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 調べるべき事と頭の中に残し、クリスはそこへ絡んでくる人物を思い描いた。
(この場面を、爆破事件で殺された男が見ていた、と……。あとは外国人労働者の老人が、か)
 ニール・ベイツに似ている男が、何を目撃して消されたのかは判らない。では老人の方は、とクリスはゲッシュの残した言葉を思い出す。
 ――”砂煙、人が集まっている。それを見ている、男だ、軍服のようなものを着ている、だが、合ってない、――40か50くらいの、着替えた、黒い服、下はそのままで。”
 むろんこれは、クリスティンの死んだ事故現場の状況だ。
 ――”不自然に突き出た腹、おかしい。時々、見る。もう一度、見た、夜、男たち、ふたり、見張り、死、聞こえる、『余計な真似』、逃げる、ひとり。家の中、細身の影、あれは……、ひとり、倒れて。”
 この後に来るのは死への恐怖の言葉だけだ。ゲッシュは果たして、老人の記憶から何を読み取ったのか。
 思い、クリスは背筋に走る悪寒を鎮めるように両手で互いの上腕をさすった。
(事故現場と密談場所、両方に同じ男が現れたってことだけど)
 ふたつほど引っかかる。ひとつは本来何の関係もないはずの老人が、そう二度も都合良く事件現場を目撃するだろうかという疑問。これは正直なところ偶然という計り知れない要素があるため今は拘るべきではないのだろう。
 そしてそんな根本的なこととは別に、彼は同じ人物を二度見ていると言うことになるが、それ以前に似たようなことをどこかで聞いた気がするのだ。
(何で聞いた? いや、私自身が覚えてるような場所で、だ。事件と関係があるはずで……)
 額を抑え、呻き、そうしてふと、クリスはある場面を思い出した。
 特捜隊への編入を知らされた席で、バジル・キーツが馬車の事故の概要を口にしていたときだ。馬車が倒れクリスたちが巻き込まれた場面を目撃した面々の中で、特に怪しい人物として容貌が述べられていた。
 それらの情報を合わせると、軍服のような黒っぽい服を着た小太りの男、具体的に言えば突き出た腹が目立つ中年のこの男となる。おそらくはその男こそが、ニール・ベイツに似た男と老人を殺害し、更にはこの間クリスが剣を交えた人物なのだろう。
(いや、多少太ってはいるけど、あの腹の出っ張りは偽物だ。武器を仕込んでるのもあるだろうし、たぶん、体型を偽装するためだ)
 妙な特徴があれば、誰しもそこに注目する。結果、顔や他の特徴への記憶は薄れ、間違った情報だけが先を行くこととなる。
(ジェフ・モルダーは身体的な特徴について触れてなかった。暗がりでも、それくらいは判ったはずだし……。拘留場所へわざと入り込んだときは、出回ってる情報の特徴を刺激しないようにしてたのかも)
 皺の寄った眉間を母指の腹で押し、クリスは男の顔を思い出す。
(この男がやたらと暗躍してるな……)
 完全に仮定ではあるが、”物証”を発見した捜査官を追い詰めた人物でもある可能性がある。何故捜査官が軍部を頼らなかったのか。敵が軍服に似た服装をしていれば、ギリギリの精神状態で疑念と焦りが増殖し、結果として頼るに頼れなかったと考えられる。
(と、なると、一連の騒動は全部この男が引き起こしているように見えるんだけど)
 そこまで考え、クリスは強く眉根を寄せた。
 法務省の一斉捜査を逆手に取るという大胆かつ大規模な作戦は、さすがにひとりで為せたとは思えない。その辺りはやはり国外の組織か国内に残る残党からの援護なり情報なりがあったはずだ。牢から逃げ出す際も、外部からの援助を受けている。各地の法務省捜査官に対しやくざ者を使って襲う指示を出しているのも、組織が裏で糸を引いているとした方が良いだろう。
 だが、重要な部分で必ず、「腹の出た男」が登場し主導しているのだ。様々な状況と男の出現場所を考えれば、彼こそが”物証”を持ち逃げしている可能性すらある。
(でもそうすると、あの男は組織の人間ではないってことになるし、……いったい、何者なんだ?)
 思えば彼ほどに、ニール・ベイツという男が直接関与しているという情報はない。否、太った男が彼である可能性もあるが、それならば、小太りとは表現されないはずだ。背の高い男が腹の出るほど太った状態を示す言葉は他にも適切なものがある。
 ニール・ベイツが支配した屋敷から重要な”物証”が発見された、――となれば、逃亡中の彼が第一に疑われるのは当然なのだろう。だがそれ以外に、彼が関与していると示すものはあっただろうか。
 ない。――正確には、クリスの知る範囲にはない。
(駄目だな。情報が曖昧すぎる。言われたことをそのまま鵜呑みにしていたせいだ)
 やる気がなかったというよりは、逃げ腰になっている間に流された、というべきだろう。
(とりあえず、まず、ニール・ベイツについての確認をして、それから過去の、十二年前のことから調べて……)
「失礼しますよ」
 壁を叩く音に続き聞こえた声に、クリスははっとして身を起こした。人を待つ身でありながらだらけきった姿勢になっていたことに赤面する。
 そうして、謝罪の言葉と共に立ち上がり、顔を上げて彼は目を見開いた。
「ヨーク・ハウエル?」
「はい。その節はどうも」
 奥底の窺えない黒い目がクリスを捉え、一瞬苦笑のような色を見せる。
「毒が入っていたそうですが、体調の方は如何ですか?」
「特に問題はない」
「そうですか。それは良かった。――では」
 微笑み、それと同時に少しばかり高めの声がトーンを落とした。
「クリストファー・レイ。あなたの身柄を拘束します」
「――え?」

「殺人容疑、その他、お伺いすることがあります。大人しく従ってください」


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