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 だが、彼を利用するかしないかは別の話だ。
「さ、行くぞ」
 渋々と行った呈で頷いたアントニーを連れ、クリスはエマに見送られながら家を後にした。


 外はあいにくの曇り空。灰色の暗さを帯びた町並みに、雨を気にする人々が足早に道を往く。
 久々の外出に思い切り体を伸ばせば、僅かに残っていた不調の方が逃げていくようだ。錯覚でしかないが、仕事にしろ何にしろ、鬱々と閉じこもっているのはやはり性に合わないのだと実感する。これはおそらく、レイ兄妹に共通する感覚だ。両親のどちらかに偏った似方をしているため、外見上兄妹に見えないふたりは、行動の面で血は争えないとずっと言われ続けてきた。
 故にクリスは地のままに、外の世界を満喫する。
「なぁ、ホントに行くのか?」
 珍しく食い下がるアントニーを当然のように見返し、クリスは若干湿り気を帯びた空気を大きく吸い込んだ。
 もともと、モニカ・ストーンを訪ねるというのは方便だ。クリストファーとモニカがどこまでの仲だったのかは不明のままである今の状態で、強引に彼女に面会しようなどとは思っていない。それを口実に話題を切り家を出ることが出来た時点で、クリスの目的は達成している。
 だが、延々とごねるアントニーを後ろに歩き続ければ、さすがに気になるものはあった。
「いい加減、普通に歩いたらどうだ?」
「なぁ、向こうに行かないか?」
「は? お前の家とは違う方向だろう。何を言っている」
 男と二人で夕方の街をのんびり散歩、という趣味は持ち合わせていない。
「そこまで引き留められると気になるが」
「んー……、まぁ、この時間なら大丈夫だと思うんだけど」
「?」
「むしろ急いだ方がいいか……」
 空と町並み、行き交う人々を見回し、アントニーが諦めたような息を吐く。そうして彼は、クリスの背を叩いて進むことを促した。何がどう彼に心境の変化を及ぼしたのか判らぬうちに、クリスは急かす彼の後を追う。
 やがて数十分も歩いた頃、ようやくストーン家の門が見え始めた。ここからクリスの実家まではほんの十数分の距離だが、さすがに事故後は好んで通る気にもなれず、普段は殆ど距離の変わらない一筋違って道を通っている。軍部へはもともとクリストファーの新居の方が近い。
(ハウエル法務長官が訪ねてきて、事故のことを調べて……あの時以来だな)
 あの時は感傷に浸るよりも、状況を把握することに必死だった。現場を見て何の感慨も抱かなかったと言えば嘘になるが、それ以上に追い詰められていた。
(……今は)
 こうして胸に迫る何かを感じる今は。
 変わったという事が何を示すのか、それを自分に問いかけ、考えてはいけないような痛みを覚える。
 だがそれを深く追究するより前に、アントニーの唸るような声がクリスを現実に連れ戻した。
「げ、フランクだ」
 居たのか、とアントニーは顔を顰め、次いでクリスを伺うように見上げた。
「もう戻ってるみたいだな……今日は止めといた方が良さそうだぜ?」
「何故だ?」
「何でって……」
 いっそ驚いたように、アントニーはクリスをまじまじと見つめた。呆れているとも言える表情に、クリスは理由を促すように眉根を寄せる。
 頭振り、アントニーは深々とため息を吐き出した。
「お前、モニカと付き合ってたんだろうが」
「……ああ」
 間が空いたのは、躊躇ったわけではない。そう言えばレスターの話はそういう展開だったと、ここへ来てようやく思い出したのだ。クリスティンが知るわけもない情報を今更のように突きつけられて、一瞬耳を素通りしかけた、とも言う。
 だがどれほど動揺しようとも、板に付いた無表情はさほど変化しなかったようである。今度こそはっきりと呆れたことを口にしたアントニーが、言い聞かせるようにクリスの肩を叩いた。
「それを、こっぴどく振ったのはお前だろうが!」
「そう、なのか?」
「おいおいおい。モニカと会う日に何度も、家の用事がとか、クリスティンがどうのって一方的に約束破り続けて、そんでそれで別れたんだろうが」
 目を見張るクリスに、アントニーは肩を落とす。
「……そんなんで、よくエマと結婚できたよなぁ」
「クリスティンの、紹介だ」
「お前、基本それだよな」
「どういう……」
「本当に自覚がないのかね?」
 突如背後から割り込んだ声に、クリスはぎよっとして振り向いた。
「フランク」
 人物を認めてその名を思い出すよりも先に、アントニーが天を仰ぎながら答えを口にする。一拍遅れてそれがモニカ・ストーンの夫であると認識したクリスは、向けられた鋭い目に無意識に身構えた。
 そんな彼を認め、フランク・ストーンは莫迦にしたような笑みを浮かべる。
「大事な妹を亡くした途端、昔の恋人でも思い出したのかね?」
「フランク、よせ」
「君はモニカよりも、実家とクリスティンを取ったのだろう? あの時も思ったが、今更近くに現れないで欲しいのだが」
 あの時とは、クリスティンが死んだ当日のことを指すのだろう。そうして、目覚めてから軍部で会ったアントニーの様子を思い出す。クリストファーがあの場に居合わせたことに若干訝しげだったのはこういう意味か、と知れば彼の態度にも納得せざるを得ない。
(何やってんの、兄様――)
 呆れ半分驚愕半分、先にアントニーが浮かべた表情と同じ心境に陥ったクリスは、目の前の男にどう応対したものかと内心で口を引き攣らせる。妻の友人であるクリスティンに見せていた態度と大きく異なるそれに、どうにも困惑が隠せなかった。
 だが彼の言い分もよく判る。アントニーの様子を見るに、客観的に見ても彼の言っていることはけして偏りのあるものではないのだろう。
 クリストファーとモニカがかつて付き合っていたことは、もはや疑う余地もない。それはおそらく、モニカが一方的に熱を上げた結果のことなのだろう。そしてクリストファーはそこまで入れ込むことはなく、彼女よりも家の商売の手伝いやクリスティンの用を堂々と優先にした。それが続くうちに、どう「こっぴどく」なのかは判らないが破局に至ったという結末か。
 経時的に事象を並べてみれば、確かにクリストファーの方に非があるように思える。だがそこに彼の言い分は含まれていない。当時の彼の心情も状況も判らないクリスには、謝罪も反論も何も口にすることが出来なかった。
 黙りこくる彼をじっと見続けるフランク。そんな重い空気に絶えられなくなったのか、アントニーは腕を突っ張らせて二人の間に割り込んだ。


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