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「はぁ? あんたも頭堅いなぁ。考えろよ。何日も風呂入ってねぇ男ばっかで詰め込まれて、顔寄せ合って寝るかっての。顔とか足とか、当たんねーようになんとか居場所確保してたに決まってんだろ」
 男の言いように、ヴェラが柳眉を逆立てる。だが、この場合は前者の方が正しいのだろう。少なくとも、嘘を言っている様子はない。
「聞くが。爆発の犯人の話、という理由が話の中で出てきたのか?」
「……そこまでははっきりと判んねぇよ。だから、もしかしたら、って言っただろ」
「だが、ただの会話ではなかったと?」
 我が意を得たり、とばかりに男は大きく頷いた。
 しばし考え、顎に手を当てたままクリスは呟くように問うた。
「聞くが、牢の中は、いや、天井は、真っ平らだったか?」
 妙なことを聞く、と男はおろか、ヴェラまでが訝しげにクリスを見遣る。その視線を真っ向から受け止め、再び同じ言葉を繰り返せば、何度か瞬いた後に男は思い出すように宙を見つめた。
「天井なぁ。……あんまはっきり覚えてねぇけど、そうちょっとばかり高くて、なんつーか、牢でも柱がある位置で区切られてるだろ? そこが低くて真ん中がちょっと高くて、そんな感じだったっけな」
「つまり、中央に向かって四方から緩くカーブを描いていると」
「ああまぁ、そんな感じかなぁ。でもそれが何だよ」
 肯定に、クリスは目を眇めた。――これは、当たりだ。男は本当の事を言っている。
「判った。お前の話を信じることにする」
「え?」
「は? 今のでか?」
「壁から声が聞こえたなど突拍子もないことだが、信じることにする。何が聞こえたのか、教えて貰おう」
 刑罰が定められる際は、情報提供があったことを考慮する、と加えれば、男の反応は早かった。情報漏洩の際の組織からの報復などは、考えないで済む程度の存在なのだろう。
 男の軽い調子に辟易していたヴェラでさえも、肝心の内容には唇を引き結んでじっと耳を傾けた。
「なんつーかよぉ、はじめはあいつ莫迦だなぁって思ってたわけだ。なんか、報酬がどうのこうの、約束がどうのこうの言ってやがってよ」
「それは……莫迦なのか?」
「大莫迦だろ。あんたら頭のいい上品な奴らにゃ判らんかも知れんが、俺たちだって、下っ端でその場限りの都合の良い使い捨てだって判ってるわけよ。だからさぁ、報酬後払いだのなんだのにはぜってーしねぇんだ。反対に、俺たちに旨そうな話を持ちかけてくる連中に深入りだってしねぇ。それがまぁ、つまんねぇ場所でてきとーに生きてくコツなわけ」
 要は、仕事はこなす、だが信用を賭けたりしないということだろう。
「別に奴ら、揉めてたってわけじゃなさそーだったんだけどさ。途中でどっちかは判んねぇけど、『夜に俺も』『他にも居たのか』『物乞いを見た』『何故』『封じ』とか聞こえてきてよ。ちょっと声荒げた感じだったんじゃねぇかな、それ」
「他にも……? その場でのことじゃなさそうだが」
「詳しくなんて判るわけねぇよ。もう一人の声は殆ど聞こえなかったしな。ただ、どんな奴だったとか、そんな会話だったなぁ」
「他には?」
「後はもう、気がついたらいなかっただの、逃がしてくれるかどうかとか、そんな夢みたいなこと喋っててよ、しばらくしたら、どかん! だ。後は大騒ぎでそれどころじゃなかったしなぁ。もっと近くでやってくれれば、俺も逃げられたかもしんねーのに」
「莫迦言え。爆発に巻き込まれた可能性もあるだろう」
「ま、そうなんだけどよ」
 歯を見せて笑う男は、一言で言えば楽観的なのだろう。ある意味強かだ。隣で苛立たしげに眉間の皺を深くするヴェラには悪いが、クリスは案外、こういった男は嫌いではない。小狡く、けして大成はしないが、彼なりに面白おかしく生きていくのだろう。
「爆発したときに何か気付いたことはないのか?」
「さぁなぁ。吃驚してるうちに大騒ぎになって、あとはよく覚えてねぇや」
「そうか」
 どうやら、これ以上彼から引き出せるものはなさそうである。後は雑談になるか、とクリスは若干口調を変え、毒にもならない話題を振った。一通り真面目に話を聞いてもらえたと満足したのか、男はそれに気軽に応じ、ヴェラが呆れた目を向け、そのまましばし時間が流れる。
 やがてやってきたモルダーと彼の部下にその場を渡し、約束は守れと繰り返す男を後ろに、クリスは部屋を後にした。背後で施錠される音を聞きながら、先に出たヴェラの横に並ぶ。
「どうしてでしょうか」
「は?」
 歩き始めてしばらく、人気の内廊下での開口一番、ヴェラの冷ややかな声音にクリスは目を見開いた。
「何が、だ?」
「あなたは彼の言うことを、何故信じようと思ったのですか? 嘘は言ってなさそうですが、簡単に信用できるほど純朴な人物には到底見えませんでしたが」
 鋭い視線に、クリスは苦笑した。彼はけして、男の事を信用していたわけではない。男の言う内容に、彼自身が嘘がないことを知っていただけだ。
「あの男が情報を漏らして、得することと言えば何だ?」
「それは勿論、減刑の交渉です」
「そうだ。だから、そのための交渉材料自体が真っ赤な嘘では、話し合いのテーブルにすら到達できない」
「しかし、組織から嘘を言えと指示があったとは考えられませんか?」
「なら、ヴェラは、牢の中でも離れた位置にいた男が、他の者が一切聞いていない内容について聞こえたんだと証言して、真実と思えるか?」
「それは……、虚言としか思えませんが」
「だから、俺は信用したんだ」
 組織から某か言い含められていたとしても、ああまで、他人に情報そのものを取り上げ貰えない方法を採る必要はない。他に、もっともらしい理由など幾らでもこじつけられるはずだ。
「ではあなたが、あの突拍子もない話を信じた理由は何ですか?」
「そういうことがある、と知ってたからだ」
 言い切りに、ヴェラは何度か瞬いた。
「外国の話だが、どこだかの建物に、似たような現象を起こす場所がある。壁に向かって小さく呟いた言葉が、対角にある壁際ではっきりと聞こえるというものだ」
「そういう場所の天井が、牢のものと同じだと?」
「原理は詳しくは知らないが、そういうふうに音が伝わることもあると聞いた。おそらくは、被害者と加害者は同じ牢に居る者に気付かれないように、狭い隅で壁を向いて喋っていた。それをたまたま、男が聞いたという感じではないかと思う」
 それこそ本当に偶然、なのだろう。そもそも、ひとつの牢に大人数が詰め込まれるような状況でなければ、男も隅で寝ることはなかったに違いない。
「ですが、正直なところ、真剣に信じられるのはあなたくらいでしょう」
「つまり、彼の聞いた話が夢か幻聴か悪質な嘘かでないことを証明する必要があると?」


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