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「最近体調悪くして痩せたっぽいけど、まぁ別に、……目立つほどじゃねぇし、着てるもんだって、まぁ、俺らと一緒であんま清潔そうってのじゃねぇし、ここ一年くらいは、同じ感じだったと思うぜ?」
「新たに何かした様子もなく、昔何かやらかしたわけでもなく、ただひと月ほど前に見たことのない男がいると警戒していたらしい、というのがなんとか考えられる変化という程度だな? そして、いきなりうわさ話を聞いた後に顔色を変えて居なくなった、と」  
 複数の頭が、不安を帯びた顔色とともに縦に揺れる。
 男達に言い聞かせるように話ながら、クリスは頭の中で絡まる糸の先を辿っていた。否、既に答えは判っている。
(見たんだ。爆破人物に都合の悪いところを、あの殺されたニール・ベイツ似の男と同じ現場を見た浮浪者だ)
 接点を見つけた、と心臓の音を高くしたクリスは、しかし己を戒めるように小さく頭振った。どうにも、都合が良すぎるのだ。
(こんな上手く、情報が手にはいるわけがない。偶然通りがかったら欲しい情報が出たなんて)
 老人の失踪が全くの別件という可能性は低いだろう。ではクリスに偽の情報を流し、軍部か特捜隊経由で混乱させる目的か、と疑い男達を見る。
「……なんだい?」
 不審と警戒を混ぜた表情だけで言えば、到底演技できるような者達には見えない。だがそれはクリスの主観だ。判断材料にはならない。罠であるということを否定或いは肯定する、もっと確かな理由や証拠はと思い、クリスは顔を顰めた。
(いや、ちょっと待って。そもそも、あの捕まった男のあやふやな証言を信じてるのって私だけじゃないの?)
 クリスの知っている事から新たに得た情報を加えてつじつまを合わせようとしていることに気付き、後頭部を乱暴に掻く。
(じゃあ、本当に偶然? そもそもここを通ること自体思いつきだし、運が良かったってこと? ――いや、もしかしたら)
 自問自答を繰り返し、クリスははっと顔を上げた。そうして、男達に目を向ける。
「老人の心配をしているのは、お前達だけか?」
 突然の質問に、彼らは目を丸くしたようだった。何のことかと一度は眉根を寄せ、ほどなくしてライノと呼ばれた体格のいい男が慎重に言葉を紡ぐ。
「どうかな……、約束すっぽかされた奴はおかしいって言ってたし、そもそも世話んなってるのは多いから、今丁度じーさん頼ってる最中の奴らだったら、探したりとかしてるかもな」
「俺に聞いたように?」
「まぁ、それもアリだろうな。むしろ俺たちゃ出遅れてる方じゃねぇか? 最後にじーさんと喋ってたって言われたら、俺たちまでなんか変なことに巻き込まれんじゃねぇかって、目立たねぇようにこそこそしてたっつーか……」
 己の身を案じて隠れていたことを恥じているのか、男の声は尻すぼみに小さくなっていく。確かに義理を考えれば褒められた話ではないが、老人の知人でも何でもないクリスには、別段責める理由もない。
 むしろ彼は聞くにつれ、顔色を無くしていった。
 男達の話はつまり、彼が極めて高い確率の偶然を引いただけということを示す。
(これは、――まずいんじゃない?)
 ”浮浪者”の身が安全だと判断した理由は、広い王都内に数多居る者の中から特定することはほぼ不可能という現実的な視点があったからだ。だが、その狙われる対象者が自ら目立つ行動を起こせば状況は変わる。積極的に聞き回っている者の口から噂は伝わり、そうすることで組織の人間、幅を狭めるならば拘留場所で爆破騒ぎを起こした張本人の耳にも入ることになるだろう。
 そうなれば、見つかるのも時間の問題だ。
(いや、一日二日顔を見なかったからって、そこまで大げさな騒ぎにはなってないだろうし、――まだ、大丈夫なのか?)
 組織の情報網がどこまでどう伸びているかにも寄るだろう。少なくとも向こうは、クリスと同じく浮浪者というキーワードを持っている。楽観的に「今はまだ大丈夫」と考えたとしても、それが覆されるのもあと数日の話だ。
 むろん、到底クリス一人の手に負える問題ではない。だがどうすれば、と思い、クリスは額の汗を拭った。
「……あの、どうしたんすか?」
 如何にも、クリスの様子が予想外だったのだろう。若い男がおそるおそるといった呈で問いかける。
「なんだよ、じーさんがいなくなる前みたいな顔しやがって」
「あ、……ああ、そうだな、そうだろうな」
 指摘に妙な納得を覚え、クリスは小さく苦笑した。
「すまん。その、なんだ。とりあえず、お前達の話は判った」
「……で? 何か思いつくことでもあったって顔だけど?」
「ああ、いや、……心当たりは、ない」
「なんだよ、それじゃ、」
「ただ、老人の行動からして、自ら姿を消した可能性の方が高いと思う」
 それはない、と言いたげに男達の視線が胡乱な気を帯びるが、クリスはそれをはっきりと否定した。
「ひと月かそれ以上前にやたら見知らぬ者を気にしていたと言ったな? その時点では例の噂で死んだと言われている犯罪者は捕まっていなかった時期かもしれない。老人が警戒していた相手がその犯罪者だとしたら? 或いはひとりではなかったとしたら? 警戒心を抱くほど何度も見ていたのだとしたら、相手にも感づかれている可能性がある」
「あ……」
「その、見ていた者が殺された。となればもしかしたら自分にも何かあるかもしれない、そう考えて隠れているとは考えないか?」
「じゃあ、やっぱろくでもない奴らに狙われて……!?」
「いる、とは限らない。単に老人の思いこみである可能性もある。それに、他の何らか知らない事情がある可能性もな。ただ言えるのは、下手に騒ぎを大きくすれば、老人の意図と反することになることもある、ということだ」
 言葉に、初めて気がついたように男達はぎくりと肩を強ばらせた。
「まぁ、全ては可能性に過ぎない。お前達が捜すのを止める気はないが、あくまで慎重にした方がいいだろう」
「あ、ああ、……そうだな」
「一応、俺も仕事の傍らで気に掛けておくが、あまり期待はしないで欲しい」
 そう言い切りクリスが口を閉ざせば、男達は俯いたまま某か思案しているようだった。彼らには彼らなりのネットワークがある。そこに口を出すべきではないだろう。そもそも、老人が自ら失踪したのか、追われて逃げざるを得なかったのかもはっきりしないのが現状なのだ。
 言うべきことは言い終えたと判断したクリスは、今度こそ男達に別れを告げて路地裏を出た。そうしてそこで、足を速めて家へと向かう。
(とりあえず、ヴェラに連絡を取らないと)
 自分一人で動くには多くのものが足らなすぎる。そう判断し、クリスは唯一、情報を直に共有した同僚を思い浮かべた。
 まずはエマに急用が出来たことを伝えなければならない。そしてその足で法務省へ向かい、ヴェラか、不在であればキーツを捜す。ふたりともに出会えなかった場合、次に相談するのは誰か。
(頼りがいで言えばレスターが一番冷静に考えてくれそうだけど)


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