[]  [目次]  [



「判った」
 頷くと、ヨークはヴェラへと目配せをした。落ち合う場所をヴェラが地図で示し、その後の連絡の取り方について細かく打ち合わせる。何故今までしてこなかったことを今更と問うのは愚問だ。
 特捜隊の一員にしては目立った功績もなく地味な存在であったクリスも、今は暗躍する敵に目を付けられてしまっている。どこに敵の目があるか判らない以上、用心をするに越したことはない。特に今後の行動の方針を定めるような、今のような話し合いの時は場所も選ぶ必要がある。
「ここは安全なのか?」
「何年も、父が使っていた場所です。対策は施されていますから」
 誰かが忍び込む隙間も、聞き耳を立てられる場所もないということか。
 用意周到なことだと思い、クリスは息を吐いた。
「どこに何があるか判らない、か……。……と、そうだ。そう言えば、王宮からの隠し通路などはどうなった?」
 結局クリスが関わることのできなかった旧水道の調査は、既に済んでいるとだけは聞いている。
「あんなに判りやすい道を、法務省の捜査員が見逃すとは思えなかったんだが」
「随分と直球の皮肉ですね」
「いや、違う。余程の細工でもしてあったのかと思ったんだ」
 いろいろと組織に振り回されている印象だが、爆破事件の原因追究など、真相解明に向けてのポイントは押さえている。クリスが遭遇する事件をきちんと流れで把握できるのは、そういった間を埋める要素を彼らが地道に解明しているからだ。
 組織的なバックアップがない以上、クリスは「点」にしかなれない。今のところやたらとトラブルに巻き込まれる「点」ではあるが、それにしてもヴェラたちが明かしてくれる情報という名の「線」がなければ発生しなかったものだ。全体を捉えるにはやはり、個人の力では限界がある。
 言い方が悪かったと真面目に謝罪すれば、ヨークは若干狼狽えたようだった。
「意外に策士かと思えば、急にそういう……」
「なにか?」
「いいえ。なんでも」
 むっとしたように一度唇を引き結び、嘆息してからヨークは再び口を開いた。
「あなたの疑問に答えるなら、私たちもあの水路の存在は知っていました、ということになるでしょう」
「それなら、何故?」
「ひとつは、行き止まりであると調査済みであったことが原因です」
「調査済み? ではかつての井戸の跡に出入り口があったというわけではないのか?」
「それは五年前に既に解決しています。測量などで位置を確認した結果、かつて水をくみ上げていたとされる場所は全て、増築された建物で塞がれていると、あらゆる方面から結果が出ています」
「……!」
「勿論、その建物から中に入れるようにしてあった、というような陳腐な仕掛けはありませんでした。今回利用された出入り口はそれよりもう少し手前、西の庭園の端にありました。あなたの想像通り、五年前にあのようなものがあれば気付いたでしょう。」
「だから、爆破事件後には調査対象外となったのか?」
「いいえ、さすがに五年前の情報を鵜呑みにはしません。あなたは当初はっきりと判らないと言っていましたが、他の方々の証言と合わせればだいたいの場所は特定できましたし、行き止まりだったとしても、人が潜んでいる可能性はありますからね」
 レスターが単独で特定できた場所だ。そういったことに慣れた捜査員であれば、確かにすぐに判ることだろう。それを何故、判明していたのなら情報をくれなかった、となじるのはお門違いというものだ。
 ヴェラにしても情報の伝達には限度がある。長いようで、あれからまだ一週間ほどしか経っていないのだ。
「一度中に調査に入ったのなら、外からの出入り口には気付いただろう?」
「その指摘は痛いところですね。途中まで入って、誰も通っていないという結論が出たため、終わりまで調査せずに引き上げたようです」
「なぜそうと判った?」
「水たまりがあったんですよ。その時は。ぬかるんでいたその周辺に足跡も人が通った様子もなかったそうです」
 断言するからには、ヨークも報告書などは読んで検討済みなのだろう。彼がそういう調査結果に終わったことも致し方ないと判断したのなら、クリスが口を挟む余地はない。
(あの男は……、やっぱり私とレスターが剣を合わせている間には隠れているだけだったんだろうな)
 だとすれば、とクリスは思う。あの時大人しく引き返したりせずに捜していれば、ふたりで追い詰めることが出来たかも知れない。だが結果は結果だ。法務省の調査を最後まで隅々まで行っておけばと悔やむのと同じく、その場ではそれが最善だったのだ。
「しかし、そうすると、あの逃げた――『ルーク・セスロイド』は、捜査が終わったタイミングを見計らって王宮へ向かったことになるが、見つからずにそう上手く事が運ぶものか?」
「捜査官にも協力者が、ということですか?」
「或いは、王宮方面へも目を向けておいて、他の出入り口から抜け出したか、だ。その場合は軍部に協力者がいることとなるな」
「どちらにしても協力者の特定は難しいと思いますが、ひとつ、否定しておくことがあります」
「?」
「王宮と旧水道を繋ぐ道は基本的には一方通行です。西の庭園端の出入り口からは、殆ど垂直落下に近い入り方しかできません。縄を括り付けておく杭はありましたが、壁は土です。上って出るのは、特に雨の後は困難になるでしょう」
「なるほど」
 とりあえず、男がどうやって逃げたか、というのはこの際置いておくべき事なのだろう。不確定要素が多すぎる。
 だが、マイラ・シェリーと近衛兵は彼ほどには用意周到ではないはずだ。使用したのなら痕跡が残っているはずだと問えば、ヨークは深く頷いた。
「滑り落ちた跡がありました。それに、奥の方で靴跡も。王宮女官の服の切れ端もありました」
「ということは、何者かに追いかけられていたということか」
「はい。それに、横穴を出てしばらく軍部の方面に進んだところに血痕がありました。そう、多いものではありませんが」
「近衛の男のものか?」
「そこまでは判りません。ただ、川沿いで見つかった制服に見られる出血量と比べればごく少量ですから、彼がその場所で殺されたということはないと思います。街での目撃証言のありますし、一度ここで難を逃れ、再び発見されたと見るのが妥当ではないかと」
「近衛の……ケアリー・マテオとマイラ・シェリーの関係は?」
「マイラ・シェリーが王宮に入ったばかりということもあり、情報は殆どありませんね。一緒に逃げたというよりもマテオが組織に命令されてシェリーを連れ出したというほうがすんなり納得できますが、そうなると狭い道の中でわざわざ攻撃することへの説明がつきませんし、堂々と街中を歩いていたこともおかしいことになりますね」
 巧妙に真実が隠されているというよりもまだ、情報が出そろっていないのだろう。重要な何かが一片欠けているために全てが繋がらない、そんな印象だ。
「推測は必要だが、やり過ぎると後から出る情報を曲げる恐れがある」
「そうですね。今後某か情報が出た時は、先ほどの方法で報告を」


[]  [目次]  [