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「お待たせしました」
 元からして姿勢の悪そうな背を更に丸め、村長が遜った様子のまま椅子に座る。
「確か、知りたいのは十二年前、――752年の秋のことでしたね」
「そうです。何かありましたか?」
「え、ええ……」
 やはり歯切れの悪い返事に、クリスは膝の上に爪を立てた。渋面を引き攣った無表情へ変えるのが精一杯である。レスターに至っては、そもそも視線を合わせようともしていない。
 言い渋る村長を根気よく待てば、さすがに沈黙に耐えきれなかったのだろう。困惑と躊躇いに彩られた村長の顔がだんだんと焦りを帯び、遂に数分後に彼は重い口を開いた。
「その、11月に一件火災が起きています」
「火災? 畑かあの果樹園が焼けたとか?」
「いえ、その……民家です。ひとり亡くなっています」
 これに素早く反応を示したのはガストンである。彼はすぐに該当する家を思い出したようだった。
「村はずれのあの家ですかね? 半分焼け落ちて放置されてる」
「え、ええ」
「周りは全く焼けてないから壊すつもりで焼いてたのかと思ってましたけど、火災だったんですねぇ」
 へぇ、というように頷くガストンに、村長が向ける目には苦いものが含まれている。どうやら、突っ込まれて欲しくはない内容だったようだ。
(火事、ねぇ)
 この小さな村には随分な大事である。しかも他に被害がなかったという時点でかなりきな臭い。自然豊かな土地、しかも水場の少ない山奥の村で、迅速に消火活動が行われたとは思えない以上、延焼は防ぎきれないはずだ。
 都合良く雨が降ったか、或いは目的を焼くために某か調整がされていたか。いずれにしても人死にが出ている時点で怪しいことこの上ない。
「その本、その部分だけ見せていただいても?」
「申し訳ありません。同じページにも村のことがいろいろと書かれてありますので」
「では、亡くなった方の名前だけでも教えてくれないか?」
「それは……、親戚でもない、見ず知らずの方には勝手には」
 言いながら次第に強ばっていく村長の顔に疑問を覚えつつも、クリスは乞うように伸ばした手を膝の上に戻した。
 そのまま、これで終わりと言いたげな沈黙が落ちる。
(……厄介払いをしたいって顔だな)
 突然訪ねた事に関しては、クリスたちにも非はあるとは判っている。だがそれとこれとは別だ。突っ慳貪に拒絶された方がまだましと言える。
 幸か不幸か、そうした如何にも挙動不審な村長の態度に、引き際を無視したい気持ちが生じたのはクリスだけではないようだった。
「では村長どの。その半焼した家を見に行くくらいは構わないだろうか」
 白々しくも爽やかを装ったレスターが、全く笑っていない目で村長を見つめる。
「聞けばガストンどのも近くで見たことがある様子。行っても問題はないだろう?」
「え、いや、しかし……、危ないですから」
「ほう、近づいてはならないような危険な場所を何年も放置しているというのか? それは村長として怠慢ではないか?」
「いえその、村の者は日頃から注意していますが、王都からわざわざ来られた方にそんな場所を案内したところで何も」
「案内は結構だ。何もないか何かあるか判断は自分たちが行う。――ガストンさん」
「はい?」
「その家はどこに?」
「、あ――……」
「待ってください!」
 ガストンが困ったように口を開けたその矢先、村長が突然椅子を後ろに勢いよく蹴り立ち上がった。それまでとの変容に、さすがにレスターも目を丸くしている。
 俊敏に動けるじゃないか、――驚きの中でクリスはそう、小さくぼやいた。
「どうしても行くというのなら、僕が案内します」
「それには及ばないと言ったはずだが?」
「いえ、ガストンさんを煩わせるくらいなら、容易いご用です!」
 大きく威勢良く言い切っているようにみせて、実のところ声が震えている。切羽詰まった強迫観念、そういったものに取り憑かれているような様子にクリスとレスターは顔を見合わせ、同時に眉を顰めた。
(どうしたものか)
 怪しい。絶対に何かある。だが問題なのはそれが何なのかが全く判らないことだ。ここで拒絶したところで、村長は勝手に後を付いてくるに違いない。
「……では、お願いする」
 警戒する方とされる方が逆になったなと思いつつ、クリスは低い声で依頼を口にした。

 *

 その廃屋は、クリスたちが村に入った方向とは逆の村はずれにぽつんと立ちつくしていた。腐り落ちた木の柵を越えると、ひと一人が住むには広めの空間に惨事の残骸が風を受けてもの悲しい音を奏でている。
 十年ほどの歳月は焼け残った家の半分と炭と化した柱や壁以外の全てを覆い隠し、人が住んでいた形跡を消し去っていた。周囲には背の高い草が生い茂り、今は虫や小さな獣が住処としているようである。
「本当に半分だな」
 かまどや鍋などがどうにか原形を保ちつつ転がっている場所は、かつて台所だったのだろう。屋根を上に残した壁と扉を越えた場所には、広めのテーブルと足の折れた二脚の椅子。隅の方では、緑色の水を湛えた桶がひとつ立ったまま朽ちようとしている。それらを併せて考えるに、入り口からすぐの台所、その奥の居間のあたりが焼け残った部分と見るべきか。
 他に家として必要な部屋を考えれば、寝室や書斎、物置などが挙げられる。だが既に僅かばかりの床板は腐り落ち、苔と草、泥と生物の死骸だけが視界に入るその場所のかつての姿を、想像だけで補うことは如何にも難しい。
「何か大事なものが保存されていた場所だけが焼けているというのは如何にもおかしな話だ」
「どうやったらこんなふうになるって言うんだ?」
「油を撒いて一気に火勢を強め、目的の箇所に延焼したところで大量の水をかけて一気に火を消す。乾燥した季節というわけでなければ出来ないことではないな。人為的なものでなくとも不可能とは言わないが、条件はかなり厳しいだろう」
 レスターの見解に頷き、クリスはちらりと後方へ目を向けた。高い草の隙間に、村長の背を丸めただらしない歩き方が見え隠れしている。大きく上下して見える肩は体力の限界を示すものか。
「どうする? 残っている部分を先に見にいくか?」
 それなりに近くには見えるが、肝心の道はかなり蛇行している。ひとり後を追う彼が合流するまでにはしばし時間を要するだろう。
「そのつもりだろう?」
「まぁな」
 とぼけたような返答に、レスターは口の端を上に曲げたようだった。大概、彼も人が悪い。


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