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 ため息と困惑の中間のような息を吐く女に、今度はクリスが首を傾げた。今の言葉を真に受けるなら、子供達は非常に攻撃的な悪さを繰り返しているということであり、周囲の大人もそれを扱いかねているということとなる。
 さすがに理由があるのではとレスターもすぐに気付いたのだろう。クリスよりも柔らかい表情と口調で事情を尋ねれば、女は僅かに頬を染めて口を開いた。
「もう結構前になりますか。あなた方と同じように突然やってきた旅の人に、馬を盗まれてしまったんですよ」
「馬を?」
「ええ。それも一番若くていい馬を」
 なるほどと頷き、一応の納得を見せながらも、クリスはすぐに首を傾げて女を見つめやった。いくら馬一頭が安くないとは言え、子供が笑えない報復を繰り返すことを見過ごす理由にはならない。
「だからと言って、やってくる旅の者を悉く敵視していては商売にならないだろう?」
「その、無差別にというわけではないのです。これも二度目という話で。一度目にもよく言い聞かせはしたのですが」
「というと、俺の見た目がその馬泥棒と似ているということか?」
「いや、違うな」
「レスター?」
「この宿に着くまで子供達を近くで見てはいない。子供達にしてもあの戸口からでは横顔しか見えないだろう。それにクリスも私も座っていた。顔立ちや体格ではないはずだ。だとすれば」
「……軍服か」
「違うか?」
 この科白はクリスへの念押しではない。レスターの視線を受け、女は硬い表情で頷いた。
「そう、です。それで被害を届けてた後に派遣されてきた方が子供から批難されたのが初めです」
「結局馬泥棒は見つかったのか?」
「いいえ。こんな街とは離れた場所ですし、どの方面へ逃げたのかも判らず仕舞いです。軍の方々も結構探してくださったんですが」
 最後のひとことは、喋っている相手が同職種であることへの色つけだろう。見れば判るような名馬であればともかく、似たような馬を見つけたところで自分のものだと言い張られれば否定材料はないに等しい。子供達の態度からしても、早々に見切りが付けられただろうことは考えるまでもなかった。
「しかし、妙だな……」
「どうした?」
 俯いて何やら思案しているレスターを、クリスは訝しげに見遣る。
「何かおかしな事でもあったか?」
「旅をしているにしても、ここにわざわざやってくるような者が、徒歩という手段を選ぶだろうか?」
「ロワン地方の街道の方からやってきたんじゃないのか?」
「いや、目的の村ならまだしも、ここはあっちからでもそれなりに遠いですよ」
 若干大きめの声で割り込んだのはガストンである。宿の女と一緒に現れたのはクリスたちも知っていたが、ずっと話すタイミングを見計らっていたのだろう。
 揃って目を向ければ、彼はレスターと同じような気むずかしい表情でこめかみを一度掻いた。
「エルウッドさんの言うとおりですね。のんびりした旅で立ち寄るような場所でもないですし、外から用があって来るならだいたい馬なりなんなり、乗るか荷物運びをさせるかで準備してくるもんですわ」
「迷い込む可能性は?」
「ないとは言い切れませんがね。ここへ来たときの道を思い出してもらえば判るとおり、普通は途中でこりゃ駄目だと見切りつけて引き返しますわな。徒歩でここまで来て、更に馬まで盗むってこた、まぁある意味、見つけて深追いしなくて良かった相手かも知れません」
 もっともな主張に、クリスは顎に手を当てた。その横で、レスターは眉間の皺を深くしている。珍しい表情に何かと促せば、彼は一度言い淀んでから低い声を出した。
「失礼だが、馬が盗まれたのは具体的には何月何日だろうか?」
「え。ええ、ええと」
 女は慌てて暦へと目を向けた。
「8月21日の夜、ですね」
「8月……、……っ!?」
 思わず、呟いた言葉の語尾を上げたクリスに、レスターが目を細めて頷いてみせる。
「まさか、単なる偶然じゃ」
「勿論、単なる犯罪が重なった可能性もある。が、クリス、地図を思い出すんだ。王都は国の中央北寄り、西にサムエル地方、南西にロワン地方。ここは?」
「直線で考えるなら王都の南西だが、このまま西に進めばまだサムエル地方に行き当たる。」
「そうだ。では、例の”物証”が見つかった屋敷の場所は?」
「サムエル地方の中央部より南寄り。地方内で言えば南東方面だ……」
 徐々に顔を顰めていくクリスに向け、レスターは再度首肯したようだった。このあたりまでくると、クリスにも彼の言わんとしていることくらいは判る。
(ここは、例の屋敷から王都までの直線距離に近い場所に位置するんだ)
 亡くなった捜査官が馬車を手配したという法務省の支部までの道のりは、実は殆ど判っていない。目撃者もなく追跡不可能だったということもあるが、その道のりが重要視されていないというのが一番の理由だろう。王都へ向けて”物証”を運び逃げる捜査官がこの村を通った、――それが判ったからどうだと言われればそれまでなのだ。
 だがそれも、単なる通り道であったら、の話だ。
「その、馬を盗んだ者が捜査官を追っていた組織の者だとすれば」
「このあたりで何かトラブルがあった可能性があるな」
「だが、既に軍部で馬泥棒に関しては調査して何も判らなかったとされているんだろう?」
「上層部なら判らないが、末端に法務省管轄の事件のことなど詳しくは知らされていない。それに、馬や家畜が盗まれるのはそう珍しい話ではないからな」
「だとしたら、聞き漏らしていることが」
「あるだろうな。――クリス」
 含みを持った呼びかけに、クリスは反射的に頷いてみせた。思わぬ情報だ。これを探らない手はない。
 そう瞬時に判断し、――しかし、それが実行に移されることはなかった。
「……クリス? クリストファー?」
 全く予想外の方面からぽつりと呟かれた言葉が、動きかけた体を止める。クリスは瞬きをしてその方へと振り向いた。見れば、先ほど少年を庇った女、ダビと呼ばれた少年の母親がおそるおそると呈で彼を見上げている。
 怪訝に眉を顰め見つめ返せば、彼女は何かに気付いたように口を大きく開けた。
「あ……」
「俺のことか?」
「クリストファーという名前じゃないですか?」
「そうに違いはないが」
「! そ、そう! やっぱり、クリスなんじゃない! あたし、マイアよ。わかる!?」
 驚き目を見開き、咄嗟のことに反応できずにいるクリスに、女は距離を詰めて親しげに笑顔を作った。人違いというレベルを通り越して、既にクリスを知己のその人と認めている目だ。


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