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 少年の呟きに、クリスは落としていた視線を上げた。若干髪のほつれた女性が、その隙に子供たちとクリスの間に入り込む。小柄で痩身という条件の下に出来た芸当だが、さすがにそのまま詰め寄った状態を保持するわけにもいかず、クリスは一歩足を引いた。
 外さなかった視線の先で怪訝そうな、しかしどこか困惑と驚きの混じった目が揺れている。
「あなたは……」
「俺が何か?」
「いえ、……いえ、あの、子供達はいったい……」
「理由は知らん。俺に向かって木の実を投げてきた」
「え!」
 素っ気なく言えば、女は大げさとも言えるほどに目を見開いた。そうして子供へと目を遣り、その若干挙動不審な態度に真実を悟ったのだろう。一気に蒼褪め、次いで彼女は大きく息を吸い込んだ。
「す、済みません! 後できつく叱って言い聞かせますから! その……」
 言葉の後半には既に頭を深々と下げている。最後に消えるように続けられた先を想像することは易い。ここはどうか穏便に。そう言外に頼んでいるのだろう。
 平謝りをする親に、クリスは皮肉気な笑みを向けた。反省の色もない子供を後ろに隠しておいてそれはないだろうという呆れも含んでいる。
「謝るのはあなたではない」
「で、でも」
「偶然にしろ故意にしろ、人に怪我をさせる行為をした。被害者加害者でもない親が本人を叱って終わって、それでどうやって子供は自分のしたことへの後始末を覚えると言うんだ? 大人が代わりに謝って何になる。まずは本人に謝らせろ。話はそれからだ」
 危険から庇うことと現実を隠すことは別だ。
「そこの坊主」
 呼ばれたと判っているのだろう。女のすぐ後ろの少年がびくりと肩を震わせる。
「理由はどうであれ、お前は人を傷つけた。それなのにお前は謝りもせずに逃げるのか?」
「防いだじゃんか!」
「結果的に俺だから防げただけだ。それは謝らない理由にはならない」
 厳しい声音で言い切り真っ直ぐに見つめれば、親子ははっきりとたじろいだようだった。しん、と静まる場に階上からの足音が妙に響く。
 十秒、二十秒、ほぼ一方的な睨み合いは、やはりそう長くは続かなかった。
「ご、……めんなさい」
「よし」
 か細い声に、クリスは満足げに笑う。
「それでいい。俺の方も、悪かったな」
 言いながら手を伸ばせば、少年の肩が大きく震えた。だがそんな反応にはおかまいなしに一歩踏み出し、母親越しに少年の頭を撫でる。
 一瞬目を見開いた少年はしかし、すぐに我に返るとクリスの手を払いのけた。そうして、強気にも一度クリスを睨みなおし、そのまま軽い身を翻す。
「ダビ!」
 逃げるように走り去る少年を見て、遠巻きに経過を見ていた子供達が追いかける。我が子とクリスに目を往復させて戸惑いを示していた母親も、クリスが顎をしゃくれば同じように背を向けた。
 闇に消えていく後ろ姿を最後まで見送って、クリスはゆっくりと振り返る。
「……何か、言いたげだな」
 遠巻きに宿の従業員が、最も近くにレスターが、それぞれ曖昧な笑みを浮かべてクリスを見つめていた。
「批難なら受け付ける気はないぞ」
「いや、私は少し意外だと思っただけだ」
「意外?」
「君、子供は嫌いなのか?」
「いや、どちらかと言われれば好きな方だろう」
「……で、あれか?」
「単なる躾だ。悪いことをその時に指摘しておかないと、後で自分を甘やかす理由を作ることになる。今はすぐに理由も真意を判らなくても、な」
 子供のしたことだと見逃してやれ、というのも大人の度量だろう。だが何でも許すのとはまた別の話だ。人を傷つける行動をとっておきながら、相手には判るわけもない理由を頭の中で羅列して、自分は悪くないと逃げるその姿勢を見過ごすのは単なる怠慢である。
 言えば、レスターは小さく苦笑した。
「なるほどな。君は子供をきちんと対等に見ることが出来るんだな」
「何?」
「褒めている。君の子供はよく物を考える大人になれるだろう」
「そうかな? 大人と子供じゃなくガキ大将と手下どもの関係になりそうだとはよく言われるが」
「……誰に」
 さすがにそれはないだろうと言いたげに呆れたように眉を下げるレスターを見て、クリスははっと口に手を当てた。
 知人友人の子供達の監視役を振られておきながら、いつの間にか子供達のボスのような立場になってしまう、――そんな過去をもっているのはクリスティンであり、クリストファーではない。一緒になって遊ぶクリスティンを尻目に、彼はいつだって睨みひとつで子供達を黙らせていた。
 思い出せば僅かに、胸が痛い。
 若干の焦りと、その言いようのない苦しさを誤魔化すように、クリスは緩く首を横に振った。
「まぁ、昔の話だ」
「?」
「気にするな。それより、宿泊の準備の方はどうだ?」
「ああ、それは――」
 言いかけたレスターを遮るように、慌ただしい足音が響く。
「どうも、お待たせしました!」
 現れた宿の女は僅かに汗を滲ませつつ、屈託のない笑みをクリスたちに向けた。突然の季節外れの客にも迷惑、面倒といった感情など微塵にも見せないところは、さすが金持ち相手の宿を仕切っているだけあるというべきか。
 明るい雰囲気でもてなそうとしているのは明らかだったが、無理矢理それを押しつけるような強引さはないのだろう。すぐにそこに流れる微妙な雰囲気に気付き、不思議そうに首を傾げて周囲を見遣る。
「あの、何か失礼でも?」
「いや、子供の悪戯があっただけだ」
 躊躇う周囲に苦笑しクリスが説明になっていない返答を口にする。実際たいしたことでもないため曖昧に誤魔化そうとしてのことだが、何故か女主人はそれで状況を把握したようだった。
 目を見開き、次に眉根を寄せ、最後に深々とため息をつく。
「それは、申し訳ありません」
「いや、……今ので判ったのか?」
「この近くに住む子供達の誰かが、その、悪戯では少し済まないようなことをあなた方にしでかしたのでしょう?」
「よく判ったな」
「……はじめてではありませんので」


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