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「偏見を交えて言えば、組織側と王宮側で取り交わしたものに見えるな」
 近衛兵や抜け道の件などから、クリスの中では、王宮内に組織の人間がいることはもはや確定に近い。
「だが、これがどしてここに?」
「工事終了後、メイヤーが建築チームを解散して姿を消した際、仮住まいだった場所に棄てられていたそうです。メイヤーの姿がないと気付いて軍に捜索を依頼したときに見つけたそうですが、契約書を見て何かトラブルに巻き込まれたのではとして軍部の方から法務省に届けられたとのことです」
「詳しいな」
「こちらの方がその時のことを覚えているとのことです」
 答えたのはヴェラで、彼女の手に誘導されるままにその方を向けば、部屋の隅の方で静かに座っていた女性と目があった。存在には気付いていたが、ヨークやヴェラが同席を認めている事実をして特に注目していなかった人物である。
 如何にも穏和な印象の、40代後半と思しき女性は、クリスに向けてふわりと微笑した。
「長年、法務長官の秘書をさせていただいております。当時のことはよく覚えておりますよ」
「個人に事務官が付くのか?」
 むろん、「法務長官」に補佐が付くこと自体におかしなことはない。ただ如何に有能なセス・ハウエルと言えど、ブラム・メイヤーが王宮の工事に携わっていた頃はまだその地位にはいなかったはずだ。
 当時の法務長官の秘書としてその件に関わったのだろうかと思えば、女性はそうと気付いたように更に笑みを深めた。
「ハウエル様とは捜査官時代からの知人です。その為か、あの方が昇進なさる度に異動のお声がかかりまして、現在まで続けさせていただいております」
「そんなこともできるのか」
「特例です。相当強引に人事を動かしたことは有名です」
 曲がったことが嫌いなヴェラにしてみれば、尊敬すべき法務長官の汚点という気持ちなのだろう。だがヨークが可笑しそうにしているところをみると、セス・ハウエルがそうした行動を取ることはけして珍しくはないのではという気にもなる。
 ふたりの反応を見比べた秘書もまた好ましげに目を細め、それからクリスの方へと向き直った。
「あの時のことはよく覚えております。突然軍部の方が血相を変えてやってきたものですから」
「その時、法務長官は何か王宮に関係した事件を扱っていたのか?」
「いえ、まったく。立場や仕事に関係なく、知人として訪ねていらしたようでした」
 つまり当時、セス・ハウエルにはバーナード・チェスターの他に軍部にも協力者がいたということだ。突如現れた人物の情報に、クリスは思わず前のめりに詰め寄った。
「その方は今?」
「お元気になさっている様子ですわ」
「いや、どなたかを教えてはもらえないか?」
 妙にはぐらかしたような答えに、もしやそこで寸止めかと危ぶめば、横でヨークが笑ったようだった。
「よく知っている人物のはずですよ。今の軍務長官です」
「え」
「そして、ダグラス・ラザフォートの直属の上司です」
 如何にも忌々しげに口を挟んだヴェラの情報に、クリスは傍の机をガタリと鳴らした。どうでもいいようで一番衝撃的だったとも言える。
 情報解析部、通称諜報部は軍司令部直属の機関であるが、軍務長官の手駒的な立ち位置というわけではない。クリスでも入手出来る程度の情報では、少なくとも部長には別の人物の名前が挙がっていた。
 さすがに機密情報をまとめて扱う機関が長官と直接繋がっている状態は、権力の集中や独断的な情報操作の危険を考えても好ましいこととは思えない。そうして強く不快感を示したクリスに、ヴェラが取りなすような言葉を続けた。
「勿論、特捜隊の任務に関わる範囲は、ということです。普段からして直属というわけではありません」
「では、ダーラ・リーヴィスの件でヴェラが会ったのも?」
「軍務長官です」
 言い切ったヴェラは何故か不機嫌な表情である。ダグラスに付いて直談判に行った後にも同じような顔をしていたことを思い出し、クリスは軽く首を傾げた。
 クリスの知らぬ場でどういう会話が為されたのかは知るよしもないが、どうやらあまり関わり合いにならない方が無難な人物のようだ。
「……まぁ、それはおいておいて」
 痛む頭を押さえるように額に手を当て、クリスは話を元に戻す。
「ブラム・メイヤーの失踪云々は、結局はどうなったんだ?」
「結論から言えば、特に事件性はなかったようです」
「この契約書はメイヤーが不要として捨てたもので、単に誰にも言わずにどこかに出かけていただけということか?」
 ちらりと目を向ければ、当時のことを思い出すように秘書は首を傾けた。
「そこまで単純は話ではなく、しばらくしてメイヤー様の故郷で存在が確認されるまで、一週間ほど行方が判らなかったようです。とは言え、なんらかの事件に巻き込まれていたというわけではなく、故郷へ大回りをして戻ったということでしたが……」
「どういうルートを辿ったのかは?」
「そこまでは」
 申し訳なさそうに目を伏せる秘書に礼を言い、クリスはヨークに視線を流した。わざわざ呼びつけたからには、この中途半端な状態で終わりというわけではないだろう。仕事を終えたメイヤーは王宮に砂をかけるように関係を切り、その後は故郷へ戻り引退した、それだけで終わる情報に意味はない。
 いっそ挑むような目に苦笑して、ヨークは緩く頭振った。
「これで終わりと言ったら、無能と言われそうですね」
「まさか。そんな失礼なことは本人には言わない」
 裏に含まれた皮肉の微粒子に、言われた本人よりもヴェラの方が驚いているようだった。ヨークは肩を竦め、可笑しそうにクリスを見遣る。
「実は、判っているのはここまでです。なにせ、時間も手も足りませんので」
「本業の傍らで個人で行っていることだ。それは承知している。情報を得るための手段だけ判っているなら、俺を使ってくれて構わない」
「そう言ってもらえると思っていましたよ」
 言い、ヨークは満面の笑みを浮かべる。なるほど、微妙に誘導されていたようだ。
 だがクリスの方にも否はない。もともと手がかりが欲しいと言いだしたのは彼だということもあるが、何より、行き詰まるくらいなら利用されてでも先に進める方がありがたいくらいだ。
 秘書の差し出す封書を受け取るように促し、ヨークは口を開いた。
「ガストン・ゴアという資材担当の者が故郷を同じくしていたため村まで同行したそうです。彼はひと月に一度ほど仕事の関係で王都へ来ています。メイヤーの足取りについて聞きたい旨は連絡で了承を得ていますので、その紹介状を持って会いに行ってください」
 ガストンという名に記憶が刺激される。逃亡中の組織の幹部と同じ名前だ。だが、別段珍しい名というわけではない。
「いつ頃だ?」
「五日後くらいに王都に到着するでしょう」


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