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「……随分と協力的だな」
「それは、あなたがやる気になってるからですよ」
 目を見開き、クリスはヨークを凝視した。
「初めに会ったときは単に命令されることに慣れて自分で考えない下っ端軍人という印象でしたし、興味はありませんでした。ですが今のあなたは少し違いますね」
「……そうか?」
「はい。加えてあなたは現在職に縛られていない。自分で何かを発見しようという気になっていて自由に動ける人物というのは意外に少ないんですよ。正確に言えば、私は法務省という枠組みの中で、あなたは自分で見聞きしたものの中で、情報を交換し合うというのも有効だと思っているのです」
 本音の全て、というわけではないだろう。一方的に利用するつもりはないという口調ながら、「自由に動ける手駒」と捉えている節もある。先ほどの誘導のようにこちらの興味をそそる形で関われない部分をカバーさせようという気もあるのだろう。
 だが同時に、有効な事に関しては真っ当な対価をきちんと与えるという律儀な面もある。これがどこか狡猾とは思えず憎めない点だな、とクリスは苦笑した。
 そこで話は一段落したと思ったのだろう。必要とされる証言のあとは黙っていた秘書が、実にさりげなく三人の前に湯気の立つカップを置いた。
「ありがとう」
 礼を言えばにこりと微笑む。レイ家にいるバトラーやメイド達もそうだが、こういうタイミングを見計らうというのは意外に難しいものだ。残念ながらクリスティンはこういった特技は遂に身につけることは出来なかった。
(茶葉の良し悪しは区別がつくんだけど)
 思い、薄茶色の液体を口に含む。この国に流通している茶葉だが、上手く味と香りが引き出されている。
「美味いな」
 ヨークとヴェラの方から感想がないのは、提供されるのが初めてではないからだろう。
 穏やかな一時にふと体の力を抜き周囲を見回せば、秘書が誰もいないはずの机にまで茶を配っていることに気がついた。
「それは?」
「あ……、いえ、すみません。癖のようなもので」
 秘書官の額に、寂しさにも似た翳りが落ちる。続きを促すように目を覗き込めば、彼女は僅かに顔を歪ませたようだった。
「言いたくないことならいいが」
「いえ、大したことではありません。ただ、……ハウエル様が戻ってきてくださるよう、願をかけているようなものです。新しい部屋の方は、現在立ち入り禁止となっておりますので」
「なるほど、いつもそこで法務長官は一息ついていた、ということか?」
「ええ。部屋を空けることも多々ありましたが、毎週金曜日の昼以降は必ずここで書類の処理をなさっておいででした。私が知る限りずっとそうでしたので、つい」
 言われて、今の条件がそれに合致することに気付く。昼と言うには少し早いが、そのあたりはクリスたちに合わせたのだろう。
「几帳面な方だったのだな」
「ふふ。行動を見る限りそうとは言えない方ですが、スケジュールの管理は私どもは不要なのではと思うほど、ご自身でしっかり管理されていました」
 何時誰の訪問があるなど、記録に書き留めたりもしていたそうだ。判りやすいと言えばそうだが、それだけ多忙だったという証拠か。
 五年前の事件後、法務長官たちは多くの信頼とそれ以上の期待と責務を背負っていた。彼らは力強い指導力で皆を引っ張っていったが、その影には表には出ない苦労も多々存在したに違いない。思えば今の状況は、彼らに頼りすぎていたが故に起こっているとも言えよう。
 どことなくしんみりとした沈黙の漂う中、クリスはヨークへと固い口調で問うた。
「正直なところ、法務長官のお体はどうなんだ?」
 直球すぎる言葉に、ヨークはさすがに苦笑したようである。だが、次の瞬間には意外にも真面目な表情へと変わっていた。
「どう、答えれば満足ですか?」
「ありのままを」
「それなら、公にされている情報で充分なはずです。あれも正確な情報ですから」
 時期は定かではないが、法務省の高官充てに無事であることを報せる文が届いたことは希望となっている。だが、言ってみればそれだけだ。現状どのような回復をみせているのかなどは判らない。
 けして巧い問い方ではなかったが、ヴェラも心情的には理解できるところがあるのだろう。話を引っ込めようとしないクリスに、制止をかけるような素振りはなかった。
「症状が思わしくないのだとしても、三省の長である限り、国民を鼓舞する必要があると思うが?」
「そうですか。あの人が鼓舞しないと、誰もがやる気にはなれないということですか」
「そんなことは言っていない」
「言い方を変えましょう。では、あの人や財務長官が死んだ後はどうするんです?」 
 僅かに語気を強め、ヨークはクリスとヴェラを交互に見遣る。
「人身売買組織はなくなってはいません。他国の裏社会で活動しています。彼らが何故この国に再び大きく手を伸ばしていないのか判りますか?」
 決まっている。五年前に深刻な打撃を受けたからだ。そうして、煮え湯を飲ませた相手はまだ国の重鎮として目を光らせている。
(――ああ、そういうことか)
 ヨークの言わんとしていることを理解し、クリスは己の浅慮に自嘲した。
 ハウエルが、オルブライトが死去した後、組織は地下で息を吹き返すだろう。それでは国は行き詰まってしまう。だからこそ今この時、五年前の亡霊を駆逐するのは若い力でなくてはならないということだ。
「悪かった」
「いえ、言い過ぎました。何の情報もないことが余計な不安を誘うのもよく判ります」
 ヨークの主張は間違っていない。にも関わらず素直すぎるくらいに殊勝だなと思い、クリスは首を傾げた。悪びれずに尊大に頷くぐらいがヨークには丁度良い。
 何気なしにヴェラを見れば、彼女もどこか不気味そうな目でヨークを見つめていた。
「……あのですね。試されているのは私も同じなのですよ」
 気づき、物憂げにヨークは目を伏せる。
「どの段階まで突き詰めることが出来たら重い腰を上げてもらえるのか、判らないのは同じです。むしろ会うことができるぶん、まだかまだかと急かされているようで気が気じゃありません」
 珍しくも本音をそのまま吐露しているようだ。――だが妙に、そんな態度も納得できる。
 彼の様子に思わず顔を見合わせ、クリスとヴェラはしみじみと頷いた。


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