[]  [目次]  [



 生者に干渉する無かれというのなら、これは明らかにやり過ぎと言える行為に当てはまるだろう。だがそれがペナルティでも何でもないのだとすれば、ゲッシュはもっと初期の段階で、一刻も早くクリスティンが心残りとしている事を解明すべく、協力ができたのではないだろうか。
 そのままクリスが言えば、導き人は口端を吊り上げたようだった。
「本来、生きている者に干渉はできない。お前が異常なだけだ」
「異常なのは判っている。だが今は、一応生きている状態なのだろう?」
「お前自身は死んでいる。その肉体と本来の魂が生きているだけだ。だからお前自身への干渉だけは出来る」
「つまり、普通はお前達の姿を見ることも喋ることも出来ないのか?」
「せいぜい、光の塊をどうにか視認できる程度だ」
 それはわざわざ調整などせずとも、白昼堂々現れても問題がないということだ。ゲッシュがクリスひとりのときを狙って現れていたのは、彼故の心遣いだったのだろう。
 思い、クリスは僅かに首を傾げた。
「お前達は同じ役目を負っているのに、随分と考えも雰囲気も違うものなんだな。今更の話だが」
「例えば商人に、善良な者も悪徳尽くの者もいるのと同じだ」
「私たちは職業を選んで進んでいる。モチベーションも目的も違うのは当然だろう。しかしお前達は、導き人というそういう存在じゃないのか?」
「――……。お前のように、人の運命を狂わせてまで生にしがみつく強欲な者を見れば、考え方も変わる」
 突き放すような言葉に、クリスは顔を強ばらせた。
 そこまで言うことはないだろう、そう言っていいのはクリスを庇う立場にある者だけだ。クリス自身が言うことは許されない。好きでこの状態になっているのではない、と何度も繰り返し訴えてはいるが、実際のところ、無感動に事実だけを見ればそういうことになるのだ。
 わき起こる混沌とした感情を無理矢理に抑え込み、クリスは暗い水面へと目を向けた。
「お前たちが私の存在を疎ましく思うのは当然だろうな。だが、それなら何故、こうして私の前に現れておきながら、私を消滅させないんだ? はじめからそうしろという意見もあったんだろう?」
 かつてのゲッシュとの会話を思い出しながら、クリスは拳に力を込めた。
「ゲッシュが私をはじめに見つけたから、彼の意見で様子を見ていただけなんだろう?」
「……」
「違うのか?」
「……いろいろと、手間がかかるからな。それよりも、もっと単純な方法がある」
「何だって?」
「単純は話だ」
 勢い、光の方へ詰め寄ったクリスに、導き人は目を細めたようだった。
「全てをリセットすればいい。お前の兄は死によってお前の呪縛から離れ、新たな生へと向かうことが出来る。お前はあるべき場所へ行く。最も単純で自然の摂理に反するところのない、安全な方法だと思わないか?」
「……先ほど、生者には干渉できないと」
「直接には、な。――その気になればいろいろと、やりようはある」
「ふざけるな!」
 怒りに、クリスは拳を震わせた。
「兄様の人生を何だと思っている!」
「……それを狂わせたのは、お前だ」
「判っている! だから、この状態が解けるように……」
「どうだか」
 トロイが、冷えた声で語尾を切る。皮肉ではない、もはや断言だ。
 何故そこまで言い切れる、と違和感と理不尽を感じながらクリスは口を開く。――だが、その時だった。
「……悲鳴!?」
 鋭く呟き、クリスは周辺を見回した。
 右に左に、目を凝らした瞬間、再び狂気を孕んだ絶叫が上がる。ゆっくりと流れる河とは逆、倉庫のような建物が並ぶ方面からだ。
 まさか、と思い、クリスは強く土を蹴った。不明瞭な視界に対する不安は吹き飛び、嫌な予感に心拍が上がる。水はけの悪い道に何度か足を取られながらも走ることしばし、古びた建物の群れを前に、クリスは改めて意識を耳に集中させた。
(どこだ)
 息を潜め、辺りを探る。
「……だ」
 荒い息づかい。ざり、と濡れた砂を掻く音が反響する。
「……れで、鬼ごっこは終わりか?」
「み、……逃し、……」
「てめぇが何を知っていようと、死んで貰えりゃそれで関係ねぇんでな」
「ひっ、」
 引き攣った悲鳴、直後にくぐもった呻き。何度も咳き込む音が響く。
 まだ遠い。そう思いながらクリスは拾い上げた小石を投げつけた。
 障害物は多く、命中するなど思っていない。案の定その石は崩れかけた土壁の上、好き放題に伸びた木の枝に当たった。衝撃に、ざぁ、と枯れかけの葉に溜まっていた雨水がこぼれ落ちる。
「……!?」
「なに……」
 襲われる者と襲う者、それぞれが突然の出来事に反応し、薄い雲の流れる空を見上げた。
 その間に距離を詰め、クリスは剣を抜き放つ。闇の中、誰とも判らぬ者を本気で斬りつける気はない。せいぜい、髪や服の一部を裂く程度の威嚇だ。
 だが次の瞬間、派手に散ったのは火花だった。ふたつの金属が互いの体を弾き、高い音を立てる。
(速い……!)
 引き、クリスは相手の反応に舌を巻く。気配も消しきれぬ中、奇襲というにはお粗末な一撃であったが、こうも容易く弾かれるというのは予想外だった。
 土壁にへたり込んだ襤褸くずのような人間、その前に立つ比較的小柄な男は、先ほどと位置を変えぬままに剣をクリスに向ける。
「……へぇ」
 可笑しそうに口端を曲げたのは、余裕の現れか。
「仕事が増えちまったじゃないか」
「何者だ」
「それはこっちの科白なんだけどねぇ。こんなとこに来たってことはあれか? てめぇも変な光に誘われたってわけか?」
「光……」
「なんだ、違うのか。じゃあまぁ、――」
 そして男は、暗がりにも判るほどの嬉しそうな笑みを浮かべ、
「運が悪かったんだね」
 次の瞬間には、クリスに肉薄していた。
「……っ!!」
 咄嗟にしゃがみ、電光石火の一撃を躱す。
(こいつ……!)


[]  [目次]  [