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「多分、モルダーの遺体が揚がったのは、細工した人物にとっては予想外だったんだろう。遺体には縄と錘が付けられていたという話だからね。雨で川の水が増水して流れが速くなってなければ、普段の勢いと同じ程度であれば少なくとも流されはしなかっただろうとのことだ」
「それはおかしい。死体を単純に隠したいのと近衛兵を装うということは矛盾しているのでは?」
「なに、いつまでも隠す必要はない。もはや誰なのか判らなくなってからそれらしい遺留品を付けて陸に揚げておけばいい話だよ」
「つまり、死体は川で状態を管理されていたと?」
「そうとも取れる、という話さ」
 不愉快さを前面に出しつつ、ガードナーはそこで突然足を止めた。
「さて、話はここまでだ。着いたよ。中に入りなさい」
 言いながらガードナーは横の扉を大きく開けた。そこから見える室内はどう見ても小さなフリールームだ。会議や某かの勉強の場に使われることが多い、言ってみれば個性のないどうとでも使える部屋という様子である。
 法務省での一件から些か警戒をしていたクリスは、中に足を踏み入れて見回し、やはり何の変哲もない一室であることを認識し、拍子抜けしたようにぽかんと口を開けた。
「扉、閉めて」
 自身は中央のテーブルに書類を置きつつ、ガードナーが指示を出す。慌てて後ろ手に大きな音を立てたクリスは、首を傾げつつその書面へと視線を落とした。
「やってもらいたいこととはそれに関係が?」
「いや、これは単なる地方訓練の計画表だよ。君には関係がない」
「では他になにか?」
「ああ勿論、その為に来て貰ったんだから」
 言い、ガードナーは「いい笑顔」を浮かべた。
「早速だが、そこの窓から出ていきなさい」
「は?」
 上司へあるまじき返答をしでかしたことには気付かず、クリスは指の先が示す窓を眺めつつ何度か瞬いた。
 ここは二階の部屋だ。軍部敷地内の高低差により現在地の一階は半地下状態であることを計算に入れれば、実際の二階よりはかなり低い位置にあるといえるが、それでも一応は二階に分類される。
 そっと窓際に寄って見たところによると、窓枠から地面までおよそ二メートル半、降りられないことはないが、何故それを命じられるのかがどうにも判らない。
「どういうことです?」
「君はある人に呼ばれている。だが同時に君は、少なくとも君を襲った人物に狙われている可能性がある。襲った本人でなくとも、仲間が君の行動を警戒していることも考えられる。そのためだ」
「つまり、今から会う誰かは敵に存在を知られたくないということですか」
「理由のひとつはね」
「向かう先や呼ばれている内容もということですか?」
「それは、今から判ることだ」
 話を切り捨て、ガードナーは再び指を窓の外へ向けた。早く行けということだろう。
 可能性に過ぎない話だが、本当に後を付けられてるのだとすれば、稼げる時間はそう長くはない。そう考え、クリスは若干の躊躇いを残しつつも窓枠に手を掛けた。
(さすがに高さを把握して飛び降りるのは勇気が要るな)
 下は何もない、踏み固められた土がむき出しの小道だ。降り方を間違えれば確実に足を痛めることとなるだろう。
 一度喉を鳴らし、一度振り返り、そうしてクリスは勢いを付けて窓枠を蹴った。

 *

「随分久しぶりな気がするが」
「それはそうだろうね。なにせ君は僕を棄てて、レスターと愛の逃避行をしてたんだからさ」
 返答する気にもなれない科白を一息に言い切り、ダグラス・ラザフォートは殊更に物憂げなため息を吐き出した。
 睨むことすら彼の何かを刺激する、そう瞬時に判断したクリスは、小刻みに揺れる馬車の窓枠に肘を置いて唇を引き結ぶ。分厚いカーテンの隙間から見える景色に意識を向ければ、白い光が暗さに慣れた目を焼いた。既に陽は中天を越しているようだ。
「無視することないじゃないか。折角待ってたのにさ」
 眼球だけを動かせば、視界の隅に拗ねるダグラスの横顔が映る。判りやすく臍を曲げているように見えて、実際の所は言葉遊びを楽しみたいだけなのだろう。
 数時間前、窓から飛び降りたクリスを半地下の部屋に招き、最終的に今乗っている馬車へと誘導したのは、思わず口を突いて出た言葉の通り二十日ぶりに顔を見たダグラスだった。その間にあった変化に依るものか、相変わらずのどこか飄々とした態度が妙に癪に障る。ダグラス自身それを知って敢えて言葉を選んでいるのだから救いようがない。
「もー、怒らないでってば」
 言う方にも真剣味は全くないが、クリス自身実のところ怒りから彼を無視しているわけではない。ただ、考えているのだ。ヨーク・ハウエルが緊急の連絡先としてガードナーを指定していたにも関わらず、された本人はクリスに何も問わなかった。――否、クリスが報告すべき事を抱えていると察しながらそれを切り出す暇を与えてくれなかった。
 何故か。
(たぶん、今行く先に報告すべき相手がいるってことだろうな)
 唐突で強引である種自分勝手な呼び出しだが、ガードナーはもとより、今まさにクリスを誘っているダグラスの発案でもないのだろう。
(まぁ、だいたい想像はつくけど)
 彼らを動かせる人物はそう多くはない。加えてクリスの存在を知っている人物となればかなり絞られる。問題はそんな大人物がクリスに何の用があるのかということだが、実はこれもそう想像に難くはない。
 窓の外を流れる景色を目で負いながら、クリスは緩く頭振った。
「ダグラス」
「はいはいなになに?」
「マイラ・シェリーの行方については何か判ったのか?」
 いろいろと繋がりの見える中で、そこだけは完全に切り離されている。揚がった水死体がケアリー・マテオであったのならともかく、マイラ・シェリーは彼共々現在も行方不明だ。とうに殺されているという可能性は高いが、そうと断定するには様々な面で謎が多すぎるのだ。
 クリスの問いに、ダグラスははっきりと顔を顰めて唇を尖らせた。
「前から思ってたんだけど、クリスは人に聞けば何でも答えてもらえると思ってない?」
「まさか」
 クリスの持っている知識は殆どは他人から与えられたものか、偶然知ることとなったもので占められているが、さすがにそれを当然とは思っていない。ヴェラはハウエル親子を通しての厚意を向けてくれているが故の情報提供なのだろうが、レスターはおそらく肝心なことは隠している。それでも、100か0かの情報より50程度でも何かを知っていることは重要なのだ。
 半眼を向けるダグラスを同じように見返し、クリスはぼそりと煽るように呟いた。
「ここ数日、法務省の方で慌ただしい動きはないか?」
「え……」
 僅かに示した動揺に、クリスは更に眼を細めた。ダグラスの今の心境を言葉にするのなら「何で知っているの」といったものになるだろう。


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