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 レスターの動きには、どうにも怪しいところがある。ヴェラはアランにも警戒しろと忠告してきたが、おそらく彼は財務長官の不利になるような真似はしない。その点で、特捜隊の長が財務長官である以上、ある意味信用が出来る。ヴェラとダグラスは性格の方向性は違うが、あくまでも探っているだけで彼ら自身があれこれ状況をかき混ぜたりといったことはしないだろう。
 だが、レスターはどうにも掴めない。真面目に取り組んでいるように見えて底が見えない。時々、思わぬ所で姿を見せるのだ。
(いや、考えるのは後だ、――)
 頭振り、前方を見据える。硬く踏み均された地面に、色濃い染みが広がったのはそんなときだ。
「雨……」
 呟き、足を止めて天を仰げば、疎らに――本当に疎らに雲が雫を落としていた。激しく降る様子はない。だが暗い灰色の空は如何にも重たげで、クリスの心情を表しているかのようだった。
「――クリスティン」
「!?」
 突然の声に、クリスは表情を硬くする。
 誰、とは問うまでもないだろう。現在のクリスをクリスティンと呼ぶ者など限られているからだ。
「クリスティン、こっちだよ」
 目の前、おそらくはクリスにしか見えない朧気な光が、誘導するようにゆっくりと離れていく。人の形を成しながら、誰と判るほどの詳細はぼやけて判らない。
 どうにか表情が読み取れる、そんな光の塊を前に、クリスは強く眉根を寄せた。
「お前、何で」
「いいから、早く」
 進みながら振り返っているのか、光の一部が残像を残して回る。暗く沈み込んだ背景に、それは目映い粒子を振りまいた。誰にでも見える状態なのだとしたら、そして周囲に人が居たとしたら、随分と注目を集めることとなるだろう。
 彼らしくない、そう思えばクリスの眉間に強く皺が寄る。
「待て」
 勝手に離れていく光の塊を見ながら、クリスは低く唸るように呼び止めた。
「何を企んでいる?」
「何をって?」
「どこへ連れて行こうというんだ?」
「勿論、君が捜している人の処へ、さ」
「つまり、私の行動を監視していた、ということだな」
 光が、肩を竦めるように揺れる。
「生者には干渉できないんじゃなかったのか?」
「見たことを君に伝えるだけさ。干渉じゃない」
 つまりは、この光の塊は、クリスが捜そうとしている人物の行方を知っているということなのだろう。確かに、見たことをクリスに教えてくれたことは今までにも数度ある。
 だが、と思い、クリスは光を追い越して前に回り込んだ。
「お前は、何者だ?」
 問うてはいるが、実際にはその正体も目的も見当が付いている。吐き出すような声に、それは嗤ったようだった。
「ゲッシュじゃないことは判ってる。何がしたい?」
「何でそう思う?」
「ゲッシュは必ず人の形を取る。私がはじめ姿を見せろと言ったから。お前は、――そう、爆破事件の夜に見た、あの光はお前なんだろう?」
 むろん、根拠など何もない。それでもクリスは不思議とそう確信していた。
 光は、今度こそ本当にクリスに向けて嘲笑を見せた。
「勘は良いようだな」
「お前が判りやすいだけだ。だが何故あんなのを見せた」
「なに、もうエネルギーがほとんどないにも関わらず、肉塊にしがみついているんでな。放っておいてもいずれ勝手に離れるが、それを引きはがしてやっただけだ」
「いずれ離れるなら、見ていてやればよかっただろう?」
「気は長くないのでね。素直にすぐ出ていれば苦しむこともなかったんだ。自業自得というやつだ」
「……言いたいことは判った」
 クリスは目を眇めて光を睨む。
 要は、今前にいる光はクリスの現在の状態を良しとしない導き人であり、早く死ねと急き立てに来ているのだ。こうして堂々と目の前に現れるということ自体は意外だが、その存在はむしろ居て当然のもの、と言った方がいいだろう。
 問題は、何故そんな導き人が、今はクリスの得となることをしようとしているのか、ということだ。事件の解決に協力し、クリスの記憶を取り戻すことでクリスティンを昇天させようとしている、そう考えれば辻褄は合うが、爆破事件の夜に見せた光景といい挑発的な態度と言い、到底好意的に捉えられそうにもない。
 そうと見せかけて某かの悪意が潜んでいる、といったところか。
 クリスは短く息を吐き、額に流れる雨雫を掌で流した。
「では、案内しろ」
「?」
「お前は私を、老人のもとへ連れて行くつもりだろう? 時間が惜しい。とっとと進め」
 平坦な声で告げれば、光は驚きを示すように僅かに揺れた。けして狙っての言葉ではなかったが、その反応にクリスは内心で笑む。
 危険や罠を承知で彼が敢えてそこに飛び込む気になったのは、時間の経過と「浮浪者」こと老人の生存率、そして捜索の安全性を比較してのことである。クリスの考えが杞憂でなければ、時間をかけ安全に虱潰しに探し続けることはけして良い方向には転ばない。
 しばらくの間導き人はクリスを探るように光り続け、そうしてフイ、とその場から離れていった。

 *

 閑静な住宅街を抜け、大通りを横切り、家路を急ぐ人々に逆らうように進むうち、辺りは完全に闇に落ちた。ぽつりぽつりと建物から漏れる灯りと、疎らに立てられた街灯だけが頼りとなる。時折思い出したように雲は雨を落とし、次第にしっとりと濡れていく服が体温を少しずつ奪っていく。
 どこまで行くつもりか。
 およそ一時間ほどかけて王都を縦断する河べりにたどり着いたクリスは、どういうことかと光の塊に駆け寄った。
「こんなところに逃げ込んでいるというのか」
「答える義理はないな」
 にべもない返答だが、だからと言って今更引き返すことも出来ない。元々悪い足場にあいにくの雨と、危険の潜む足下に注意しながらクリスは川沿いに歩き続けた。
 そうして、周囲から完全に人の気配がなくなった頃に再び口を開く。
「……お前達導き人という存在は、生者に干渉できないんだよな?」
「基本的にはな」
「お前がこうして私に干渉していることは、結局のところ間接的に生者のあり方に影響を与えることとなる。これは問題とはならないのか?」
 以前ゲッシュは、ダーラ・リーヴィスの名前をクリスに教えることで協力をしている。それだけでも充分その後の展開に影響を与えることとなったが、今の導き人の行動はその上を行く。


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