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 入り口付近に控えていた老紳士が、感心したように笑みを浮かべる。
「よくご存じで」
「いや、特徴的だからな。それにしても、こんな良い茶を出して貰うほど……」
「茶葉も味のわかる方に含んでいただける方が喜びましょう」
 遠回しに、レスターかその妻が味音痴だと言っているようなものだ。ここは聞かなかったことにすべきかと微妙に口端を歪め、クリスはますます混乱する頭を軽く掻いた。
「レスターは、どこかへ出かけているのか?」
「いえ、坊ちゃ……いえ、旦那様はときおり朝に散歩に行かれることがありますので」
「そうなのか」
「はい」
 何事もなかったかのような表情をしているが、絶対にわざとだ、とクリスは確信した。老紳士はつまるところレスターの幼少時から家に仕えていた者であり、若い主人の数々の黒歴史的な武勇伝も知っているのだろう。
(問題は、何故私にそれを暴露したがるような素振りをしているのか、だけど)
 如何にも品の良さそうな、しかし隙のない佇まいから、誰彼構わず悪意を持って言いふらしているようには思えない。
「失礼だが、レスターから何か?」
「いえ、何もお聞きしてはおりません」
「喋り相手になってくれているところを申し訳ないが、私を怪しいとは思わないのか?」
「思いません。クリストファー・レイ様の事は旦那様より何度かお名前を伺って存じております。それだけです」
「私のこと!?」
「はい」
 にこりと笑って口を閉じる。つまりはそれ以上は言う気はないのだと悟り、クリスは湿った目を老紳士に向けた。むろんそれに動揺した様子もなく、老紳士は更に笑みを深くする。
(……主従揃って、読みにくい)
 一枚上手かと判断し、どう反撃してやろうかと唇を舐め、しかしクリスはそこで口を閉ざすこととなった。
「ユーリアン」
 突如開いた扉から、細い女の声が知らぬ名を呼ぶ。
「もういいわ。お前は下がりなさい」
「奥様……」
「聞こえなかったの? 下がりなさい」
 有無を言わせぬ口調は、声そのものの甘さに反して冷ややかだ。誰、と思い視線を向け、クリスはぎよっとして仰け反った。
 小柄な女性だ。大きな蒼い目は長いまつげで縁取られてけぶり、形の良い鼻、紅い唇が小さな顔に形良く収まって比類なき美を示す。なにより、金糸細工のような髪が緩やかに背中を流れる様が圧巻だった。
(これは、相当)
 まだどこかに幼さが残るものの、歩き来る姿までが優雅で文句の付けようがない。小さな扇を持つ手指までが繊細で芸術的な造形をしている。そんな彼女はぽかんと間抜けに見上げるクリスの前に立ち、わずかに値踏みするような視線を向けた。
「……あら」
「奥様!」
「ユーリアン。最後にもう一度言います。下がりなさい」
 強い口調に、老紳士は眉間に皺を寄せ顎を引いた。どこか反発的なそれはしかしそれ以上の態度に出ることはなく、表情を隠すように礼を取った後、彼は俯き加減のまま部屋を去った。一拍置いて、扉がカチリと閉まる。
 引き留める間もなく、というよりは状況の把握ができないまま、ひとり残されたクリスは戸惑いも顕わに女へと声を絞り出した。
「私に何か?」
「名前は何と仰るの?」
「は?」
 急に音程を上げた声に、否、突然の質問に、クリスは強く眉根を寄せた。だが、訪問先の女主人に対して問うならば先に名乗れ、とはさすがに言えず、こめかみを掻いてからゆっくりと立ち上がる。
「クリストファー・レイと言う。レスターを尋ねたのだが、不在とのことでこちらに通されたのだが」
「まぁ、そうでしたの?」
「何か不都合なら、それを押してまで留まるつもりはないが……」
「お座りになって」
 語尾を遮る一方的な言葉に、クリスはさすがに呆れて口角を下げた。素直に言葉に従うことはおろか、この部屋に居続けること自体が早くも苦痛になりつつある。だがそんなクリスを気にしたふうもなく、女は向かいの椅子へと優雅に腰をかけた。
「立ったまま話されるのがお好きなの?」
「……人に名乗らせておいて、自分はなしか?」
「あら、ご存じなかったのね。失礼しましたわ。わたくしはステラ・エルウッドと申します」
 内心、知るかと吐き捨てつつ、クリスは表情を改めた。悪い意味でマイペースな女だが、先に会ったカミラのような敵を見るような視線というわけではない以上、客としては常識的な対応をすべきなのだろう。
 商売や目的抜きの腹芸に自信のないクリスは、細く長いため息を吐き、ステラと名乗った女に向き直った。
「それで、私に何かお話でも?」
「主人の不在に客の相手をするのは当然でしょう?」
「その通りですが、些か不用心では?」
「あら、何故とお聞きしても?」
「扉を閉めたのはあなたでしょう? 失礼だがこの場合、中を窺えるように開けておくべきでは?」
「まぁ」
 目を見開き、ステラは可笑しそうに笑う。華が風に揺れたような魅惑的な美しい笑みはしかし、生憎とクリスには通用しない。何が可笑しいと思いながら、クリスは腰を浮かした。
「真面目でいらっしゃるのね。ですがお座りになって。最近の朝は少々冷えますの。開けていると風が通ってしまって」
「……そう、ですか」
 もっともらしい言葉に、クリスは渋々椅子へと引き返す。
「しかし、それでは尚更。私のことは気にせず暖かい部屋でお休みください」
「まぁ、それでは主人に後で叱られますわ」
「レスターはその程度のこと気にしませんよ」
「そうかも知れませんわね。ですが、お気になさらずに」
「……」
「そう言えばこのところ、主人が忙しく家を空けることが多いのですが、何故かご存知でいらっしゃる?」
「ああ、それは……」
 ようやくと言うべきか。まともな会話として成立しそうな話題に、クリスはふと息を吐いて姿勢を正した。


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