[]  [目次]  [



 そして、特別に注文を受けて手配したはずの内容を聞き、顔を上げる。
「集められない素材ではないな。搬入時間までに周辺の同業者から買って集めろ。高く付いても構わない」
「しかし、それでは!」
「同業者に足下を見られるだろうな。だが、信用は買えない。いいか、金に糸目は付けるな。相手の言い値そのままで買え。引っ張って話を拗らせようとはするな」
「は、……」
「それから、様々な商店に当たる必要があるだろうが、こちらがまずいことになっているという噂が広がる前に済ませろ。複数箇所で同時に一斉に買い集めるんだ」
「は、はい!」
「では、行け。責任は私がとる。躊躇うな」
「判りました!」
 言うや、脱兎のごとく男は家を飛び出していった。おそらく、彼もそうするしか方法は無いと判っていたのだろう。だが、もともとさほど権限もない雇われの身で、まさか確実に大きな損益を出すと判っているほどの金を動かす訳にはいかない。クリスはそのブレーキを外してやっただけのようなものだ。
 ふ、と息を吐き、クリスはバトラーの白髪の混じった頭を見下ろした。
「疲れた。飲むものをくれ」
「かしこまりました」
 バトラーが深々と腰を折り、顔を上げるのと同時にアディラがクリスの外套へ手をかけた。さすがに、長年勤めているだけあって、必要なタイミングをよく判っている。
 礼を言い、軽くなった体で勝手知ったる実家の食堂へ向かったクリスは、そこで今のやりとりを思い出し後頭部を掻いた。咄嗟に勝手な事したが、父親がそれを容認してくれるかは判らない。
(損益は――まぁ、私に払える金額じゃないよなぁ)
 最善とは言えないだろうが、あのまま狼狽えて何も策を講じないよりかはましであったはずだ。少なくとも品さえ納入できれば、相手方からの信頼だけは残る。それを理解してくれないような父親ではないはずだ。
 そのときはそのときか、とクリスは肩を鳴らした。
「若様」
 眉間の皺を母指の腹で揉んでいるうちに、ティーポットとカップをトレイに乗せたアディラが食堂に現れた。
「来ていただいて、ありがとうございます」
「いや、たまたまだ。それに、余計な事をしたかもしれない」
「いえ。あのままでも何の解決もしませんでした。それに――……」
 言いかけ、手際よく準備していた手と共にアディラの動きが止まる。横目でそれを見ていたクリスは首を傾げ、続きを促すように彼女の方を見た。
「――いえ、何でもございません」
「何でも無いって顔ではないな。こういう場合は、言わぬ方が失礼だ」
 言外に脅しを混ぜれば、アディラは困ったようにため息を吐いたようだった。そうして再び茶を淹れ終えた彼女は、先に謝罪をするように深々と腰を折る。
「お怒りにならないで下さいまし。ただ、まるで、――まるで、お嬢様がいらしたように思えたのです」
「クリスティンが、か」
「はい。失礼申し上げました」
「いや、いい。それよりも、そんなに似ていたのか?」
「お嬢様は、失礼ながら、仕事で誰かに対されるときは不思議と、若様のような男言葉をお使いでしたので。それに、こうと決めた瞬間から躊躇い無く言い切る姿が、さすがはご兄妹だと思いました」
 兄妹だからもなにも、中身が同一人物であるのだから行動パターンが同じで当然というべきか。何とも言い難い表情で曖昧に頷き、クリスはカップを手に取った。
 彼が何も言わない以上、続けるような話でもないと判断したのだろう。彼がカップをソーサに戻すタイミングでアディラが今更のように問いかけた。
「そういえば若様のご用件を伺っておりませんでしたが……」
「いや、特に用はなかった。近くに用があっただけだ」
「そうでしたか」
「暖まったら帰る」
 暖炉には、クリスの上着などを乾かすだけの目的で薪がくべられている。まだ暖炉を使用するような季節でもないことを思えば、余計な仕事を増やしてしまったというべきだろう。故にその厚意を無碍にして去るわけにも行かず、既に暖まった体を伸ばしながら、クリスは手持ち無沙汰に時が過ぎるのを待つ事となった。
「若様のお部屋をご用意致しましょうか」
 勝手にクリスが入り込んだとはいえ、さすがに、食堂で主人格の者を座らせておくのもどうかと思ったのだろう。アディラがおそるおそるといった呈で提案を口にする。
「いや、必要ない」
「ですが、もうしばらくかかりそうですが」
「ああ、……そうだな、少し、クリスティンの部屋に寄る」
 着いて歩こうとするアディラを止め、クリスはひとりで階上に足を運んだ。これといって目的がある訳ではない。今や大型の家具が置かれているだけの、実質未使用の部屋となっているクリストファーの部屋を準備されるよりは、まだしも馴染み深いと思ったまでだ。
 ドアを押せば、油の利いた蝶番が滑らかに回転する。閉め切られ、生活感はなくなりつつあるものの、数ヶ月前となんら変わった様子は無かった。
「……はぁ」
 女々しいな、とひとりごちる。机の前の華奢な椅子に腰をかければ、違和感しか生じなかった。クリスティンは女としては大柄に分類されたとはいえ、やはり男との骨格は全く違うものだと実感する。
「何がしたいんだか……」
 そもそも、商売を継ぐ気もない――それはクリストファーが決める事だ――くせに、実家の様子を気にかけるような行動をとること自体が問題だったと後悔する。かければかけるほど、父親や家の者たちは期待してしまうだろう。
 あれこれと気にしている場合ではないと思いつつ、やはり捨てきれないのはクリスの甘さか。だが、今更性格など変えられそうにもない。
 だらしない姿勢のまま、近くにあったオルゴールへ手を伸ばす。なんとなしにネジを巻き、蓋を開け、クリスはどこか懐かしくも儚い音に耳を傾けた。
「何やってんだか……」
 机に頬を預け、目を閉じる。
 次第に音を伸ばしていく、その緩やかな響きに合わせ、クリスはいつしか寝息を立てていた。

 *

 小雨の中、夕食間際に帰宅し妻とメイドに左右から笑顔で責められた翌々日、クリスはヴェラ・ヒルトンに連れられて再び法務省の中を歩いていた。
 何度か訪れる羽目になった法務省の施設は、クリスにとってもはや入ることを躊躇うような場所ではない。場所さえ聞けばおおまかな道筋すらわかるのだが、この日は何故かヴェラが門のところで待ちかまえていたのだ。
 話を聞くに、どうやらクリスを呼び出したヨーク・ハウエルに依頼されてのことらしい。
「何か問題でもあったのか?」
「いえ」


[]  [目次]  [