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「……重要な情報を伝えるのは市民の義務ですよ」
「言っただろう。思い出せそうだ、と。まぁ、それなら、出せたらその時にでいいだろう? ここへ連れてこられた理由は関係ないとわかったはずだしな」
 言いつつ、クリスは億劫そうに席を立った。
 そうして、では、と去ろうとしたクリスをヨークが手で止める。釣れたか、とクリスはひとつ鼓動を高めた。
「ケアリー・マテオ」
「……?」
「死んだと思われる近衛兵の名前ですよ」
 何度か瞬き、クリスは一歩足を戻した。そうしてまじまじとヨークを見遣る。
「それで?」
「不満ですか?」
「何が言いたいのかは判らんが、その程度のことは法務省にも財務省にも知り合いがいるからすぐに知れる」
 むろん、ヴェラとアランのことである。彼らならその程度の情報を掴むくらいは容易いだろう。ダグラスに頼るという手もある。指摘に、ヨークは小さく舌打ちしたようだった。
 互いに視線を逸らさぬまま、ピンと張り詰めた空気の中に身を浸す。
 時間の問題もあったのだろう。最初に折れたのはヨークの方だった。
「ケアリー・マテオは爆破事件の夜に王宮警備を担当していた者でした。爆破当時の位置は不明ですが、現場で彼らしき人を目撃したという情報もあります」
「! それは……」
「マイラ・シェリーは同じ事件の時に亡くなった収容所主任官のフィップ・シェリーの娘です。彼女の王宮入りはついこの間でした」
 駆け引きの場に特有の探るような険が抜け、訴えるような色がヨークの目に宿っている。それを認め、クリスはゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「収容所主任官の仕事は、主には事務的なものか?」
「ええ。入牢する者が多いときは、牢の振り分けなども行いますね」
「……なるほど」
「あとは、事件当日がそうであったように、何かあったときに率先して現場に向かい解決を試みる責任者となります。そういう意味では彼の行動は別段怪しいものではありません。ただ、立場的には重要ですが、位は無位ですし、裕福というわけでもありません」
「つまり、娘を王宮女官として入れる代償に、組織に協力していた可能性があると?」
「証拠はありません。王宮に賄賂を渡したところを組織に知られ脅されたという見方もあります」
 成る程、とクリスは頷いた。彼の推測をまともに捉えるならば、王宮に組織に与する者が、それも人事に口出しできる場所に存在することとなる。五年前、王宮は三省と同様の厳しい調査の手が入った場所であることを思えば、ヨークの意見の方が妥当と言えるだろう。
「怪しい人物は?」
「そこまでは、と言いたいところですが、いいでしょう。陛下の筆頭侍従であり宮廷管理官室長セロン・ミクソンが怪しいと睨んでいます」
「あの男か……」
 王宮へ向かった時に会った人物を思い出し、クリスは顔をしかめた。顔つきだけで言えば悪辣というほどではなかったが、底の読めない気味の悪いところがあったのは確かだ。
「王宮の運営には辣腕を振るう反面、相当女と金に汚い人物です。マイラ・シェリーは社交界でも話題の美しい女性ということですから、彼にしてみれば両方が手に入る美味しい機会だったと言えるでしょう」
「その男と組織との関係は全くなさそうなのか?」
「少なくとも、五年前は白という結果ですね。関わっていたとすればゼナス・スコットや幹部と接触がなければおかしいほどの高官ですが、接点はゼロでした。ただ、先ほど言ったとおりの悪趣味ですから、気付かぬうちに賄賂を受け取って融通を利かせたということはあるかもしれません」
「虫酸の走る話だが……」
「他に情熱を燃やせない哀れな人物だと思っておけばいいのですよ」
 言って笑うヨークは辛辣だ。だが、安易な欲にしか目を向けられないのは、確かにその通りなのだろう。
 クリスは唇を湿らせ、わざと間を空けて話題の舵を大きく回した。
「情熱、と言えば、あなたの求めるものはその後、手がかりでも?」
「……それが今、気になるところですか?」
 呆れ半分警戒半分、ヨークの声に硬さが混じる。それに気付かぬふりをして、クリスは小さく肩を竦めた。
「バーナード・チェスターについてはもう少し自分で調べるつもりだ。王宮の増改築に関わったブラム・メイヤーの方が手がかりがなさそうで困っているんだが」
「……」
 些か図々しいかと思いつつ言えば、ヨークはため息を吐いたようだった。
「まぁ、いいでしょう。そもそもメイヤーのことを吹聴したのは私ですしね。正直、メイヤーの仕事内容はともかく、メイヤー自身を調べて何か出るとは思えませんが……。いずれ、彼について何か判ることがあればお知らせしましょう」
「……随分気前が良いな」
「あなたの持ち札は、かなり重要だと思ったからですよ」
「俺を襲った人物の顔、か」
「ええ。今回の事件、小太りの男とニール・ベイツ、ふたりの茫洋とした情報以外に具体的な人物情報がありません。はっきりと、誰と特定できるような情報は貴重なんですよ」
「しかし悪いが、絵心は全くない」
「期待していません」
「……、……だろうな」
「私が大まかな顔絵を描いていきます。特徴を言ってください」
 調書に使う物か、紙とペンを取り出してヨークは姿勢を正した。ここいらが情報を引き出す限界か、とクリスは腕を組む。
 そうして頭の中に思い描いた男の顔は驚くほどに、――因縁の相手かと思えるほどに詳細だった。
「顔は、どちらかといえば丸顔だな。ただ肉付きが良いと言うよりは――……」
 見聞きして知っていることをそうでない者に伝えるのは得意とするところである。このあたり、商品の売り込みをする父親を見てきた経験が活きているのだろう。
 ヨークは時々質問を加えつつ、滑らかにペンを走らせる。書いては直し、加えては消す、そんな繰り返しの時間、低い声と紙の擦れる音に満ちた空間は、ある種のノスタルジックな雰囲気が漂っていた。
 やがて、ヨークのペンが動きを止める。その手元を覗き込み、クリスは賞賛に目を見開いた。
「よく出来ている」
「似ていますか?」
「そっくり、とは言えないが特徴はよく捉えている。本人を目の前に描いたわけではないのに、上手いな」
「それはどうも」
 専門家に師事したことはないのですが、と小さく加える辺り、自負と謙遜に照れが混じった状態なのだろう。
「ところで今日のところは、これは私が持っていきますが、よろしいですね?」


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