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「どっかの部屋に監視付で放り込んでおけ」
「誰も、そんな暇のある奴いませんよ」
 考えなしの命令に投げやりな返答。これは面倒という意味で煮詰まってきているようだ、とクリスは顎を指で掻いた。そうしてもう一度ヴェラに目で合図を送る。ヴェラは何か言いたげに一度眉を顰めたが、結局諦めたように頷きを返した。
「……モルダーさん」
 クリスは、如何にも仕方のなさそうな声で低く唸り合う男たちへと声を掛けた。
「しばらくなら、見ていても良いが」
「へ?」
「とりあえず、他の奴らを拘置する部屋に押し込んだ後なら人手も空くのだろう? 見たところあと少しのようだが、それまでなら俺たちが監視しておくが」
「そりゃ、そうしてもらえればありがたいけどな、けど、ここは法務省だしなぁ。こっちが勝手に部外者に頼むのはまずいんだ」
「私は法務省の者です。伝手がありますのでそのあたりは問題ありません」
 ここで初めて、モルダーはヴェラに気付いたように目を見張った。
「法務省側としては、本来受け入れるべき対象でない者のために騒がしくある状況は見過ごせません。こちらのレイも、夜の騒動に関わったようですし、無関係ではありません。如何ですか?」
 若干押しが強いのは、ヴェラとしても貴重な情報源に接する機会だという思いが強いためだろう。具体的に何が得られるという保障はないが、本来、捜査というものはそういうものだ。機会を逃さず諦めず、となれば、淡々とした態度の中にも気持ちはこもる。
 どうする、と問うクリスの顔を見つめ、しばしモルダーは躊躇ったようだった。だが他に代替え案があるわけでもなし、そう間を置かず、彼は深々とため息を吐く。
「悪いが、頼まれてくれるか?」
 渋々といった様子のモルダーとは逆に、内心の安堵を隠しながら、クリスは神妙に頷いた。

 *

罵声が音の七割を占める喧噪と壁一枚隔てた部屋の中、件の男は薄い笑みを浮かべながら傾いだ椅子に腰を掛けていた。野次を飛ばし、時に無責任に同調する者達と離されたためだろう。ヴェラを目にして口笛を吹いた他は、特に騒ぎたてる様子もなさそうだった。
「あんた、誰だい?」
「軍部に所属している。今はお前の監視に来た」
 厳密には異なるが、この際詳しく述べる必要はない。男の視線を受けながら、クリスは机を挟んで対角の壁に背を凭せ掛けた。
 視線を巡らせば殺風景な白い部屋。壁の高い位置にある灯り取りの窓は、黒一色に塗りつぶされている。それよりも下に備え付けられたランプの光を受けて、男の影が不安定に揺れた。
 外見で判断するならば典型的な小悪党、だがギリギリのところで一線を越すことはない小者、といったところだろう。年はクリストファーと同じ程度かわずかに上か。いずれにしても、厳格と無愛想が軍服を着たようなクリストファーとは対極の人物であるようだ。ヴェラなどは、あからさまに眉を顰めている。
「なんだ、話を聞いてくれるのかと思ったら、隔離だったわけ?」
「聞いて欲しいのか?」
「できれば、そっちの綺麗なねぇちゃんに近くで聞いて貰いたいんだけどなー」
 にやりと笑う男に、冗談の通じないヴェラが気色ばむ。咄嗟にクリスは彼女を手で制し、男へと苦笑を向けた。
「お前の発言が通らなかったのは、言い方にも問題があると思うが」
「えー?」
「騒いで鬱屈を発散したいのなら、騒ぐ気力がなくなる程度に俺が今から稽古をつけてやる。本気で言いたいことがあるなら真面目に言え」
「あんた、堅いとか言われねぇ?」
「それがどうした?」
 男が担当官の手を煩わせたことと関係があるか、と言外に問えば、男は肩を竦めて椅子を鳴らした。沈黙したところを見ると、訴えたい話があるのは真実なのだろう。如何にも軽薄な見かけを裏切らない調子ではあるが、頭のどこを叩いてもいい音がする、というわけではなさそうだ。
 状況を利用し、爆破事件当時の様子を聞くつもりでいただけのクリスは、ここに至り、男の話に興味を覚えることとなった。
「それで? 減刑でも望んでいるんだろう? 話してみてはどうだ?」
「はぁ? 俺が何言ってたか、上の奴から何も聞いてねぇのかよ」
「覚えてもらえるような有益なことなら、とうに供述記録でも作成されている」
 ち、と男が舌を鳴らす。
「先ほども言ったが、俺はお前の監視役だ。それ以上でも以下でもないが、真面目に話をする気があるなら、聞く時間くらいはある」
 重ねて言えば、男は口を尖らせて目を細めた。判り易すぎるほどの不満の表情だが、投げやりにはなっていない様子である。行儀悪く椅子に足をかけ、そこに上半身を預けてた格好のまま、男は目を逸らしたままぽつり、と呟いた。
「……えたんだよ」
「何?」
「話し声が聞こえたんだよ」
 クリスは、何度か目を瞬いた。
「俺ぁ――耳が良いんだ。だからよ、こう、壁際で寝てたらよ、聞こえたんだ。それ、もしかしたら、爆発の犯人たちの話かもしんねぇ」
「ちょっと待て。お前の拘留されていた場所は、現場のどのあたりなんだ?」
 クリスの言葉に、ヴェラが動いた。そうして、手持ちの資料から破壊された拘留施設の見取り図を出して机の上に叩きつけるように置く。
 いつの間に用意したのかとヴェラを見れば、彼女は冷ややかな一瞥をクリスに向けた。ようはいつも通り、必要なものを迅速に準備できないあなたが遅いだけです、――ということだろう。
 肩を竦め向き直った先には、近づいた美女に鼻の下を伸ばした男の顔があった。ふて腐れていたと思えばこの表情、如何にも、切り替えが早い。呆れるよりも笑いがこみ上げ、クリスは苦労してしかつめらしい表情を取り繕うこととなった。
「それで、この図のどこだ?」
「んー、ここだな。入ってすぐのとこだったし」
「ここの壁際? 爆発のあった牢とは随分離れていますね」
「そうだけどよ。周りはイビキかいて寝てる奴らばっかなのによ、すんげー籠もった声がぼそぼそ聞こえやがるんだよ」
 爆発のあった牢は、収容所でも最も奥の区画の更に端に位置する。男が居た牢はその丁度対角線上の端だった。両者の位置関係だけを見れば、普通に声を発しても聞こえ難いほどの隔たりがある。
「隣の牢に、ちょっと苦手な知り合いがいたからさ、反対側の壁際にいたんだよ。鉄格子の反対側。要するに隅っこさ」
「……莫迦莫迦しい。単に周りの声が妙に響いていただけでしょう」
「ちげーよ。俺もそう思って、黙れやって言おうと思って見回したんだよ。でも誰も起きてねぇんだ。暗くて判りにくかったけどよ、ぼそぼそ声が聞こえる範囲の奴らは全員寝てたか、寝ようとしてたかだったぜ?」
「あなたに背を向けて、喋っていたのでしょう」


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