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「秘密だ。だが、悪くはないよ。噂よりも、近くで見て喋った君の方が私は好きだね」
「え、――」
「レイさん」
 思わず前のめりになりかけたクリスの背に、困惑したような声が掛かる。
「すまねぇが、ちょっと待っててくれませんかね?」
「え、――ああ、どうしたんです?」
 動揺を隠し、クリスは無表情を装って振り返った。視界の端でレスターが肩を震わせているのは気のせいだと決めつけるべきだろう。
「部屋は用意してもらえるみたいですけど、ちょっと準備に手間取っているみたいですわ。すぐ済みますんで、もう少し待ってもらえませんかね?」
「それは構わないが」
「そう言っていただけると助かります。そこで楽にしててください」
 ガストンの後ろでは、宿の者が済まなそうに手を合わせている。手伝おうかと腰を浮かしかけたクリスだったが、それはすぐ前からの別の手によって遮られた。
「レスター?」
「座っておけ」
「だが、俺たちは客と言うよりも単なる宿乞いをしているだけだ。迷惑をかけているのはこちらだろう」
「ゴア殿が言っていただろう。ここは金持ちの使う別荘地だ。雑多な人間を相手にしている宿じゃない。彼らには彼らのもてなしのルールがある。手伝うと言うことは時に、相手に気を遣わせるということにもなる」
「しかしそれでは悪いだろう」
「悪いと思うなら、チップでも弾めばいい。動けば急かすことになる」
「使用人と雇用主であれば、いや、長年の絆がある関係なら無理を頼むことも厚意に甘えることもあるが、この宿の者達はそうではないだろう? 突然押しかけて無理を言っているんだ。金を払えばいいと言うものではないと思うが」 
 堂々と、寛容に待つ事も時には必要というレスターの主張も判るが、それではどうにも腰の据わりが悪い。休んでいるはずの者に身分を嵩に金を叩きつけて働かせているようで落ち着かないのだ。
 言えば、レスターは肩を竦めて首を傾げた。
「おかしな男だ。生まれの位で言えば、私より上だろうに」
「まぁ、それは、そうだが」
 生憎と、親の得た位を後光にふんぞり返る趣味はない。
「お前の方は、王族と言っても通じる」
「王族?」
「なんとなく、如何にも品が良くて、反対にこちらが下手な仕事や手伝いなどさせられないと思ってしまうような雰囲気だ」
「まぁ、そういう態度でいることを求められたからな」
「それは、――どういう」
 意味ありげな言葉に困惑するクリスに、レスターは細めた目を返す。
 そうして、互いが探るように見つめ合うことしばし。最初に表情を変えたのはレスターの方だった。
「なに、簡単なことだ。私が大口を開けて涎を垂らして寝ている姿など、誰も求めないということだよ。せっかくの顔を有効活用しろと言われ続けただけだ」
「……納得はしたくないが、説得力だけはあるな」
 呆れ、だが苦笑してクリスは首を横に振る。あからさまに話の筋を逸らしてはいるが、冗談という落ちで微妙な雰囲気になりかけた場を収めようとしていることも確かだ。ここはおとなしく煙に巻かれておくべきなのだろう。
「なんだか気が削がれたな」
「なら、黙って座っておけ。大丈夫だ。きちんと対価を払って礼を言う、それだけで君の心は通じるさ」
「そう願うが、」
 どこなく、レスターの掌の上で遊ばれている気がする。
 そう言いかけたクリスは、ふと、視界の端で小さな何かが動いたことに気がついた。咄嗟に視線を走らせ、それが何であるのかと意識を向ける。
 子供だ。戸口に突然現れた子供が、何かを握った手を振り上げている。
 予感と予測が反射的に働き、クリスはゼロ、カンマ何秒かの間に勢いつけて飛来した物を咄嗟に叩き落とした。軍服の厚い生地を通して、軽い衝撃が腕に響く。
「……木の実か?」
 その動きに気付き、レスターが拾い上げたのは、固い殻をもつ実だ。渡されて掌で転がして見るに、加工されたような形跡がある。表面の無数の皺は明らかに縮んだと見られるもの。本来はもっと柔らかい構造の実が乾燥して今の形になったのだろう。
 形状とその軽さから察するに、投げて遊ぶ玩具の一種といったところか。
 服の中で若干赤くなった皮膚をさすりながら、クリスは飛んできた方向へと目を向けた。
「わっ……」
 いつの間にか戸口にいた子供の数が増えている。一番手前で楯にされているのは、おそらくは投げた張本人だろう。10歳前後といったところか。庇護まっただ中を若干過ぎ、自立を示唆される直前といった年齢だ。
 逃げ出すか、言い訳を口にするか、どちらにしても素直に謝る姿勢ではないことを確認し、クリスはすっと目を眇めた。
「おい、クリス……」
 何をしようとしているのかを悟ったのだろう。まさか、という感情を含んだレスターの呼びかけを耳から追い出し、クリスは木の実を右手に構えた。
 そうして、方角、距離、速度を大まかに判じて手首を捻る。
「……!」
「痛っっってぇ!」
 臑を手で覆い、座り込んだ少年を囲む仲間達が、一斉に非難の目を向ける。
「何すんだよ!」
「悪いな。投げて返すつもりだったんだ。済まない」
「嘘つけ! わざとだろうが!」
「まさか。わざと当てるなら頭を狙う」
 嘯けば、少年たちが一瞬怪訝そうに眉を顰めた。そうして、一瞬後に言葉の意味を理解したのだろう。今度は先以上の声を重ねて罵詈雑言をまき散らす。
「大人げねぇ!」
「ざけんなよ、おっさん!」
「酷ぇことすんな!」
「やかましい!!」
 息を吸い込んで一喝。地響きにも似た低い声でやると効果覿面というべきか。思惑通り、甲高い囀りはそれでぴたりと止んだ。やや離れたところにいた大人を含めても、全く動じなかったのはレスターぐらいなものである。
 声をなくし立ちすくんだ少年達に足早に近づき、クリスは楯にされている少年を見下ろした。
「突然見知らぬ人間に攻撃したんだ。当然、同じ事を返される程度の覚悟はしてのことだろう?」
「う……」
「ダビ!」
 後退る少年とその仲間の脇から、悲鳴に近い女の声が響く。
「あんたたち、何やってんの!」
「か、母ちゃん……」


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