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15.


 一泊した宿を早朝に出発し、再び道ならぬ道を進むこと更に一日、低い雲の流れる昼過ぎにたどり着いた場所は、些か陰気な村だった。あまり整備されていない道からは、ぽつりぽつりと古い民家が見え隠れしている。等間隔に並んだ果樹とそこから漂う甘い香り、そして川辺から聞こえる話し声がなければ、廃村と勘違いしたかも知れない。
 寂れている、というよりは古いまま時間の止まったような、といった印象だ。春先であれば長閑、という思いを抱いたかも知れない。
「正直に言いますと、始めて来たときと殆ど変化なしですわ」
 苦笑するガストンは、当時のことを思い出したようにぐるりと周囲を見回した。
「『ここはどこですか』って聞いてもメイヤーさんは怒ったように眉間に溝を作ってる有様でしてね、何度『愛想なしの頑固親父』と心の中で思ったことか」
「頑固親父、ですか」
「建築の腕は超一流、でも変人で偏屈、そんな感じでしたねぇ。頑固で無口で。よくもまぁ王宮の仕事なんてのに関わったモンだって思いましたよ」
「何か事情でも?」
「さて、詳しいことは知りませんがね。まぁあの頃はそれなりに固定の建築チームもひとりとは言え弟子もいましたし、選り好みばっかりしてる場合じゃなかったのかもしれませんね。結構でっかい仕事も受けてましたし、そういうのに嵌った時期だったって可能性もありますけど」
 馬を引きながら、クリスは小さく頷いた。
 ブラム・メイヤーは件の組織からの依頼も幾つか受けている。クリスがヨークやアランと共に入った屋敷もそうだった。奇妙な細工、装置、そういったものを器用に作り出す職人がその才能を発揮する場を与えられ嬉々として働いたか、或いは組織に脅される形だったかは、むろん今となっては永久に知る術はない。
「そのメイヤーが最後の大仕事の後、何故この村に……」
「それを今から調べるんだろう?」
「そうだが、何というか、想像と違って」
「思ったより何もない?」
 頷けば、ガストンは乾いた笑い声を上げた。身も蓋もないと思っているのだろう。
 だが、クリスにしてみればそれなりに困った問題なのである。かつてブラム・メイヤーが特に意味もなく、本当にぶらりとこの村に立ち寄っただけという結果に終わってしまえば、まさに無駄足ということになるのだ。
 法務省――ヨーク・ハウエルからの依頼という形を受けているガストンはまだしも、突然付き合わせてしまったレスターには正に顔向けできない状況である。途中の宿泊先で怪しい情報を得たことが、何らかの進展を促すものであることを祈るべきか。
 村の風景を見回し、クリスは不安と焦燥に満ちた頭を横に振った。まだ着いたばかりに過ぎない。そう言い聞かせて先を促す。
「あまり気にすると禿げるぞ」
「は?」
 ぼそりと呟かれた言葉に、クリスはレスターへと目を向けた。それを受け、レスターは穏やかな笑みを浮かべる。
「ここで何も得られなかったとしても、気にすることはない。疑念がひとつ解決したと思えばいい」
「……。……人の心を読まないでくれるか?」
「それは悪かった」
 顔に出ている、と言いたげにレスターは更に笑みを深くした。反論できる自信もなく、クリスは口を尖らせてそっぽ向く。レスターの余裕綽々といった態度を併せて腹立たしいには違いないが、からかいの中にはっきりとした気遣いが見えるだけに些か反応に困るのだ。
 そうした他愛ない遣り取りをしつつ進むこと十数分。ガストンが到着だと告げて一件の民家を指し示す。十数年も前の話を掘り起こすなら、まずは村の記録を集めている場所へ。つまりは村のまとめ役をしている村長の家とのことだ。
「おや、ガストンさん、久しぶりですね」
 躊躇う様子もなく家の引き戸を叩いたガストンに、出てきた人物が目を細めて笑う。ひょろりと背の高い、30そこそこの男だ。予め村長だと聞いていなければ、芽のでない研究者か何かだと思っただろう。肉付きの悪い体に、良く言えば人の良さそうな顔が乗っている。
(悪い人じゃなさそうだけど、街の役人だったら舐められそうだなぁ)
 ある程度の規模なれば国の官が派遣され務める役所が建てられるのだが、せいぜい十数世帯の集落では地元の権力者がその役割を兼ねている。つまり自動的に世襲制をしてその身分に収まったが故に、国の定めた試験を通過した役人たちに比べて権力や職務に対しての向上心が薄いのだろう。
 そんな、悪く言えば日和見しそうな意志の薄い顔の男は、馴染みの後ろにいる軍人ふたりに目を留めて強い警戒の色を顕わにした。
「ガストンさん、その、彼らは?」
「少し聞きたいことがあるらしいですよ。別段この村のことをあれこれ調べに来たわけじゃないんですがね」
「はぁ……」
「いつもこの時間は空いてましたね。ちょっとお邪魔していいですかね?」
「いや、その。急に言われても」
「そう時間は取らせませんよ。儂の顔に免じて頼めませんか」
「はぁ、それなら、まぁ、……どうぞ」
 煮え切らない返事に若干の苛立ちを感じつつ、さすがに顔には出さずに頭を下げて戸をくぐる。澄ました顔で続いたレスターが戸を閉めれば、いやに軋んだ音が響き渡った。
「あんまり力入れないでください。なにせ、古いもので」
 振り返り、窺いつつ苦言を口にして村長は忙しなく家の奥に進む。肩を竦めつつ謝罪を口にしたレスターは、可笑しそうに口の端を上げたようだった。
 珍しいな、と思いつつクリスは彼の横に並ぶ。
「何かあったのか?」
「いや、庭先に誰かいたものでね」
「どんな?」
「怖い顔しなくても大丈夫だよ。なに、私の守備範囲外のお嬢さんだ」
 つまり、訪問客に興味を覚えた村の女児だったということか。ある種の判りやすさに緩く頭を横に振り、クリスは軽口を叩く。
「守備範囲は?」
「気になるかい? 成人後で遊ぶ気満々なら誰でも範囲内だよ」 
 範囲広すぎだろという突っ込みを必死で飲み込み、クリスは顔を顰めて前を向いた。聞いた自分が莫迦だったと思う反面、「遊ぶ気満々」と限定しているところにレスターの屈折したところが現れているようで、どうにもコメントし辛かったのだ。
 そんな心中に気付いてか、追い打ちをかけることなくレスターはただ肩を竦めて口を閉ざした。彼にとってもあまり楽しい話ではないのだろう。
 幸いなことにそこから沈黙が続くほど、村長の家の中は広くなかったようである。言葉を切って十歩も進まないうちに、奥の部屋の扉が軋んだ音を立てた。
「どうぞ、こちらへ」
 渋々と言った呈で、しかしきちんと客室へと三人を通した村長は、古ぼけた椅子を勧めつつ自らも腰を下ろしてため息をつく。
「それでガストンさん、こちらの方々は?」
「王都の軍人さんですよ。ちょっと聞きたいことがあるんです」
「それは見たら判りますが、わざわざ王都からとは何ででしょう?」


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