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「ヨーク・ハウエルが動いたな。……知りたくないか?」
 重ねて言えば、ダグラスは目を泳がせたようだった。心中での打算を示すように指先が忙しなく揺れている。
 だが彼も諜報員、損得の勘定と決断はさすがに早かった。
「なんだかクリス、意地悪くなってない?」
「そう思うのなら、お前の問いかけがそうだったのだろう」
「あらら……」
 肩を竦め、ダグラスは両手を挙げる。
「まぁいいか。マイラ・シェリーだったね。彼女はまだ見つかっていないよ。見たという痕跡も居なくなった夜に男と歩いていたようだというその一点だけ」
「溺死体はケアリー・マテオではなかったようだな?」
「結果が出るまでは僕たちもそう思ってたんだけどね。ガードナー隊長から聞いたと思うけど、他人を装うような仕込みがされていたことを考えると、殺された後に更に使い道を考えられていたみたいだね」
 胸くその悪くなるような話だと内心で辟易しつつ、クリスは頷いて続きを促した。
「ちなみにマテオの行方も判っていない。……と言いたいところだけど、その溺死体の正体が判明した後に改めて『マテオは生きている』という視点で聞き込みなんかを続けていると、どうもそれらしき人物の目撃情報が出始めたらしい」
「つまり、生きて何やら活動していると?」
「他にも考えられるね。僕たちの予想では、彼は何らかの理由があってマイラ・シェリーを王宮の外へ連れ出した。その時トラブルがあって彼は任務に失敗した。組織は情報漏洩を防ぐために彼を助け、彼を死んだ者とするために溺死体をでっち上げることにした。だけど天候という邪魔が入ってしまった。そんな感じで考えてる」
 トラブル、とダグラスは濁したが、別段隠しているという様子はない。何があったかなどは彼らにも判っていないのだろう。
「僕に言えるのはここまでだよ」
「そうか。では俺の方だが」
 遅かれ早かれ伝わることだと、クリスは途中宿泊した場所で起こったことや聞いた話をダグラスへと説明した。
「場所からして死んだ捜査官と彼女を追っていた者が通ったと考えられる。加えて言えることは、追っていた方の馬が近辺で走れなくなったのだろうとくらいしか」
「なるほどね。それでヨークが現地入りか」
 逃走途中のルートなど、実は判ったところで何にもならない可能性もある。だがただでさえ不明なことの多いこの一連の事件、判った情報から少しずつ攻めていくしかないのだ。ヨーク・ハウエルが直接向かったというのなら、彼なりに重要な何かがあるとふんでのことだろう。
 後は彼が戻ってから聞くだけだと、クリスは思考を切り替える。そうしてそれは、ダグラスも同じであるようだった。
「それで? レスターとは何をしてきたんだい?」
「いやに含みのある言い方だな」
「やだなぁ。ヴェラみたいなお堅い女の人ならともかく、百戦錬磨のレスターとの二人旅、気になるじゃないの」
「ふたりではなかったのだがな」
 帰り道はともかくとして、と口の中で注釈を加え、声にしては別の言葉を出す。
「それを今お前に教えて、俺には利益でもあるのか?」
「ないねぇ」
 ダグラスは薄い笑みを浮かべる。
「でも気になるね。君じゃなくてレスターの行動がね。君は何でもがむしゃらに手当たり次第突っ込んでいくタイプだろうけど、レスターは殆ど計算尽くだからね。一週間もここを離れるほどの用ってなんだろうって思ってね」
「あいつの思惑はわからん」
 全部が全部、仲間意識と厚意だけで着いてきてくれていたとは思わない。だが少なくとも旅の間、レスターが己の目的を優先してクリスをないがしろにしたことはなかった。どちらかと言えば、万事気を配って貰っていたと言った方が正しいだろう。
 怪しい行動を見せたこともなく、そればかりか常に一緒に居たことを思いだし、クリスは首を横に振った。
「特捜隊発足から今まで、あいつが腹の中を全部晒していたとは思わん。だが少なくとも今回の旅の間におかしな事はしなかった」
「へぇ?」
「はじめに言ったと思うがな。俺は出来る限りお前達を信用する。裏切りやそれに近いことの決定的な証拠が出るまでな」
「そうやって裏切られて、苦しむのはクリスだと思うけど」
「別に信じ委ねて依存するわけじゃない。不審な行動を取れば、勿論怪しいと思いもするさ。それがどういうことを示すのか、疑いの目で見たりも考えたりもする。ただ、だからといって、嘘であっても優しくしてくれた、助けてくれた、それに対し感謝したことまで全て棄てる必要はないだろう?」
「例えば君を最終的にこっぴどく裏切るための布石だったとしても?」
「……それは、辛いだろうな」
 そんな状態に陥ったとき恨まないとは言い切れず、クリスは言葉を選ぶ。
「だが、そうなることを恐れて、初めから誰も彼もを疑う気にはなれない。でももしも信頼した相手に裏切られたとしたら、俺は、しこりになることを願うよ」
「しこり?」
「裏切ってしまったという後悔だ」
 生前には、至らなかった考えなのかも知れない。何か自分の現状と行動に意味を持たせたい、何かを残したいという気持ちの表れか。
 クリスの答えに、ダグラスはわずかに俯いて目を伏せたようだった。何か思うところがあったのだろう。だがそれを明かすことはなく、彼は何事もなかったかのような表情で顔を上げた。
「クリスは莫迦だね」
「それは充分よく知っている」
「莫迦だけど、僕は好きだよ」
「――それはどうも」
 言葉の真意を図りかね、クリスは一瞬詰まった後に無難な返事を口にした。それを見て、ダグラスは小さく笑う。
「でもさぁ、まぁ人の良い僕はともかく、ヴェラもはじめから結構クリスに情報垂れ流してるよね。口硬そうなのにさ」
「俺があまりにも不甲斐ないから見かねてのことだろう」
「うーん、そうかなぁ?」
「あと、お前なら知っているだろうが、俺を特捜隊にねじ込んだのは法務長官だ。理由は知らん」
「ああ、……そうだったねぇ」
 初期の段階でヴェラが、レスターとアランをして「ねじ込み組」としながらクリスについて言及しなかったことからもいろいろと判る。推薦した上司に聞けばどういう流れでメンバーが決定したかなどは調べるまでもないことなのだろう。
「じゃあクリスは、法務長官がどうしているか知ってるの?」
「知らん」
「ヨークも?」
「俺よりは何か知ってるかもしれんがな」
 大差はなさそうだと告げれば、ダグラスは大げさに肩を落とした。期待を打ち砕かれたような様子からすると、純粋に情報を集めていただけというわけでもないのだろう。
 その予想に違い無く、灰色の髪を掻き上げたダグラスは、演技でもなく眉尻を下に下げていた。


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