *

 ヴェラが資料を取って戻り、それを広げるための小部屋に腰を落ち着けた頃には、既に影が長く伸びる時間帯となっていた。とは言え、そう遅いという時間でもない。陽が落ちるのも早くなったと思えば、月日の速さに複雑な感情を覚える。
「疲れましたか」
 実質、夜勤に続く連続勤務である。僅かに疲労の滲むクリスを見て、ヴェラが淡々と問うた。心配しているというよりは、注意散漫になることを危惧しているのだろう。二度手間や非効率な働きを嫌う彼女らしい発想ではあるが、批難の響きがないあたり、案外クリスの身を気遣っている部分もあるのかも知れない。
 じっと見つめ来る彼女に向けて緩く頭振り、クリスは苦笑して広げられた資料に目を落とした。
「資料と言っても、そう詳しいものではないだろう」
「では、素早く確認を済ませましょう」
 夕日を受けて反射する艶やかな髪をまとめ、ヴェラは資料の上にペンを走らせる。かつてバーナード・チェスターも関与したと思われる項目、それ以降の事実などを分類しているのだ。むろんそれらはまとめれば数行程度のもの、彼女の鋭い視線にかかればものの数分と要さない作業だった。
「ここ、ですね。財務省関連の汚職です。規模は、さほどではありませんね」
「そうか?」
「ええ。一般市民からすればたいした額ですが、国中の財を管理する部署です。これくらいは、重要な地位についていなくても数年かければ出来る程度です。帳簿を操作して得たものは、……なるほど、私財に組み込まれ用途不明、というわけですか。こういう書き方がされるということは疑わしい何かはあっても、金銭の流れがはっきりと確認出来なかったということですね」
 つまりは、個人が勝手に行った資金の着服であり、それ以上でも以下でもないという結果だ。主犯と記されているのがヴィクター・リドリーという人物であり、重要な協力者の財務局局長というのががバーナード・チェスターなのだろう。結構な地位の者の汚職であり、世間体としては伏せられているのか、ハウエル親子が資料提供にあたりわざと個人名を隠したのかは判らない。
「主犯はリドリーとなっているが、サムエル地方の館の管理人だったのだろう? どう見ても、チェスターが主犯と見た方が正しそうだが」
「そうですね。しかし、そうした場合、チェスターが汚職に手を染めたのはおそろしく判りやすいものになりますが、逆にリドリーとの関係性が求められてしまいます。例えば本当にチェスターが資金を組織に横流ししていたとします。その場合、王都に在住する者と手を組むのが妥当ではないですか? わざわざ、馬を飛ばして何日もかかる地方在住の者と連絡を取る意味が判りません」」
「そうだな。ああ、だから、主犯格を逆にしているのか」
 バーナード・チェスターが資金を流す相手にヴィクター・リドリーを選ぶということには某かの深い理由が必要となるが、その逆ならば、誰しもが悩まずとも答えに到達する。資金を流して貰う相手として、財務局局長という地位と権力は如何にも魅力的だからだ。
 仮にふたりが無実として、無理矢理ふたりを一度に始末する必要が生じたならば、前者より後者の方が遙かに他者を説得しやすい構図となる。
 納得と共に胸に重い不快感を覚え、クリスは無意識に胸に手を当てた。そんな彼を余所に、ヴェラは平坦な声で意見を紡ぐ。
「どちらも亡くなっていますが、やはり共に社会から消されたと見るべきでしょうか?」
「チェスターが敵陣営のリドリーと通じ、内部を探っていたとなれば、粛正されてもおかしくはないな。だが、すぐに殺されたのはリドリーのみで、チェスターの方は年月を経ての自殺だったらしい」
 リドリーについては、それが事件後間もなくしての怪死でもあり、はっきりと記録に残されている。だがチェスターのその後については何も記されていない。ヨーク・ハウエルの言うとおりの自殺だったのか、そうと見せかけられた他殺だったのかは不明だが、二度と表舞台へ出ることが叶わなかった事だけははっきりとしている。
(そして、表へ出たのが財務長官ってわけね……)
 亡くなった順番を考えれば、組織にとってより脅威であり許し難い対象であったのはヴィクター・リドリーという人物であったと想像が付く。チェスター自身が組織から目を付けられていたというわけでなければ、或いはチェスターがオルブライトの存在まではリドリーに伝えていなかったのであれば、オルブライトが粛正を逃れたという図式も成り立つだろう。
 チェスターの死から七年を経ての対決ともなれば、オルブライトやハウエルの慎重さが伺えるというものだ。
「組織が絡んでいたとなれば、汚職自体がでっち上げか、他の者の罪を押しつけられたと見るべきでしょう」
「だが当時、状況証拠は充分だったようだ。疑う余地のない証拠品が挙げられている」


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