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「……。……いえ、わかりました」
 余程間の抜けた顔をしていたのか、ヨークは小さく苦笑してあっさりと頷いた。判らないのはクリスの方である。
「あの老人の殺害容疑じゃないのか?」
「老人? ……ああ、いくつかそういった報告がありましたね。よくある移住者同士のもめ事の結果だと思っていましたが」
 言葉を切ったヨークの目に、先ほどとは違う光が宿る。
「話、もう少し詳しく聞かせて貰いましょうか」
 クリスは一瞬、小さく顎を引いた。牽制するつもりで、かなり余計なことを言ってしまったようである。
(なんで、こう……)
 クリスは己の早とちりに耳を赤くした。
(確かに老人の遺体は、殴る、蹴るの暴行の後に死んだだけにしか見えないものなぁ)
 死体が発見されたとしても、何らかの既存の事件に関与している、或いは死体そのものの状態に明らかな異常があるといった場合を除き、発見された時点で死因の追究や犯人捜しなどは行われないのが常だ。身元が判明次第家人や知人に連絡が行われ、そこで依頼され、賞金が課せられて初めて加害者の捜索が行われるが、金銭的に厳しい者達はほぼ泣き寝入りしているというのが現状だろう。
 しかし、とクリスはそこでおかしな事に気がついた。
「俺は毒を喰らって倒れてたんだろう? そんなのの近くに死体があれば関係性を疑うものじゃないのか?」
「関連あると思えるほど近くではないでしょう?」
「え?」
 目を丸くし、クリスはヨークを見つめた。対して、ヨークの方も何度か瞬いて口端を下げる。
 数秒の間、その後ほぼ同時に香茶の液面にさざ波が生まれた。
「情報交換と行きましょう」
「異存ない。だが、まずはあなたからだ」
「結構です。あなたの昨日の動きは大まかには聞きましたからね」
 頷き、ヨークは僅かに声を潜めた。
「殺人容疑と言いましたが、正確に言えば誘拐と言った方が正しいでしょう。昨夜、王宮から女官ひとりと近衛兵ひとりが姿を消しました」
「失礼だがそれは……」
「勤務時間になっても現れないふたりのことを、当初は単なるサボタージュと思っていたそうです。ところが、夜半を過ぎても所在不明。王宮から届けがあり辺りを探したところ、軍の訓練施設を越えて河に至る途中に近衛の制服が棄てられていました」
「そこに、持ち主が死んだと思わせるようなものがあったと?」
「ええ。背部が裂かれ大量出血があったと思われます。そして周辺の聞き込みでは、女官と思われる人物が背の高い男と歩いているところが目撃されています」
「何者かから逃げていたが捕まって殺されたという判断か?」
「現在の情報ではそれが妥当な線ですね。ここまで言えば判るでしょう。その血まみれの服が棄てられていたその近くに、明らかに誰かと戦った後と思われるあなたが倒れていたというわけです」
「しかし、大雑把に聞いただけでも、場所が明らかに違う。川沿いであるには違いないが、俺が意識を無くしたのは今は使われてない倉庫が密集しているあたりだ。相当距離がある」
 誰かが移動させたとしか思えない。だが誰がと言われても心当たりはなかった。止めを刺すわけでもなく救助するわけでもなく、いったいその人物は何がしたかったというのか。
「あなたを発見したのは巡回の兵が通る場所でした。そのこともあって、件の近衛制服が見つかったのです」
「とすれば、自分が救助したと名乗れない人物で、しかし、俺を助ける意志はあったとなるな」
 呟き、クリスはヨークの意図をおおまかに理解した。武器を奪わなかったことからも判っていたことではあるが、ヨークは本気でクリスを殺人犯と思っていたわけではない。おそらくは、関連する人物と接触したうえで怪我を負ったと推測していたのだろう。
 ただ、人気のない訓練所の更に端にまでクリスが足を運ぶ理由がない。そのあたりに某かの情報があると睨んでいたというあたりか。
 クリスの重心の移動に合わせ、椅子がギシ、と唸る。ここへ来て彼は、体のだるさと共に緩やかに蔓延る苛立ちを自覚した。
(このまま引き下がるのも癪だな……)
 クリストファーの体を乗っ取って以降、形を潜めていた積極的な闘志がのろりと鎌首をもたげて威嚇する。もともと兄に比べ、クリスティンの沸点は低い。
「さて、それでは俺の方の情報はと言いたいところだが、残念ながら、先ほどの話で全てなのでな」
「……それで? まさか情報交換と了解しておいてこれで終わりと?」
「終わりにしたくないのはこちらもだが、残念なことに、あれ以上のことは思い出せそうでいまひとつはっきりしない。なにせ、毒を喰らって目覚めるなり、連行されたものでな」
 まだ怠い、そう如何にも気怠げに呟けば、ヨークはぴくりと耳を動かしたようだった。若干、強引に過ぎたことに自覚はあるのだろう。疑わしい者や関係者への尋問は法務省捜査官の権限のひとつではあるが、それは常に人道的なものであるべきと定められている。
 クリスが大人しく付いてきたのも事実だが、ひとこと「脅された」と訴えればそれまでだ。
「待ってください。あなたを襲った人物に心当たりは?」
「ない」
「事件に関わる人物を追っていて襲われたということですが、襲ってきたのがニール・ベイツという可能性は?」
「違うな。五年前の顔絵と全く違う。それに、背が低かった」
 情報を小出しにしつつ、どこで切るのが良いかとクリスは慎重に言葉を選んで応答する。
「服の下や靴にいろいろと仕込んでいた様子だった。おそらく、太っているわけではないだろうが、丸顔という印象だったから、着膨れていれば小太りと表現されてもおかしくはないと思う」
「それは、時々目撃される男なのでありませんか?」
 僅かに、ヨークの声が高さを上げた。目に力が入っている。引き出すべき情報が彼の中でまとまってきた証拠だ。
 もう一押しか、とクリスは僅かに目を眇めた。
「さぁ、どうだろうな。ただひとつはっきりしているのは、収容施設の爆破時に逃亡したひとりである可能性がかなり高いことだ」
「と、言いますと?」
「王宮方面へ逃げた人間が数人いた。俺はそれを他の者と追ったが逃がしてしまった。その時、先に追っていた人が戦ったときに食らったという隠し手を同じ技を使われた」
「……なるほど」
「ああも暗くてはな。……ただ、顔をなんとなく思い出しそうなんだが」
 わざとらしく言い止めて、クリスは考えるように首を傾げてみせた。そうして待たせること数十秒、あからさまに窺う様子を見せながら大げさに首を横に振る。
「ここまで来てるんだが、無理だな。毒が抜けきってないのか集中もしにくい」


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