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 目を細めしばし立ち止まり、やがて何かを振り切るようにクリスは足早にその場を後にした。
 そうして進むこと数分。ストーン家を避けるように迂回した道で、クリスはふと目の前を何かが通り過ぎていくのに気がついた。
(光……? 光る虫か?)
 珍しいものではない。なんとなしに目で追えば、近道ともなる細い道の前でふっとそれはかき消えた。首を傾げ、どうせ家までの道と路地裏へと足を踏み入れる。
 そうしてしばらく背の高い建物の谷間を進み、――ふと、クリスは足を止めた。
(宿無し……)
 壁際に蹲るようにして、くたびれた服装の男が数人たむろしている。そこに荒んだ空気を感じ取り、クリスは眉を顰めた。
 クリスティンであれば即座に踵を返していただろう。彼女の武術の腕は成人男性にして侮れない域に達していたが、それと過信と無謀とは別物であるとも理解していたからだ。その癖を引きずっているためか、警戒心から自然、クリスの手は携帯している剣の柄へと手が伸びていった。
「おいおい、物騒だなぁ」
 呆れた声に、はっと我に返る。
「俺たちゃ何にもしてねぇぜ?」
「……それにしては、穏やかな雰囲気でもなかったがな」
 ふ、と息を吐き、クリスは改めて男達を眺めた。
 若干神経を尖らせている様子はあるが、よくよく見ればクリスに対して敵愾心をむき出しにしているわけではない。顔つきや服装から察するに、楽ではない肉体労働を主とした出稼ぎ労働者といったところか。
 彼らの多くは、日雇い労働者である。その日の実入りがよければ屋根のある場所を共同で借り、働き口がなければこうして人通りの少ない場所で一夜を明かす。職を求めて流れ着いた外国人によく見られる状況だ。活気ある国と言えど、秀でた特技のない人間がふらりと訪れて、定住民と同じ生活が出来るほどの余裕はない。
(彼らみたいのが、組織に上手いこと使われるんだろうな)
 そうしてふと、彼らに声は掛からなかったのだろうか、と好奇心にも似た疑問がわき起こる。
「なんだ?」
 黙ったまま、行くでもなく戻るでもなく、思案げに見つめ来るクリスを不審に思ったのだろう。一番体格のいい男が、睨みながら低い声を上げた。
「俺たちゃ、見せもんでもなんでもないんだぜ?」
「悪い。そういうわけじゃない」
 納得いかぬふうの男達を見回して、誤解を解く意味も含めてクリスは疑問を口にした。
「あなたたちは、このあたりで働いているのか?」
「はぁ? ……まぁ、何ヶ月も同じ場所にいるわけじゃねぇけど、ここ最近はこの辺りで働いてる。ちゃんと、滞在許可は持ってるぜ? 取り調べなら、」
「いや、そういうことを疑ってるわけじゃない。その、ちょっと聞きたいんだが」
「? なんだよ」
「最近、この辺りでうまい話を持ちかける輩を見なかったか?」
 平坦なクリスの声に、男達は顔を見合わせた。あからさまに、心当たりのある様子である。
 重ねて問えば、先ほどから応対している男が若干苛立たしげに口を曲げた。
「またかよ。何度も言わせんなよ」
「また?」
「アンタ、法務省の役人だろ?」
 数回瞬いて、クリスは小さく苦笑した。よく考えるまでもない。聞き込み調査は基本中の基本だ。囮調査における捕縛者の取り逃がしを見つけるために、或いは組織の尻尾を掴むために、法務省の捜査官が詳細に調べ回った後なのだろう。
(素人の考える事なんて、解決済みってわけか)
 莫迦なことをした、と思う反面、きっちりと仕事をこなしている法務省の仕事ぶりに安堵を覚える。
「……なに、笑ってんだよ」
 ひとりが、唸るような声を出す。男達の胡乱気な視線に今更のように気付き、クリスはまず間違いを正すべく首を横に振った。
「すまない。俺は軍部の人間だ」
「んだよ、紛らわしいな。だったら別に答える義務とやらはねぇな? とっととどっか行ってくれ」
「全く無関係というわけでもないんだが、妙な質問をしたな、悪かった」
「それがどう……いや、まぁ別に、構わねぇけど。おら、用がねぇんなら、行けよ」
 クリスが進入した方向とは逆を向き、男は不機嫌な様子を隠さぬまま顎をしゃくる。仲間らしき数人はどこか陰鬱な表情のまま、代表の男に同調するように上目遣いでクリスを見上げた。
(……なんだ?)
 彼らの態度に腑に落ちないものを覚え、クリスは一度は上げた足を地に戻す。
 クリスの態度を挙げて、某か因縁を付けてたかるのならまだ判る。この場を占領し通行を拒否する意味のない嫌がらせをしかけるのも、通行料という名の小遣いを稼ぐのも稀にみるパターンだ。だが彼らはそのどちらでもなく、別の何かを企んでいる様子もない。
 ただひたすら、関わることを避け、追い出そうとしている。
(不法滞在じゃないってのは、捜査官の聞き込みをクリアした時点で本当なんだろうし、他に何か厄介なトラブルを起こしたってのなら、そもそもこんなところで固まってないで逃げるだろうし?)
 代表で喋っている男以外の者の、警戒のような怯えのような目がクリスの眉間に皺を刻む。
「なんだよ、まだなんか用あんのかよ」
「いや、何でもない」
 男の鋭い眼差しに、クリスは諦めて足を動かした。おかしいとは感じるが、それが何であるのかなど見当も付かず、更にはそれを追及する権利もない。むしろ、余計なことに関わるべきではないと考えを改め、今度は迷うことなく男達の前を通り過ぎる。
 万が一に備え、クリスは一歩二歩、周辺を警戒しながら歩く。そうして、あと数歩で路地裏を抜ける、――といった時だった。
「ま、――待て!」
 上擦った声に、クリスは緊張を走らせた。何事か、否、何用かと警戒を強めながらゆっくりと振り返る。
「とっとと去って欲しかったんじゃないのか?」
 問えば、男達は揃って顎を引いた。引き留めておいて何だと、今更のようにわき起こる苛立ちにクリスは腕を組む。
 引く気のない威圧を持って口を引き結び、沈黙の上に仁王立ちをすれば、やがて座り込んでいた男のひとりが躊躇いを存分に含んだ顔を上げた。
「……なぁ、あんた、軍属ってたろ?」
「それがどうした」
「何日か前の収容所の騒ぎ、噂になってんのは、全部本当のことか?」
 事件のことは、大々的に検問所が設けられたこともあり、一般人の耳にも詳細が流れてしまっている。若干尾ひれのついた感はあるが、大筋として公式に訂正の促すほどのものではない。エマの口からそれなりに突っ込んだ内容のうわさ話を聞いたときは仰天したものだが、よくよく考えれば、今一番誰しもが気にしている組織関連の話題である。噂が広まらぬ方がおかしいというものだ。


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