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 それが結果的に彼の命を救ったとすれば、皮肉なことこの上ない。
「ですがレスターは、北部での戦争の活躍が元で四位貴人の称号を得たのでは?」
「ああ、たまにそうして混ぜている者もいるな。だが、彼が称号を与えられたのはそれから何年も後の対三国同盟戦争の北部戦役でのことだ。汚名返上といったところかな。でもそれすら悪し様に言われるのは、その後に亡くなった兄の婚約者だった女性と結婚してしまったことだろうね」
「え」
「おや、知らなかったのかい? こちらは有名な話だ。傷心の女性の心の隙間に入り込む百戦錬磨の悪の手といったところかな」
「まさか……」
「本当のことだよ。いやしかし君は本当にそういう話に疎いな。まぁそういう俗世とは無縁そうな硬いところが部下には大受けなところなのかもしれないけど」
 深刻な話にどう反応すべきか悩んでいた矢先の緩いオチに、クリスはがくりと肩を落とした。おそらくは暗い雰囲気になりつつあったところのガードナーの気遣いなのだろうが、あまりといえばあまりな話である。
 しかし、話題を振ったのもクリスであれば、途中で方向転換となるような声を掛けたのも然り。こめかみを押さえながらクリスは、聞くだけのことを聞いた話を断ち切るべく低い声を出した。
「ありがとうございます。それで、自分を探していたとはどういう用件あってのことでしょうか」
「はは。まずい話題になるとすぐに強引さを発揮するところは変わってないね」
 変わっていないという言葉は嬉しくもありがたい評価であるはずだが、なにやら素直に頷けないものがある。そんな妙なところが似てなくても、という脱力感を引き起こす代物だ。
 複雑な思いに口端を下に曲げ、クリスはガリガリと後頭部をかきむしった。そうして、再度話を変えるべくガードナーの方を向く。
「人生を左右するような事件に遭ったからといって、性格がそうそう変わるわけではありません」
「まぁそれもそうか。おかしいな。ちょっとからかいやすくなったかなと思ってたんだけど」
「気のせいです」
 言い切り、クリスは用件の提示を求めガードナーへと冷えた視線を送った。頑なな態度に諦めたか、ガードナーは一度小さく肩を竦めてため息を吐く。
 ややあって、彼はまぁいい、と呟いた。
「とりあえず、このまま付いてきてくれ」
「どこへ行くんですか?」
「来れば判るよ」
 目的地を伏せられたまま見慣れない奥の一室へと誘われる、そういった展開が多いなと思いつつ、クリスには断る術はない。怪しい人に付いていってはいけないという普遍的な教えはあるが、含みを持った知人に付いていってはいけないというものはないな、と頭の隅でどうでもいいことを考える。
 そんなクリスの複雑な表情に気付いたのか、ガードナーは子供を宥めるような笑みを浮かべた。
「心配しなくてもすぐに着く。それまでに言うことがひとつ、その後にやってもらうことがひとつといった具合だ」
「やってもらうこと?」
「それは後で。まずは情報だ」
 一度唇を舐め、ガードナーは言葉を探すように間を置いた。
「収容施設警備主任、ジェフ・モルダーが死亡した」
「え……」
 あまりにも唐突な話に、クリスは一瞬言葉の意味を理解することを拒絶した。一秒、二秒、足早に進む彼らが数歩進んだところで脳に単語が行き届き、そうしてそれの示すところを知る。
 昇りかけた階段のふちから思わず足を落としたクリスを、ガードナーは真顔で振り返った。
「君に少しばかり縁があったと聞いている。だから報せておこうと思ったんだ」
「しかし、何が、一体……!」
 法務省での会話、そしてジェフ・モルダーの言葉のおかげで一命を取り留めた事を思い出し、クリスは悲鳴のような声を上げる。
「敢えての報せということは、ただの殉職ではないと?」
「そうだ。一週間ほど前に王都から少し離れた場所で溺死体が揚がった」
「!」
 あの時の、とクリスは口の中で呟いた。
 ガストン・ゴアが市場に遅れてやって来たときの情報だ。あの時はたしか、行方不明となっている近衛兵の死体だとなんとなしにそう考えていた。
(まさか、まさか――)
 やはりあの時点で見にいってみるべきだったかと思い、すぐに頭振る。行ったところで何の役にも立たなかったはずだ。
「死因は何だったんですか」
「水死と言いたいところだけどね。右の腎臓を後ろからひと突きだ。低い位置から抉ったのか、肝臓まで裂けていたようだ。肺に水は入っていなかった」
「それは……」
「モルダーはベテランだ。油断していたとしてもそう簡単にやられるようなことはない」
「狙った場所からしても、おそらくは暗殺に慣れた者かと」
「そうだね。そう、君を襲った人物と同じかも知れない」
 頷き、クリスは顔を顰めた。今はもう傷痕も塞がった足に痛みがあるような錯覚を覚える。
(モルダーは一度奴とやり合っている。あの攻撃を受けたと言うことはかなり至近距離に迫っていたはずだ)
 それ故の口封じであることは充分に考えられる。実際にクリスのように顔を覚えた覚えられたを頓着するような男には思えない。
「だから、君には充分注意してもらいたい。常に誰かと一緒に行動するくらいの気持ちで」
「はい」
 真面目な顔で頷いてはいるが、実際に本気で狙われたのなら運以外に頼るものはないな、とクリスは思っている。クリストファーであればともかく、クリスティンの感覚などベテラン兵だったモルダーの足下にも及ばないだろう。
 そうしている間にもふたりは、軍部の管理施設をどんどんと奥へ進んでいる。周囲から人が減っていくことに心細さを覚えつつ、クリスは古い床で大きく踵を鳴らした。
「どこまで行くつもりですか」
「もう少しだよ。――ああ、さっきの続きだけどね。ひとつ奇妙な情報があるんだ」
「?」
「ジェフ・モルダーの遺体だけど、髪の毛が剃られていてね」
「髪、ですか?」
「情報部の連中は件の近衛兵を装おうとしたのではと考えているようだ」
「近衛兵……、ケアリー・マテオでしたか。その人と体格が似ていたのですか?」
 これにはガードナーは判らないと首を横に振った。モルダーのことは知っていても、所属と管轄の違う近衛兵の詳細まで把握していないのは当然のことである。
 身長は同じくらいだったらしい、と情報を加えた上で彼は自分の見解を述べた。


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