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 人身売買組織の一掃から五年、ルークは未だ彼の鮮やかな手腕に追いつけない自分を省みて再び深く息を吐く。――否、その成分のほとんどは自嘲だ。
 そして今はなにより、物憂げな空気を破壊し更に自己嫌悪に陥らせる人物が居る。
「いやー、参った、参った」
 男の声に、ルークは反射的に眉間に皺を寄せた。
「もうちょっとで捕まるところだったわ。いや、一旦捕まったわけだから、逃げ損なうところだったって方か?」
「そのまま捕まれば良かったのですがね」
「言うねぇ。でもそこまで間抜けじゃないわけよ。残念だったなぁ。――ああ、湯、ありがとさん」
 とぼけた調子で、男は腹を揺する。
「ま、予想外に大事になっちまったけどなぁ、でもまぁ、それで逃がしたと思ってたもうひとりもあぶり出せて始末できたわけだし、結果オーライ?」
「なに?」
「おっと、怖い顔すんなって。ちょっとした後始末だよ。後始末。莫迦どもが、勝手に援助とか言いながら余計なことをしてくれたからサ」
「……お前が始末されてくれれば良かったのですがね」
「今夜は辛口だなぁ! ――人質取られてるって自覚あるかい?」
 男の口調は、どこまでも粘っこい。
 ルークとて、ただ手をこまねいているだけではない。男に殆ど手駒がないのは知っている。彼らがどのあたりに拠点を持っているのかも、確証はないながらある程度特定も出来ている。そうした情報を元にルークが相打ち覚悟で挑めば、それに見合っただけの成果は得られるだろう。権力や人を使って強引に事を進めることも有効なことは判っている。
 だが、できない。全ては大切なものを棄てられないルークの弱さによるものだ。油断ならない相手だと――最もそれは過剰な評価ではないが――罠を恐れるふりをして結論を先延ばしにしている。
 内心で己を罵りながら、ルークは眉間を指で揉んだ。
「一斉捕縛の計画も、言うとおりにしたはずですが」
 何が不満だ、と睨み付ければ、男はつ、と口端を吊り上げた。目を細め、肉付きのいい頬が上がるとそれだけで狡猾な笑みとなる。
「ちょっとばかし、邪魔だったんだけどねぇ。わざわざ自分が財務省館内に泊まり込み、忠犬とガタイのいい軍の狗を配置しておいて、事が起こったら自分が指揮を執るんだもんなぁ。おかげで、殆ど逃がしてやれなかったんだよなぁ」
「便宜を図る約束などしていません」
「邪魔を許可した覚えもねぇぜ?」
「……」
「それに、手を打つのも早いねぇ。奴らを調査に回してきてさ。前情報がもらえなかったら、危うく出る前に見つかるところだったじゃないの。危なかったよ、ホント」
 勿論、賞賛などではない。脅しを含んだ男の言葉に、ルークはす、と目を細めた。
 数々の報告を総合した結果、王宮方面へ逃げた者が主犯――まさか彼本人だとは思わなかったが――だと判断したのは間違いではなかったようである。惜しむらくは、事後処理に追われて後手に回ってしまったことか。
(だが、事件にかこつけて王宮を調査したが……、ブラム・メイヤーが王宮に小細工したと考えるのは間違いだったか?)
 なかなか入り込む余地を見せない王宮へ兵をねじ込む格好の理由が出来たのはよいが、些か当てが外れた思いである。となれば、もともと王宮に設えられていた古い細工をかつてゼナス・スコットが曝き、今も尚利用されていると見るべきか。
 どちらにしても手詰まりだ、とルークはひとりごちる。バジル・キーツから報告が挙がってる犯罪者からの証言に引っかかりを覚えるが、この広い王都からそれらしき人物を捜し出す為だけに軍を動かすわけにはいかないだろう。多少性格に難はあるが能力的には優秀なアランや、その他個人的に雇った人物だけでは如何にも骨の折れる作業だ。
 どうしたものか、と次の一手を頭の中に展開しつつ、ルークは肘掛けをコツコツと叩く。
 そんな彼の様子に、男は愉し気な、それでいてどこか残忍な笑みを浮かべた。
「でもまぁ、結果としちゃ問題なかったし、面白い奴も見つけたことだし」
「面白い……?」
 ルークはそこに不穏の残滓を聞き取り、咎めるように繰り返す。
 だが、男ははぐらかすようにただ肩を竦めた。そうして気障な舞台俳優のように大きく顎を反らす。 
「少しばかり楽しめそうだから、てめぇは許してやらぁ」


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