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 一緒に行動する気にはなれなかったクリスたちは、持ち前の身体能力を存分に活かし、案内役であるはずの村長を置いて先に到着していたのだ。さすがにそういう行動には非難の目を向けられるかもしれないと、ガストンには村長の家に待機していてもらっている。
 付きまとわれてはなんとなく鬱陶しそうだという理由が大半だが、あれこれと邪魔をされるまえに勝手に見てやれという気持ちが働いたことも否めない。
 一パーセントほどの躊躇いをあっさりと棄て、クリスは崩れかけの家屋の中へと足を踏み入れる。そこかしこに穴が空いているためか、鼻を押さえるような臭気はない。たわんだ床板やボロ布と化した絨毯が水気を含み、歩く度に妙な柔らかい感触を伝えることだけが若干不快と言うべきか。
「中は結構火事の影響を受けているな」
 炎に舐められた壁や天井に別段注目すべき点はない。どこかに触れる度に塵埃がパラパラと振りかかるがそれだけである。落ちていた鉄製の鍋を転がせば虫が、倒れたテーブルの下を覗き込めば鼠がと、自然に還ってしまっている部分も多い。
 しばらくの間ふたりバラバラに探索を続け、あれこれと探る。
 そうして数分。先に肩を竦めたのはレスターだった。
「完全にただの廃屋だな」
 屈めていた背を伸ばし、彼はクリスへと苦笑を向けた。
「たいしたものは残っていないようだが……」
「いや、そうでもない」
 台所とおぼしき場所で泥を被っていた器を取り上げ、表に裏にと返し見て、クリスはレスターへとそれを示す。
「この陶器だが、かなり質の良いものだったはずだ。細工文様と凹凸の具合からすると、それなりの金持ちでないと手に入らない有名な品に見える」
「そうなのか? 私には判らないが」
 疑っていると言うよりは本当に判別が付かないのだろう。眼を細め眉根を寄せ、近すぎるほどに近寄りながらクリスの持つ器に何かを見つけようとしているようだが、結局その首は横に振られる結果となった。
「似ている紛い物ではないのか?」
「紛い物だったとしても、これを造るには結構な技術が要る。安いものではないはずだ」
「そういうものか?」
 どうやらレスターは、ものの善し悪しを見ることには長けていないようである。そういえば彼の家にいた老紳士も、茶葉の例を挙げてそれらしきことを嘆いていた。
 様々な女の歓迎を受けるほど洒落た身なりの男であるが、中身は以外に大雑把なのかも知れないとクリスは見えないところで小さく笑う。
(案外着ているものも、あの紳士のコーディネイトだったりして……)
「クリス?」
 不思議そうな声に、クリスは慌ててなんでもないというように曖昧に笑う。
「何か失礼な事を考えていなかったか?」
「いや、何でもない」
「ならいいが……」
 腑に落ちないように目を細めるレスターが鋭いと言うよりは、クリスが判りやすい表情を浮かべたといったところだろう。
「まぁいい。すまないが、私には判らない。他には何か怪しいものはなかったか?」
「ある。こっちのカップは銀製だから判りやすいかな。あとはあれと、……おっと、そっちのも」
 かまどに近い場所にはもともと棚が設えられていたのだろう。それは今は形を失い、かつてそこに乗っていたと推測されるものが積み重なって泥の中に埋もれている。殆どは割れ、或いは変形を余儀なくされているが、それでも某か判別の付くものも多かった。
「これは砕けてしまっているけど、この薄い硝子はそこらへんで作れるものじゃない。やっぱりそれなりに技のある者の手によるものだ」
「向こうのあれは?」
「あれは……ベルフェルで使われてる形のものかな。手に入らないとは言わないけど、普通の家にあるものじゃないな」
 いつになく饒舌になっていること、更には口調も若干クリスティン寄りになっていることにも気付かず、クリスはあれこれと検分していく。
「随分質の良いものが多いが……いや、そうするとおかしいな」
「何が?」
「落差が激しいんだよ。あそこの椅子はどう考えても大工の素人が作ったって程度のものだし、こっちの皿はかなりいい加減な造りだ」
「つまり?」
「それまで裕福に暮らしていた者がそういうわけにもいかなくなって、こういった村に隠遁する羽目になったとも言えるけど、普通は財産になるような家財道具は売るはずなんだ」
 没落して借金を抱えたのであれば勿論、だんだんと財産を失っていく場合でも手持ちの金になるような代物は売りさばいていくはずである。なんらかの事情で軟禁状態にあったと考えるのは、この村の閑散とした状態と周辺の環境を見るに無理があるだろう。
「自主的に移り住んだとしても、こんな立派なものを持っていた者が足りないとは言え安っぽすぎるものを使うとは思えない」
「なるほど」
「となれば考えられるのは、何らかの形で隠れて住まなければならなくなったという説だが……」
「それは単なる推測だな。やはり、住んでいた者が誰であったかくらいは吐かせる必要があるようだ」
 来た道へと目を向け、なかなかに物騒なことを口にする。
「しかし、さすがは商人の息子だな。よくものを知っている」
 感心という名の指摘に、クリスははっとして口に手を当てる。
(――まずい)
 クリスティンの得意分野が活かせることであったばかりに、つい調子に乗っていた自分に遅まきに気付く。レスターの表情から察するに別段妙な疑問は抱かれていないようだが、それにしても些か不自然だったことには変わりない。
「クリス?」
「……いや」
 どういったものかと、滲み出た額の汗を拭う。
「悪い。小賢しい講釈を聞かせてしまった」
「? そうでもないが……?」
「いや、俺の知識は所詮聞きかじった程度だ。偉そうに断言はしたが、間違っている可能性もある」
 本当のところを言えば、喋っていたことにはかなりの自信がある。だがあくまで今の自分はクリストファーなのだ。彼が本来知るはずのない知識を披露した現実はある程度曖昧にしておかねばならない。
 焦りと後悔に顔を曇らせるクリスをどう見て取ったのか。レスターはクリスの頭を軽く指で小突いて微笑を浮かべた。
「君はあれだな。少し作ってるところがあるだろう」
「な、何を」
「見かけ通りの寡黙な頼れる男という雰囲気をだ。初めはそう思ったし、実際に黙って立っていればその通りに見える。だがどうも、喋り始めると少し違うな」
 ぎくり、とクリスは肩を揺らした。当たり前の指摘と言えるだろう。元からのクリストファーのイメージを崩さないようにと心がけてはいても、やはり素のクリスティンは別物なのだ。アントニーがそうであったように、長く接すれば接するほど、ボロが出る確率も高くなるのは必然というべきか。


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