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 指摘に、クリスは目を細めた。フィップ・シェリーは牢を振り分けただけ、誰かは食事に毒を仕込んだだけ、誰かは言われたままに食事を配布しただけ、最後に誰か――おそらくは昨夜から行方不明の近衛兵、ケアリー・マテオか――が爆発物を投げ入れただけ。強いて言えば最後のタイミングだけが少々難しいが、某かの合図が定められていたのなら難易度は大きく下がるだろう。
 首謀者の男を除き、実行に関わった殆どの面々には、明確な殺意も大事件へ関与するという意識もなかったに違いない。それをよくぞここまでまとめたものだと、話を聞き終えて、クリスはふっとため息を吐いた。
「ニール・ベイツ似の男と、最後まで一緒に牢に入れられていた、逃亡した男の名前は判っているのか?」
「前者はずっとニール・ベイツで通していた。もう一人の男は、ルーク・セスロイドと名乗ったようだが、勿論、偽名だ」
「?」
「財務長官、法務長官、軍務長官の名前を全部合わせただけだ。ふざけている」
 なるほど、とクリスは苦笑した。国の重鎮をしてその扱い、怒りと言うよりもその大胆な様にはむしろ恐れ入る。レスターの声にも呆れの色の方が濃い。
「その男の顔絵をと今は躍起になっているらしいが、あの大人数の収容というのがここでもネックになっている。背はそう高くなく、特徴はなく、というふうでなかなかこれといった絵ができないらしい。髪の色は濃い金髪ということだが、おそらくはまぁ、鬘だろう」
「……その男の顔、知っていると言ったらどうする?」
「なに?」
 冗談にしてはタイミングも内容も悪いと判断したのだろう。半信半疑ながら聞く姿勢を見せたレスターに満足し、クリスは今朝ヨークに語った内容をそのまま彼に伝えた。むろん、導き人のくだりも同じ説明である。
 午前中の内に調べたのだろう。クリスが毒を喰らって倒れていたことはレスターも知っていた様子だった。だが、戦った相手の顔を覚えていたという情報は初耳だったのか。さほど長い話ではなかったにも関わらず、クリスが説明を締めくくる頃には彼は完全に足を止めていた。
「また、無茶をする……」
 とんでもないとばかりに深く長く息を吐いたレスターは、顔を顰めたままクリスの額を手の甲で叩く。
「顔を覚えられたなどと知られていたら、間違いなくその場で消されてたぞ」
「いや、顔を覚えたことは向こうも判ってた」
「なに?」
「反対に俺の事も覚えられたようだから、いつでも殺れるとか思ったんじゃないか?」
「君は……、まったく……」
 疲れたように言うレスターに笑って誤魔化せば、再び拳が飛んでくる始末である。思ったよりも真剣に怒っているらしいと判断し真面目に謝罪すれば、レスターはようやくのように表情を緩めてクリスを見返した。
「それで、毒の方はもう抜けきったのか?」
「本音を言うと少し怠い。だが、寝ているほどではない」
 そうか、と呟き、レスターは眉間に皺を寄せながら首の骨を鳴らした。腑に落ちないところはあるがとりあえず許しておいてやろう、――といったところか。
 彼の怒りは無謀な部下に対する上司の叱責に近いものか、はたまた同僚への心配によるものか、いまいち判別の付きにくいところにある。だがどちらにせよ、どうでもいい存在には見せない態度だ。特捜隊の面々の中でもこれまであまり共に行動することはなかったが、思ったよりも仲間意識の強い男なのかも知れないと、クリスは口元に微笑を浮かべた。
「――何が可笑しい?」
「いや」
 鋭く見咎めて目を細めるレスターから慌てて顔を逸らし、クリスは改めて辿り着いた先の周囲を見回した。
「いや、なんだ。――そう。ここのあたり、なにやら既視感を感じると思って、だ」
 苦し紛れの言い訳に近いが、あながち適当な言葉でもない。足下の感触や古い外壁、風の流れと臭い、そのいずれもに暗闇の中で通り抜けた空間と合致するところがある。
「王宮の、いや王城の西端あたりか? だが、随分と古い壁だな」
「建国前からあるあたりだ。西棟から庭園を隔てて新しい壁があり、その周囲に朽ちかけのこの古い城壁がある、そんな構造だな」
「西棟って言えば、ブラム・メイヤーが増築した……」
「ああ。耐久性、外観共に一級の仕上がりと有名な建物だったな」
「あの逃げた男が消えたこの辺りとの妙な一致はどう考える?」
「無関係ではないだろうが、今のところ繋がりは見つけられない。それよりも、こっちだ」
 言い、レスターはクリスを先へと促した。壁の途切れた辺りに若干くだり加減の道が開いている。否、道というよりは、雨水の流れにより出来た土の傾斜というべきだろう。右手を古壁にかけ、隙間から見える先を見回すが、殆ど光が入らないためか昼であるにも関わらず、酷く暗い。
「あの時も右手に曲がった記憶がある。てっきり、建物の中に入ったのだと思っていたが」
 実際には、古壁が崩れて出来た穴に簡易の支えが取り付けられただけ、といった様子である。古い城壁と新しいそれとの間に出来た意味のない空間といったところだが、それにしては妙に広く、あちこちに蜘蛛が巣を張っているが、それを除けばさほど荒れた印象もない。
 レスターに断り慎重に穴――正確には二つの壁に挟まれた間の中に入れば、湿った冷たい風が頬を撫でた。そうして背を震わせておいて、奥へと目を凝らす。
「……これは」
「旧水道だ。少し高い位置にある城の敷地内に供給できるように河から水を引いて通していたようだが、戦争で一部破壊されてからは修復できずに放置されている」
「詳しいな」
「ここかと当たりをつけた後で調べたからな」
 得意がるわけでもなく、淡々とレスターは言う。
「クリスは今入ってきたところから向かってきた。私はもっと軍部に近い側から入ったようだ。野外の訓練所から王宮方面へ向かう途中で古壁が切れていた。結構な距離をこの旧水道沿いに走ったものだから、余計に場所が判らなくなっていたんだが、君との帰り道を思い出しながら辿れば何とかこの場所が判ったよ」
「すごいな。仕事の合間にやったのか」
「特例措置を使って通常業務を中隊長へ押しつけただけだ。なに、向こうがサボって押しつけたぶんを丁重に突き返しただけだから問題はない」
 さらり吐かれた返答に、クリスは苦笑した。レスターのような男が部下では、騎兵師団の中隊長もおちおち気を抜いていられないだろう。クリスの上司であるガードナーあたりであれば対応できるかもしれないが、それはそれで腹の探り合いに他の面々が胃を痛めるかもしれない。
 それはともかく、と逸れかけた思考を無理矢理戻し、クリスは改めて崩れかけの水道を見回した。
 遺棄されてどのくらい経つのか、煉瓦を組み合わせて作られた溝の殆どは、土砂で埋め尽くされている。土を固めて作られていたであろう道はそこかしこで崩れ、所々で崩れた壁が障害物となって横たわっていた。
 爆破事件のあった夜、よくも躓かずに歩けたなと思うほどの足場の悪さだが、気にするべきはそこにはない。
「あっちに見える横穴は?」


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