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 地方からやってくる商人達が品物を卸す広場は、朝早くにも関わらず大概な喧噪に包まれている。王都の門が開かれると同時に押し寄せる第一陣に続き、やってくる者の足は絶えず、反対に中天を過ぎる頃まではなかなかに去る者がいないからだ。
 父親の商館を出入りしていたクリスではあるが、こういった場所に長時間居座るのは初めてである。というのも、大口の契約を持っている場合や自ら店を構えている商人は直接そこで品卸をするためにここを利用することはないからだ。複数の契約口を持っていた業者もかつては個別に回っていたが、商業都市として拡張されるにつれ商業区に混雑が起こり始め、結果としてこうした場所が設けられるに至ったと言われている。
 地方から持ち寄られた物が売りさばかれるという点では露天商の並ぶ市場と同じであるが、ここでは商人でない個人が買い付けを行うことは出来ない。基本的に事前に注文され持ち込まれた商品の受け渡しや、商人同士が契約を結ぶ前提での取引が行われるのみだ。
(あー……、でも、大店の店員もいるなぁ)
 彼らは、商品の善し悪しと新たな契約を結ぶための下見に来ているのだろうとあたりをつける。或いは、最近の傾向を調べに足を伸ばしているのか。
 そんなことを思いながら広場の片隅から全体を見回し、クリスはしばらくして小さく苦笑した。いつの間にか思考が商人のそれになっている。自分が思っているより仕事に対して未練があるのかも知れない。
 そうして段々と高くなっていく陽を見上げ、今日も外れかとため息を吐く。目印にと履くことを命じられた蒼い手袋が暑い。
 ――と、そんなクリスに、後ろから呼びかける声が上がった。
「あれ、あんた……」
 探るような声音に、クリスはちらりと視線を向ける。
「おう、やっぱりか。……世話んなったな」
「……お前は、確か、ライノとかいったな」
 クリスが路地裏で出会った体格のいい外国人労働者だ。以前会ったときよりも幾分こざっぱりとした印象だが、見間違えるほどではない。
「覚えててくれたか。おうよ。じいさんのこた、すまんかったな」
「あのことは……、いや、結局は力になれなかったな」
「よせやい。あんたが探しに回ってくれたとは吃驚したが、駄目だったもんは仕方ねぇ。それに、あんたが役人に俺のこと言ってくれたんだろ? おかげで普通なら勝手に焼かれてどっかに棄てられるところを、ちゃんと墓に入れてやれたしな」
 言いながらも、ライノはどこか寂しそうに笑う。
「そういやあんたも、リンチの巻き添えくって怪我したんだろ? 大丈夫か?」
「リンチ?」
「違うのか? じいさんをぼこぼこにした奴を止めようとしてやられたんだろ?」
 意外に弱いと言いたげなライノを前に、クリスは額を手で押さえた。事実からそう歪んだ情報ではないにしても、個人の名誉が著しく損なわれてしまっている。
 否定すべきか否かと胸中で葛藤し、しかし結局クリスはそのままに噂話を容認した。老人が殺される背景にあったことを隠す方を優先したというのもあるが、どのみちクリスが敵に良いようにあしらわれたことには変わりないからである。
 それでも若干面白くない話には違いなく、クリスはやや強引に別の話題を振った。
「それより、仕事はどうだ?」
「まぁ、ぼちぼちだ」
「世話役がいなくなって大変じゃないのか?」
「あー、まぁ、面倒は増えたが仕事がなくなるわけじゃねぇよ。しかしなぁ、はぁ」
「どうしたんだ?」
 あっさりと言ったように職探しに苦労しているというわけではなく、むしろ別のことに問題を抱えているようである。とは言えそう深刻な様子ではない。愚痴のようなものだろうと思い問えば案の定、待ってましたとばかりにライノは顔を上げた。
「ほらよ、今、周辺の国からお偉いさんが来てるだろ?」
 頷くクリスに、ライノはうちの国もだが、と苦笑混じりに付け加える。
「あれのせいでよ、貴人認定の為の審査が延期になっててよ、雇い主の商人のおっさんが荒れてるんだよなー」
「どこも、接待に忙しくしているからな」
「そりゃわかるんだけどよ。とばっちりだよなぁ」
「だが、もとから審査など長いだろう? 一週間やそこらなど、誤差の内だ」
 功績などを慮り国が与える位とは違い、自薦他薦の場合は当然念入りに調査が行われる。例えば軍部の中での通常の昇進も他薦に入り、内部で素行調査や評判、実力を鑑みての審査を経なければならない。得る位により内容は異なるが、五位貴人であればひと月ほどの審査期間を要すると言われている。
 そもそも、急いで取得するようなものではないと指摘すれば、ライノは顔を歪めて大げさに手を横に振った。
「真っ当に推薦受けた奴ならそうだろうがな」
「つまり、賄賂を握らせていると?」
 頭の痛い話ではあるが、五位貴人程度の位であれば厳正な審査にも簡単に穴が生じてしまうのも現状だ。
「そんなもので位を得たとして、すぐにボロが出るだろうに」
 特に商人であれば、位に見合わない下手な手を打てばすぐに高が知れる。結果として位を落とされたところで何があるというわけでもないが、そういった瑕は不審と疑惑を生む結果にしかならないだろう。
「ま、それでも身分ってやつが欲しいんだろうさ。あっさりと無位になったあんたと違ってな」
「調べたか」
「調べるってほどじゃねぇよ。別に隠してるわけじゃねぇだろ」
「……まぁ、そうだな」
 レイ家はそれと名の知られた商家だ。そこの息子が家を出たことも出た後で何をしているかも、周辺の家の者なら誰でも知っている。町中至る所で働いている同じ外国人労働者の噂話や伝手を辿れば、確かにあれこれと探るほどのことではない。クリストファー・レイとはどういう人物だと聞くだけでボロボロと出てくる程度のものだ。
(でもまぁ、彼らの情報は侮れない)
 本人達が気付く気付かないはともかくとして、意外にも重要なことをさらりと知っていることがある。死んだ老人の得ていたことがそれに当たるだろう。
(一応、聞いてみるか?)
 思い、クリスは顎に手を当てた。
「なぁ、ライノさん」
「なんだ?」
「こんな男を見たことないか?」
 言い、鞄から取り出したのはヨーク・ハウエルから受け取った顔絵の写しである。あまり部外者に晒すものではないが、だからといってクリスが持っているだけでもまた意味はない。ヨーク・ハウエルが渋りもせずにそれを渡してきたということは、使い方をクリスに委ねたということだ。
 第一、男は既に顔が割れ、捜されていることくらいは承知しているだろう。相手に悟られる悟られないを気にする必要はなく、どちらかといえば捜す方の身の安全を守る必要がある。
 故に見せるだけならとクリスが示した絵に興味を向けたライノは、まじまじとそれを眺めて小さく首を傾げた。
「あんま特徴ねぇな」


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