「軍の弱点を露呈するような発言は控えてくれたまえ」
弱気ともとれる言葉に、セロン・ミクソンが渋面でルークを窘める。
「だがそれを言えば、村や町を荒らした後の戦利品を持っているはずの国境越えで、何も発見できないというのはおかしな話ですな?」
テーブルの上で指を組み、ミクソンは下方から覗き込むようにルークを見つめている。
――茶番だ。だが、俗っぽくも金と女に執着する性質ながら、ミクソンはけしてそこに溺れるような莫迦ではない。現に今も、打ち合わせなど全くしていなかったルークの意図を把握して、次の言葉を出しやすいようにと皮肉の中に援護を混ぜている。
狸め、と思いながらルークは遺憾の意を表すように目を細めてミクソンに苦言を返した。
「ミクソンどの、誠実なるレアル王国の方々は国境での検問を強化してくださっています。その証拠に通過する者、特に商人の通行時にかける税をはね上げて、怪しい物品の出入りを減らす方針を新たに打ち出されました」
「それは」
「――これに関しては勘違いでない証拠にここひと月の資料が揃っておりますので手元をご参照下さい」
言い訳を口にする間を与えることなく、既に決定的な証拠としてまとめられた紙面を指し示す。
「さて、どうでしょう。西の方々は善良なる民が若干騒がしい我が国へ出入りすることを憂慮されている様子。我が国を危険と判断されるなら、当方もレアル王国の方針にご協力申し上げるべきでしょう。西方公路の使用を制限することでそちらの手を煩わせることも少なくなると愚考しますが、如何でしょうか」
「いや、それは」
「幸い、北方のベルフェル国の方もおいでです。北方の道を新規開発することで流通は妨げにはならないかと思いますが」
あくまでも穏やかに、親身になっているという声音で語るルークを、ベルフェルの将軍が一瞥する。レアルの代表は顔を蒼くしたまま俯くばかりだ。
それもそのはず、現在レアルとベルフェルの関係は冷え切っている。自ら手を出して負けた戦であるにも関わらず賠償問題などを棚に上げて逃げるレアルに対し、ベルフェル側がいい感情を抱くわけもない。交易路の開発など夢も夢、そればかりか今イエーツ国との国境を閉鎖されてしまえば、大陸の西端にあるレアルは完全に孤立することとなる。
ようは、流通経路を守りたければ騒ぎに便乗して被害者ぶり、甘い汁を吸いつつ優位に立とうなど考えず大人しく協力しろという脅迫だ。
これにはさすがに、レアルの代表も舌の潤滑剤を切らしたようである。もとより、脅しをはね除けるほどの国力はない。
その姿を見てセロン・ミクソンと目配せを交わしたルークは、今度は意味ありげな微笑みをもって視線を横へとずらした。
「それはそうと、――ハリトクス南方は落ち着きましたでしょうか?」
「え……」
突然の話に、ハリトクス西方司令官はあからさまにぎよっとして身を引いた。これまで攻勢にでていた片割れが見事に叩き伏せられた遣り取りを聞いてか、若干怯んでいる様子である。
それでいい、とルークは内心で胸をなで下ろした。レアルにはやりこめるだけの材料を隠し持っていたが、ハリトクスに対してはそこまでのものは揃っていない。強気に出られればそこまでといったものであり、故にルークは、場の流れを引き寄せるために先に標的をレアルに定めたのだ。
むろんそんな思いは表には出さず、あくまでもにこやかに、如何にも真面目な顔で彼はハリトクス西方司令官を真正面から見つめた。
「まことに不誠実申し訳ないところですが、我が国は現在よくご存じの通りの状況にあり、直接お見舞い申し上げることが叶いませんでした。今更ではありますが、お見舞い申し上げます」
「い、いや、何のことですやら」
「おや、私の勘違いでしょうか。確か――」
「いや! 問題ありません! お気になさらずに! 我が国は落ち着いておりますので、引き続きフェーリークスへの対策にはご協力致す所存です」
声を高くして言い切ったハリトクス西方司令官に、ルークはにこりと笑った。
ハリトクス国には王位継承権を持つ者が五人、ほぼ同列で存在する。その中のふたつの勢力が水面下で争いを繰り広げ、つい先日、南方で視察に出ていた国王の暗殺未遂が起きたのだ。国王が全くの無傷であったこともあり、それは勿論すぐに隠蔽されはしたが、数日間は襲撃犯の捜索のために緊張が高まっていた。
ハリトクスのすぐ北にあるエダスの外交官が頭の上に疑問符を飛ばしているところ見ると、相当に早く事件の目撃者を消し、もっともな理由をでっち上げた上で捜索を行っていたのだろう。その事件の裏で王位継承権を持つひとりが糸を引き、更に資金提供者としてフェーリークスの一因であると見られる商人が関与していなければ、イエーツ国の諜報部隊もまた知ることはなかったに違いない。
(とにかく、言質はとった)
さすがにこうも早く譲歩が引き出せるとは思っていなかったが、逆を言えば、ルークが思っている以上にハリトクス国内が揉めているという証拠なのだろう。
この情報をもたらした諜報部員に感謝しつつ、ルークは残るひとりへ向き直った。
「ギルデン将軍」
腕を組み黙っているベルフェルの将軍を見れば、彼は意志の強そうな目を向けただけだった。
「ベルフェル内のフェーリークスに関する情報の提供ありがとうございます」
「礼には及びません」
「いえ。――トリステン王子にはよろしくお伝え下さい」
微笑むルークの視線の先で、ギルデンの眉がぴくりと反応を示した。よく見ていなければ判らない程度で、他三人がそれに気付いた様子はない。
「トリステン殿下は遊学中ですが、何か迷惑でも?」
「いいえ。かつての和議の席では大変お世話になりましたが、その後ろくに挨拶もせず無精していましたこと、お詫びしたく」
「……伝えておきましょう」
そのまましばし、互いを探るように見つめ合う。
一秒、二秒、いやにゆっくりと時が過ぎる。微笑と言うにはあまりに綺麗に形作られ過ぎたそれの、奥底の見えない真意を図ろうとするのは不可能なのかもしれない。
凍り付いた場が動き始めたのは、掌に滲んだ汗が鏡面のような机を曇らせ始める頃だった。
「さて、随分と時間が過ぎた様子」
言い、さっと風を吹かせたのはセロン・ミクソンである。魑魅魍魎巣くう王宮、そして政治の場で長年後ろに国王の陰を背負い渡り歩いてきているだけのことはあり、非常に状況把握は的確、そしてそれを分析し判断を導き出す過程も早い。
そんな彼の敢えて場の空気を読まない声音に、少なくとも三人ほどが胸をなで下ろしたようだった。
「このあたりで一旦小休憩は如何ですか」
「それもそうですな」
調子よく同意したのはレアルの代表で、彼はどうにも隣のベルフェルからの無言の圧力に耐えかねているようだった。無理もない。彼を含む他六人が非戦闘要員であるのに対し、ギルデンだけは現役の、それも名を馳せた軍人だからだ。
外交将軍、とギルデンのふたつ名を思い出し、ルークは苦笑する。
ほどなくして開かれた扉から芳ばしい匂いが漂い、そうして会議はひとまずの終わりを迎えた。
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