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 どう取り繕うか。そう理由付けを頭の中で検索しかけたクリスの脳裏に、男の姿が引っかかる。トロイだ。
(違う。誤魔化しちゃ駄目だ。”私”の都合なんてどうでもいいんだ。警戒しすぎて縮こまってちゃ、先に進めないって決心したばかりじゃないか……)
 一刻も早く事件が解決するように動いていくと決めたはずだ。真に守らなければならないのは、クリストファーの平穏な日常ではない。それを大前提としたクリスティンからの解放だ。
(保身に走るんじゃなくて、指摘されたのが兄様ならどう返すかを考えて)
 一方的にしてやられた夜を思い出しつつ、クリスは再び肚を括る。
「……イメージ通りに振る舞っているのはお前も一緒じゃないのか?」
「そうくるか? まぁ、違いない」
「イメージを壊したのなら悪かったが、別段俺も格好つけてるわけじゃない。その方が都合が良いからそうしているだけだ」
 心外だという思いが出るように言えば、レスターは苦笑したようだった。両手を挙げて、降参のポーズを取る。
「悪いとは誰も言っていない。寡黙なだけの男前より、喋れば楽しい方がいいに決まっている」
「俺も、完璧を取り繕った隙のない男より、意外にズボラな人間の方が面白味があって良いと思うがな」
「そうか」
 言い、レスターは楽しげに笑う。
「ズボラはいいな。――ああうん、これからはクリスの前では存分にサボらせてもらおう」
「ついでに女好きもどうにかしろ」
「おやおや、これでも女嫌いなんだがね」
「嘘吐け!」
 間髪を入れずに突っ込み、そこでクリスははたと我に返った。上手く話を繋げられたのはいい。だが。
 ――いったい、こんなところまで来て何を話しているのだろう。
 幸いにか、レスターもまた時を置かずして同じ事に気付いたようだった。
「あー……」
 目を泳がせ照れ隠しのように頭を掻けば、レスターは笑みの形を引き攣ったものに変えた。
「悪い」
「いや、こんな話をしている場合ではなかったな」
「ああ。続きを……」
 語尾のキレも悪く、それぞれが掘り起こされた食器へと視線を落とす。クリスにしてみれば別人疑惑を曖昧に濁せて大正解というところだが、それをおいてもどことなく面はゆい。
 しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはレスターの方だった。
「そろそろ村長も来るだろう。私は少し向こうを見にいってくる」
「あ、ああ……」
 背を向けかけたレスターに合わせ、クリスも何となしにその場から動き出す。
 そうして、俺はもう少しこの辺りをと、そう、クリスが続けようとした時だった。

 ――クリス!

 突然、脳に直接響くような声が切羽詰まった音をしてクリスの足を止めた。いつもの、普通の声のように耳に届く音ではない。
 ――クリス!
「ゲッシュ!?」
 ――逃げて!
「え」
「クリス?」
 前触れらしいものもなく、急に宙に何かを探すように不審な動きを始めたクリスを、振り返ったレスターが怪訝な顔で見つめやる。だがそれに気付く余裕もなく、クリスは久しぶりに聞くその声の源を探し続けた。
「いったい――」
 ――外、外へ出て!
「え」
 ――早く!
 いよいよ悲鳴に近い音へと変わった呼びかけに、看過しきれない不吉なものを感じる。そうしてその勘に似たものに突き動かされ、クリスは動揺のままにレスターの手を引いた。
「クリス!?」
「いいから、来て!」
 さすがにおかしいと感じたか、レスターが抵抗するように掴まれた手をふりほどきにかかる。それを強引に制して、クリスは屋外へと走り出た。
 さほど距離があったわけではない。直線距離にして十数歩、障害物を避けながらでもせいぜい二十歩あるかないかといったところだろう。草の伸びきった庭へ出て更に少し進んだ時点で、今度はレスターの方がクリスの肩を掴んで無理矢理に呼び止めた。
「何を突然、どうし」
 たんだ、と本当なら続くはずだっただろう。
 だがその声は、更なる轟音によって口から出る前にかき消されることとなった。
「っ!?」
「――なっ……!」
 クリスにしてみれば目の前、レスターからすれば背後で崩れ落ちる家屋。それに伴い生じた風がふたりの髪を嬲り、飛礫が服を打ち、塵埃が息を奪う。
 一斉崩壊というほどではなかった。冷静に遠くから見つめていたのなら、徐々に斜めになっていく柱から滑り落ちるように屋根や壁が倒れていく様が見えたことだろう。だが、近くの被害は相当のものだった。
 一拍遅れて立ちこめた土煙にクリスは激しく咳き込んで背を畳む。咄嗟に上着の襟を上げて口元を覆ったレスターがハンカチを差し出すまで、彼はしばししゃがみこむ羽目になった。
 防御反応が遅れたのは経験の差と、おそらくは無意識のうちの既視感に体を強ばらせたためだろう。砂煙と土煙の差はあれど、最期の時に見た光景に似た状況がクリスの体の自由を奪っていた。
「――大丈夫か?」
 しばし間を置いて、レスターが気遣わしげにクリスの背を叩く。
 最後に一度大きく咳を出し、クリスは緩く頭振って立ち上がった。
「すまん。ありがとう」
「いや。助かったのはこちらの方だ」
 クリアになっていく周囲を眺めながら、レスターは細く長く息を吐く。突然の出来事に対して、気持ちを落ち着けようと努めているのだろう。
 クリスもまた、どこか現実味を帯びない視線を土煙の向こうへ向けた。つい今し方まで立っていたはずの場所は折れた柱や壁に埋まり、その周囲にも家の残骸が転がっている。まさに潰れた、と表現するにふさわしい有様だ。
 あと少し。ほんの十数秒、聞こえた声に従うのが遅ければ、ふたりはあの中で同じ運命を辿っていただろう。
(ゲッシュ……)
 またしても助けられた、と思う。だが今、レスターの目の前で彼に呼びかけることは出来ない。最後に会った雨の夜から数日、クリスのことを見守れるほどに回復したことが判っただけで今はよしとするべきか。


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