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 ヴェラは神妙に頷くが、そのあたりはクリスにとって深刻な問題ではない。父親に連れられての旅の途中に聞いて知った話だ。調べれば、或いは父親に聞けば、どこの国の何の建物で同じ現象が起こるのかはすぐに判明するだろう。それさえ判れば男の話は一気に虚言から格上げされる。
 それよりも、問題は彼が聞いたという内容だ。
「ヴェラ、爆破で死んだ、ニール・ベイツに似た男がいつ捕まったのかは判るか?」
「それは資料に……少しお待ちください」
 言い、ヴェラは鞄の中を探る。
「かなり前ですね。法務長官が重傷を負った翌日です。あの日は、かなりの人数が不審者の探索に当てられていましたから」
「それだ」
 目を眇め、クリスは頭を乱暴に掻く。
「ニール・ベイツ似の男は、実際に法務長官の襲撃現場に居たのではないか? その時、『物乞いを見た』――つまり、本来無関係である浮浪者に目撃されているのに気付いていたと。それで、『何故』口『封じ』しなかったのかと問い詰められた」
「つじつまは合いますが、調書によれば、ニール・ベイツ似の男は、襲撃には全く参加していた様子はなかったと」
「そんな重要なミッションに参加するほどの者じゃなかったとしても、組織にとっては都合の悪いところを見ていたということもある。例え、本人がそれが重要だと気付いてなかったとしても、な」
 法務省の調査が完璧であるとは言えないが、大物を何の疑惑もかけずに見逃すほどではないはずだ。すなわち、爆死した男は確かに小物だった。だが、彼自身には把握し得ない何かを知っており、その為に組織に始末されることとなった、という筋書きではないか。
「その考えが正しいとすれば、話に出ていた物乞いが危険ですが……、正直なところ、さすがに組織の手の者でも、この王都に居る物乞い、またはそういった風体の労働者などから特定できないのでは?」
「それはそうだが」
「でしたら、危険は少ないものと思います。そもそも、組織に関わった男が現場を見ていて気付かないことに、無関係の者が気付くとは思えません」
 ヴェラの言葉は正しい。加えて言えば、それほどの場面を目撃していたのなら、報奨金目当てにとうに情報を国に売っているだろう。今の今まで有効な情報がなかったことを思えば、組織も藪を突くような真似はしないと考える方が現実的である。
 だが、クリスは暗い天井を見上げて唸った。何かが、引っかかるのだ。むろん、男から得た情報がまだ誰も知らぬ事だとして、それを真剣に取り上げたのが自分だとしてそこに拘泥しているわけではない。
「何か、拘るところでも?」
 やや早足に進み、法務省の建物の外へ出たところで、ヴェラが後ろから声を投げかけた。
「彼の話が真実だとして、重要なのは、爆死したとされる男が狙われたということの裏付けのひとつとなりそうだ、ということだけです。最悪、全く別の者の会話だったという可能性もありますから」
「それは、そうだが……」
 どこか頷き切れない靄を胸中に抱えたまま、クリスは深々と息を吐いた。何かを忘れている。だがそれが、思い出さなければならないほどのことなのかも判らない。
 無意識に頭へと手をやり首筋の髪を掻く。ふと、その手に細い指が当たった。
「癖ですね」
「え?」
「困ったときや、考えているときによくやりますね」
 ひとことに、クリスははた、と動きを止める。否、動揺に目を揺らせた。――それは、クリスティンの癖だ。髪が乱れる、とエマによく叱られた。幼少時には、そう、クリストファーにも何度も窘められた。
「禿げますよ」
「――なっ!?」
「冗談です」
 続く言葉に、クリスは目を見開いて瞬いた。それをみて、ヴェラがあるかなしかの笑みを浮かべる。
「昨夜からあなたは殆ど休んでいません。機会を逃さないことは重要ですが、あなたはどうも、力の配分がよく判っていないようですね」
 若干の労りを込められた言葉にも、クリスの顔は強ばっていく。
「一度、休息を取ってゆっくりと考えた方がいいのでしょう」
「……」
「私は、方向が違いますのでここらで。とりあえず、よく休むことをお勧めします。……では」
 言い、生真面目に礼を取った後、ヴェラはあっさりと踵を返した。暗闇の中にすぐに溶け込んでいくその姿を呆然と見送りながら、クリスはゆっくりと目を細めて短く息を吐く。
(力の配分、か……)
 それはおそらく、本来予定していなかった先ほどの聞き取り調査のことを指しているのだろう。確かに、疲労を押してのことと言われれば頷くより他はない。
(でも、それだけ無理をしてるようにも見えたってことか)
 慎重派のヴェラにしてみれば、急いているように見えたのかも知れない。収容された者が、金の有り余っている協力者も為しに一日二日で解放されることはまずないのだ。さりげなく男の名前を確認してモルダー達の前を辞す、それがおそらくはベストだったのだろう。
 だが自分は、とそこまでを考え、クリスは強く頭振った。
(いや、とりあえず、もう帰ろう)
 もう一度、深いため息。
 そのまま踵を鳴らし、そうしてようやく、昨夜から続くクリスの長い一日が終わりを告げた。


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