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「大きな組織に対抗するためには、御大に出てきて貰わないと困るんだけどなぁ」
「そのことだがな、ダグラス」
「なに?」
「俺が思うに、――今回の一連の事件に関わっている組織の手の者は意外に少ないんじゃないか?」
 言えば、ダグラスは何度か瞬いたようだった。
「法務省の捜査官を襲っていた件だけ見ると組織ぐるみで大規模に動いているように見えるが、それ以外は出てくる人物があまりにも少なすぎる。外国から手が入っている具体例もない。派手にやらかしているように見えて、怪しいと浮かび上がる人物は、俺の知る限りでは実際にはせいぜい――」
「その件についても、後で充分話す機会があるよ」
 言いかけたクリスを止め、ダグラスは首を横に振った。同時に、ガタリと馬車が揺れる。
「目的地に着いたよ。クリス、悪いけど乗るときにも使った帽子を被って出てきてね」

 *

 今日はずいぶんと懐かしい顔に会うものだな、とクリスは口の中で独りごちた。ダグラスに対しては単なる挨拶のひとつに過ぎなかった「久しぶり」という言葉が、感情を伴ってクリスの喉を突いて出る。馬車を降りてしばらく歩き着いた場所、そしてそこで迎えてくれた人にこそまことふさわしい科白だ。
「ご無沙汰だね」
 素っ気ない言葉と態度ではあるが、覚えていてもらえただけで充分であるとも言う。
 そのまま店の中に促され漂う濃い香りに顔を顰めたクリスを見て、彼女――モイラ、ことダーラ・リーヴィスは可笑しそうに紅唇の端を上げた。
「服に匂い付けたくなきゃ、早く来な。アタシの室ならまだましさ」
 相変わらずの美貌と垂涎ものの肢体だが、今度は初めから気っ風の良い姉御といった調子だ。既にそのことを知っているクリスたちの前で演技したところで意味はないのだろうが、さすがに店の入り口ではまずいのではないか。
 階段を昇りつつそう口にすれば、モイラは何故かダグラスの方を睨み付けた。
「言ってないのかい?」
「僕を睨まないでよ。あの人の命令なんだからさ」
「まぁ、それもそうだね。ったく、商売の邪魔しておいて、何考えてんだか」
「あれ? もしかしてまだ来てない?」
「奴が時間を守った事なんて一度もないさ」
「うーん? 僕としてはフォローすべきなんだろうけど、おかしいな。何の言葉も浮かんでこないや」
 ギシギシと軋む通路を奥に進み、モイラはゆっくりと扉を開ける。殊更音を立てないようにしているのは、まだ休んでいる商売仲間を気遣ってのことだろう。昼を過ぎてしばらく経っているとは言え、夜を活動の主と置くこの界隈の人間はまだ休んでいることもある。
 遠く、商業区の工房からの音を聞きながら、最後に部屋に入ったクリスは彼女に倣い静かに戸を閉めた。
「何か飲むかい?」
「水があればそれでいい」
「そうかい。まぁ、好きに座りな」
 言葉に甘え、以前に来たときと同じソファに腰を下ろす。座り心地などけしていいとは言えない代物だが、なんとなしに懐かしいと思えるから不思議なものだ。集った面子がまるきり同じということもあるだろう。
 水の入ったコップと小さな菓子を置いてモイラが座ったのを見届け、クリスは彼女へ改まって礼を述べた。
「この間はいろいろとありがとう」
 何が、とは具体的には言わない。建前上、彼女はクリスに個人的な注意を促しただけであり、組織を売るような具体的な情報は提供していないことになっている。それをふまえた上での謝辞だ。
 突然のことに一度は面食らったように瞬いたモイラは、しかしすぐに口元を意味ありげな笑みで彩った。
「大したことはしてないさ。それより、あんなところまで行って、何かいいものでもあったかい?」
「あったと言えばあったな」
「へぇ?」
「見つけた地下室もそうだが、あの屋敷にはいろいろと仕掛けが多かったのか?」
「どうだかね。ただ地下室っていうと思い出すのはあれかな」
 言葉を切り不快そうに顔を歪め、モイラは挑むような目で男二人を交互に見つめた。
「地下は特別室だったんだよ。悪巧みをしてた場所。話し合った後はいつもアタシを含めて何人も女呼んでたけどね。ゼナス・スコットも高確率で居たし、結構重要な話でもしてたんじゃないかね?」
「内容は……わかるわけないか」
 モイラの豪奢な髪が左右に揺れるのを見て、クリスは短く嘆息する。
「ただそうすると、あの場所を利用していたのは結構な幹部だけということか?」
「だろうね。使いっ走りみたいな若いのはいなかったと思う」
 この記憶が正しければ、ひとつ確実になることがある。
 則ち、法務省捜査官を屋敷の中で殺害し、”物証”を持って逃げたもうひとりの馬車を暴走させた犯人は、組織の幹部であったということだ。地下室の存在を知り利用していたことが間違いない以上、そういうことになる。
(あの男が……)
 そうとなれば益々、ダグラスにも言いかけた疑念は深くなる。
 ギシ、とソファの背を鳴らし顎に手を当てたクリスは、頭の中でこれから会うだろう人物に言うことをまとめはじめた。おそらくは下手な言葉は黙殺されてしまうだろう。意見をしっかりと伝えるためにも言葉は選ばなくてはならない。
「ねぇ、クリス」
 まずひとつ、と考え始めた矢先にダグラスが声を上げた。
「誰が来るのかは判ってる?」
「ああ」
「なんか妙に決まったポーズで余裕かましてるけど、大丈夫? ホント判ってる?」
「お前の『上司』だろう?」
「だからそれは――」
 言いかけたダグラスの語尾が、派手な音によって遮られる。
 勢いよく、誰かが扉を開けたのだ。
「よう」
 その場の注目を掻っ攫い、それを気にした様子もなく陽気な調子で第一声を発した男は、そのまま誰の許可も得ずに部屋へと足を踏み入れた。
 顔かたちや皺を見るに40代後半から50ほどかと推測されるが、動きは如何にも隙がない。服の上からも見事な体格であることは明白で、なかなかに端正ながら厳ついと思わず表現してしまいそうな顔には不敵な笑みがある。
 刈り込まれた焦げ茶色の髪と同色のあご髭を撫でながら室内を見回した彼は、ぎょろりとした黒い目でクリスを認めると、知己に会ったかのように大振りな笑みを浮かべた。
「お前がクリストファー・レイか? 話には聞いているが会うのは初めてだな」
「――お初にお目に掛かります。フォックス軍務長官でいらっしゃいますね?」


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