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 深々とため息を吐き、アランがクリスを改まったように見つめた。
「何を今更……」
「悪い」
 素直に謝れば、アランはあからさまに顔を顰めた。これは答えてもらえないかなと思った矢先、彼は短くため息を吐いて口を開く。
「はぁ、仕方ないな」
 どうやら、説明してくれるようだ。少々意外ではあるが、天の邪鬼な部分のあるアランのこと、バジル・キーツに聞こうとしていたという前置きが案外効いたのかもしれない。まとめ役をしている以上クリスの質問にキーツが答えるだろう事は明白で、つまり、言い渋ったところでクリスにダメージが入るわけでもないのだ。
 単なる気まぐれという可能性もあるが、何にせよありがたいことには変わりない。
 そんなクリスの考察を余所に、一歩、二歩、ゆっくりと進みながら言い含めるようにアランが説明を始めた。
「いいかい、クリス? 単純な話さ。ニール・ベイツの存在を示す証言があったのさ」
「証言? 偽物やそれらしい人物の目撃情報ではなく?」
「そう。法務長官に重傷を負わせた者がそう呼ばれているのを、財務長官ご本人が耳にされたんだ。もっとも、はっきり聞いたわけではなく、『ベイ』か『ベイツ』か、とにかく曖昧な言葉だったらしいけど」
「では、はっきりと見たわけではないと」
「後ろからいきなり攻撃を受けて倒れたんだ。まともに見てる方がおかしいだろ」
「財務長官はそれで気を失ったとか?」
「最終的にはそうだけど。気を失う前に警笛を鳴らしたんだよ。クリス、お前も聞いたことあるだろ? あの方は常に携帯なさっている」
「それを聞いて警邏の者が来たと?」
「すぐにかどうかは判らないけど、あの辺りは普通に住宅もあるだろ? 警笛の切羽詰まったような音を聞けば住民だって起き出すさ。それで襲撃者たちは慌てて去ったんじゃない?」
 現に、外国人労働者の老人もそこに居た。王都という狭い土地に人が集まっている場所では確かにそうなるだろう。
 だが結局は誰も姿を見ていないのだなと思ったクリスに気付いたか、アランはむっとしたように唇を尖らせた。
「別に財務長官の証言だけで判断されたわけじゃないさ。護衛の遺体の切られ方や残された足跡なんかも分析されてて、特に靴の大きさから背の高い人物が居たとも判ってるから、ベイツが居たとしても充分おかしくないって判断さ。後はベイツと同色の髪の毛が死んだ護衛の指に絡まってたとか」
「……なるほど」
「それに、はじめにも話し合った内容だけどさ、あんな辺鄙な場所の再調査に目を付けてしつこく監視するなんて、やっぱり内情を知っていないとおかしいだろ? 確かにはっきりと目撃されたわけじゃないけど、総合的に考えると他に該当する奴もいないし」
 様々な方面からの消去法の結果に加え、オルブライトのやや不完全な証言が決定打となったという形か。むろんそれはオルブライトが組織に与して偽の証言をした、と斜め上を行く発想をするなら覆る可能性を秘めている代物だ。だがそれは奇抜に過ぎるもので、クリスが別の方面からそれを考えた時と同じく、到底あり得るものではない。
 五年前、国内の組織を完膚無きまでにたたきつぶしたその人だ。たとえ、信念が歪んで組織と手を取ろうとしたところで、組織の方が断るに違いない。
(あの背の低い男は人に使われるってタイプじゃなさそうだったけど、奴が実行役でニール・ベイツが国外の組織との連絡役って分担してるってことも考えられるし)
 ひとまずの根拠を得て、クリスはその問題を脇に置いた。次にはっきりさせるべきことは十二年前のバーナード・チェスターのことだが、こちらはさすがにアランからの情報だけで済ましてよいものではない。
 法務省の通路を歩きながら、クリスはこめかみを軽く揉んだ。
「なに? まだ判らない事でもあるの?」
「判らないことだらけだが」
「……だよな」
 いっそ呆れたようにアランは緩く頭振る。開き直ったクリスはそんな彼を横に、今し方ヨーク・ハウエルから得た情報を口の中で繰り返し呟いていた。
「新しく得た情報で更にややこしくなった気がするんだが……」
「単に整理できてないだけだろ?」
「そうなんだが、何というか、マイラ・シェリーという名前にどこか聞き覚えがあるんだが、どうにも思い出せない」
「は? それは、ちょっとはあるんじゃない? シェリー家の令嬢って言ったら、ちょっとは噂になってたろ?」
「噂?」
「どこそこの誰が綺麗だ、とかそういう噂」
「ああ、そういう……、……あ」
 頷きかけ、ふと脳を刺激した記憶にクリスは大きく口を開けた。そうして立ち止まった彼を、アランは不審気に見遣る。
「なに? 間抜けな顔して」
「レスターだ」
「は?」
「レスターなら知ってるかも」
「? それは、エルウッドならそういうのにも僕より詳しいと思うけど?」
「いや、そうじゃなくて。そうか、あの時アントニーがシェリー家令嬢とか言ってた、あれか」
 クリスと記憶を共有しているわけでもないアランは、訝しげに首を傾げている。それを視界の端で気にしつつ、クリスは後頭部を乱暴に掻いた。
(あの時の逢い引きの相手か。確かに美人だった……、って、いやいや、それはどうでもいいし)
 問題は会ったその日がまさに、爆破事件の前日だったということだ。
(単なる社交界でのお付き合いなだけかもしれないけど、やっぱり何か知ってるかも知れない)
 悩むこと数秒。だが考えていても埒空かないと眉間を開いたクリスは、律儀に彼を待っていたアランに向き直り、思いのままを口にした。
「アランも来るか?」
「って、どこにだよ?」
「レスターの家」
「は? なんで、……って、嫌だよ。エルウッドの澄ました顔を見に行く趣味はない。それに、仕事もあるし」
「そうなのか?」
「あんたみたく暇じゃないんでね。はぁ、まったく」
 文句らしきものを呟きながら、アランはクリスに背を向けた。
「あんたの脳天気な様子見たら気が抜けたよ。僕は財務省に戻るけど、長官に迷惑が掛かるようなあんま突飛な行動すんじゃねーぞ」
「え? あ、ああ。その、気をつける。今日は悪かったな」
「だから、あんたの為じゃ……、はぁ、じゃあ、またな」
 若干背中を曲げつつ後ろに向けて手を振り、アランは法務省内の廊下を出入り口とは違う方向へと曲がっていった。三省の建物は庭を通れば正門以外からでも行き来できる。彼が向かったのはそういった道だろう。やって来るときはヨークの誘導でそういった裏道から入ったクリスだが、生憎と一度で理解できるほど単純な道ではない。
 アランと別れた後まっすぐに正門へと進み、途中、法務省本館の正面の窓口へと足を向けた。特捜隊の実質の長であるオルブライト財務長官には、アランからあらましが伝わるだろうが、キーツにはひとこと事の経過を報告しておく必要がある。


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