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「そうだな」
「で、これ、もしかしてじーさんが拘ってた犯罪者?」
 鋭い目、探るような声音に、クリスは小さく苦笑した。飛躍しているようでそうでない質問は、クリスとライノの関係と交わした会話の少なさを思えば予想範囲内のものだ。
 第一に、死んだ老人が見て恐れていた人物ではあるが、ライノの言う犯罪者――ニール・ベイツ似の男ではない。嘘をつくまでもなく、クリスは正しく否定した。
「まさか。死んだ犯罪者の顔など見せても仕方ないだろう?」
「あー、それもそうだな」
「別件の人捜しだ。どこかで見たという記憶はないか?」
「……どうだかなぁ。少なくとも、パッと見て思いつくほどの知り合いにゃいねぇよ」
 そうだろうなと頷きつつ、クリスは顔絵を懐に仕舞った。もとより、さほどの期待はしていない。一パーセントほどの期待に苦笑するような感じだ。
 街に散らばるライノの知己を総動員して人海戦術に入るならともかくといったところだが、そこまで頼み込めるほどの仲でもなければ、話を大きくする権限もクリスにはないだろう。
「役にたてなくてすまねぇな」
「いや、仕事のついでだ。――というか、お前、仕事はどうした? 商人に雇われてるんじゃないのか?」
「おっと、いけね」
 思い出したか、ライノは誤魔化すように笑う。
「あんたも仕事中だったな。悪いな」
「いや。――それではな」
「ああ。んじゃ」
 あっさりと、若干慌てたようにライノは人混みの中に去っていく。
 彼の姿が完全に埋もれてしまうまで見送ったクリスの背に再び訊ねるような声がかかったのは、そのすぐ後のことだった。
「あー、ちょっといいですか?」
 遠慮がちな声に対して、50がらみの厳つい顔が振り向いたクリスを正面から見つめた。
「あんたが法務省の人かい?」
 問いながら、ちらちらと蒼い手袋を気にしている。どうやら彼がヨーク・ハウエルの依頼を受けた、――ブラム・メイヤーとかつて共に働いたことのある資材担当の男のようだ。
 男の言に厳密には違う、と断った上で調査代行の依頼を受けていることを伝えれば、彼は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「そうか、いや、そうですか。そりゃ、待たせましたな。儂がガストン・ゴアです」
「いえ、ご足労ありがとうございます」
「儂のことはガストンと呼んでください。故郷にはゴアが沢山いましてね。ややこしいんですわ」
 気さくな人物であるらしい。一見すれば強面にも見える顔をほころばせ、次いで少し真面目な顔に変えて頭を下げる。
「本当はもう少し早く着く予定で話してたんですが、ちょいと通行止めに引っかかっちまって遅れました。すみません」
「通行止め?」
「へえ。なにやら河の下流で死体が見つかったとかで、軍が近くの道を通行規制してましたよ」
「それは災難でしたね」
「そうですなぁ。まぁ儂はこうして遅くなっただけですが、随分腐敗の進んだ死体だとかで、見ちまった人が気分悪そうにしてましたね。でも珍しい話じゃあるまいし、軍が出張ってるなんてどうしたんでしょうね」
 確かに水死体など、そう多くはないが騒ぎになるほどでもない。何故、と首を傾げ、クリスはすぐにひとつの可能性を見いだした。
(まさか、行方不明の近衛兵か、マイラ・シェリーかのどちらかの可能性が?)
 ふたりが消えたのはおおよそ十日前。直後に河に流されたとすればガストンの言うように腐敗の進んだ死体になっているだろう。
「軍がしていたのは死体の引き上げだけでしたか?」
「いや、どうでしょうなぁ。なにやらまだ捜しものがあるようでしたが。ああ、そうだ。その死体がどうも、軍人さんらしいって話もありましたねぇ」
「軍の? 本当か?」
「あー、いえいえ、待ってる間の単なる噂ですよ。本当かどうかは判りませんわ」
 慌てて手を横に振るガストンだが、さすがに現場近くで何の根拠もない話が出るとは思えない。
(血まみれの近衛の制服は河の手前に棄ててあったらしいし、ケアリー・マテオってことも?)
 可能性は高い。だが、クリスの知らぬ全く別の事件という方向もある。人身売買組織の暗躍とその話題の蔭に隠れてはいるが、常日頃からある犯罪の取り締まりもあるのだ。
 いずれにしても、推測するには確実な情報に欠ける。直接調べに行きたい気持ちを振り払い、クリスは訝しげなガストンに改めて向き直った。
「挨拶が前後しました。クリストファー・レイです。よろしくお願いします」
「どうも。丁寧に。あー、話は聞いてますが、メイヤー先生について聞きたいとか?」
「はい。王宮の仕事が終わった後のことを」
「あー、そうでしたな。しかし、儂ぁ殆ど知りませんよ? 単に、帰る途中にメイヤー先生を乗せてったってだけです。あの人無口なもんだから、殆ど話もしなかったし、第一覚えてやいませんし」
 そうだろうなと思いつつ、クリスは一度頷いた。何年も前の記憶に頼る気など端からない。
 この数日間ガストンへ訊ねることをあれこれと考えていたクリスは、結果的に全てそれらを放棄することにした。彼が思いつく程度の質問など、ブラム・メイヤーが行方不明になった当時に充分に聞き込まれていることは明白であり、加えて長い年月がそれらの情報をガストンの頭の中で歪めている可能性もある。
 故にクリスは、ガストンにひとつのことを頼むことにした。
「ブラム・メイヤーさんのことを聞きたいことは沢山ありますが、ひとつ、別にお願いがあるのですが」
「なんです?」
「彼が故郷に向かうまでに辿った道のりを教えてもらえませんか。できるだけ忠実に再現する形で」
 同じ道を進み同じ風景を見ても、ガストンとメイヤーが同じ思いと視点を持っていたとは限らない。ガストンにとっては単なる故郷までの遠回りだったとしても、それを依頼したメイヤーには確固たる目的があったはずなのだ。
(ヨーク・ハウエルが知らなかったということは、当時、何で遠回りをして戻ったかなんてことは重要視されなかったってことだけど)
 或いは疑問視はされていたが、隠棲したメイヤー本人からそのあたりの事情を聞き、単なる彼の個人的な所用、又は気まぐれという形で落ち着いた可能性もある。いずれにしても、資料として残るほどの何かはなかったということだ。
 数年後、組織とメイヤーの関わりが明らかになった時も、メイヤーの仕事のみがクローズアップされたに過ぎないのだろう。クリスにしても、何故彼の足取りに拘るのかは実はよくわかっていない。ただ、資料に残らなかったからと言って大した理由ではなかった、と断言するのは早いという気がするのだ。


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